第六十回(6)石臼「あれやこれや」と題して~第二部~ | ユージーのブログ

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石臼「あれやこれや」と題して

第二部(Part6)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筑前国「観世音寺」境内に置かれた天平石臼『碾磑(てんがい)』二文字とも『うす』を意味する漢字。

(福岡県太宰府市観世音寺5丁目6-1)

 

 

 

 

 

 

巨大な『石臼』寸法Φ≒90㎝ H≒70㎝

奈良時代「天下三戒壇」の一つ。

(他に大和 東大寺・下野 薬師寺)奈良時代、多数の修行僧の食事を賄ったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

【 編集後記 】 「碾磑編」 

 

・日本の「石臼(碾磑)」について
 

『日本書紀 推古天皇十八年(610)に高麗王、僧二人を献じ、名を曇徴、はじめて「碾磑(てんがい)」を造る。

けだし碾磑(てんがい)を造るは、このときにはじまるなり』とあります。
 

 この時代は「聖徳太子」の時代であることから、筑前国「観世音寺」の建立時期とは明らかに異なります。

また、江戸期に書かれた文献には「茶臼」とも記されています。近年、同寺・九州歴史資料館及び同志社大学により、調査がおこなわれました。

上臼を吊り上げると、八分画十溝が現れ、その見事さに皆驚いたと云われています。

下臼上面は見事に完全な平面加工がなされ、中央部には直径約30㎝、高さ5㎝の凸凹で嵌合(がんごう)され、中心軸部には芯棒穴が穿たれていた事と小麦を挽くための石臼ではない事も判明しました。

観世音寺時代では「豆腐の製造」に使ったことも考えられますが、年代的に合致しないことから、この石臼は「鉱物製造用」であった可能性も否定できません。いずれにしても、我国における「石臼(碾磑)」第一号であることには間違いない。

 

以上、三輪茂雄著書より紹介

 

 

参考文献:「粉の文化史」三輪茂雄著 新潮選書

      第四章「石臼伝来を暗示する日本書紀の記述」より

     「日本書紀(上)全現代語釈」宇治谷猛編 講談社 学術文庫刊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真・文責  児玉 博文

 

 

 

 

 

 

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