UFO&UMA完全図鑑 -4ページ目

「ニューギニア島の円盤騒動」機上から手を振る人物とは??

1957年6月27日夕方、ニューギニア島東端に近いグッドイナフ湾に面したボイアナイ村に、突然、一機の大型UFOが現れた。

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【目撃者たちの証言に基づいたスケッチ】

それに気付いた看護婦が、パプア地区ボイアナイ全聖者伝道本部の本部長ウィリアム・ブース・ジル神父に報告したのだ。

神父が空を見上げると、たしかに大型の未確認飛行物体1機と、近くに待機している2機の小型UFOが見えた。

しかも、大型UFOには人影がある。
「それはたしかに4人の人間だった。私が手を振ると、彼らも手を振って応えた」
後にジル神父がこう書いているように、手を振る神父達に対して、彼らはなんとUFOの甲板上に上がり、それに応えてくれたというのである。

UFOの交流は数分間続いたが、青いスポットライトが数秒間、2度にわたって点灯されると、UFOは3機とも姿を消してしまったという。

実は、この地域では、UFOが6日前から複数回にわたって出没していた。
とくに翌27日には、ジル神父をはじめ38人もの目撃者が確認されている。

この事件で特徴的なのは、UFO乗組員が友好的であるということだ。
少なくともジル神父らの証言からは、恐怖心のかけらも見られないのだ。

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【ボイアナイの海岸】

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【UFOを目撃したうちの2人】

「フーファイター」第二次世界大戦中に出現した謎の飛行物体

フーファイターとは、第二次世界大戦末期に連合軍や枢軸軍のパイロット達によって目撃された、金属製らしき未確認飛行物体や奇怪な光などの現象をいう。
「フー」は火の玉の意味だといわれている。
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ヨーロッパ上空での目撃が多かったため、連合国側も枢軸国側も、互いに相手の秘密兵器ではないかと疑っていた。

だが、双方の記録をチェックしたところ、該当する飛行物体が確認できなかったことから、「幽霊戦闘機」と見なされるようになったのである。

当時の戦闘機は、最高時速が600~700km/hだったが、それをはるかに上回る速度で自由自在に飛行するこのフーファイターをパイロットたちはみな畏怖した。

しかし、フーファイターに攻撃された戦闘機は皆無だ。

また戦闘機から攻撃しても、フーファイターの移動速度があまりに違いすぎるため、交戦状態になったこともない。

砲火や星の見間違いとする説もあるが、ベテランのパイロット達がそのような見間違いをするとは思えない。

目下のところ、球電現象か、プラズマ現象の類いではないかと言われているが、最近では似た現象が少ないのも疑問が残るところだ。


参考文献:超怪奇UFO現象FILE(学研)

「ワシントン事件」アインシュタインも恐れたUFO編隊?!

1952年7月19日深夜、アメリカのナショナル空港の航空交通管制局は、7つの謎の飛行物体が警備上飛行禁止区域になっている議事堂とホワイトハウスの上空に侵入したと報告。
市民からも謎の光が上空を飛んでいるという報告が相次いだ。
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すぐさまF-94戦闘機がスクランブル発進したが、謎の飛行物体は忽然と消えてしまったのである。
そして、F-94戦闘機が燃料補給のために基地に戻ろうとすると、再びUFOの編隊が出現したのだ。
このような動作を繰り返した飛行物体は、夜が明ける前にどこかへ飛び去っていったという。

この事件は全米の新聞のトップになるほどの騒ぎになった。
そして1週間後に、また謎の飛行物体の編隊がワシントン上空に現れたのである。
早速、F-94戦闘機が現場へスクランブル発進した。
パイロットの一人がこの飛行物体に接近したとき、突然、青白い光が輪になってF-94戦闘機を取り囲んだという。
その数分後、飛行物体はその姿を消した。

この時、トルーマン大統領は、物理学者アインシュタイン博士にアドバイスを求めた。
アインシュタイン博士は、
「未知なる知性体の優れた科学力を認めて、戦闘を回避すべき」と述べた
という。

 あまりの騒ぎに、マスコミは政府を追及。空軍諜報部は、「最近起こった事件は諜報活動とは関係がない」と発表。
しばらく経った後、政府は一連の事件は単なる誤認であったと発表したのである。
結局、物体の正体はわからなかったが、多くの国民に目撃されている以上、誤認とはとても思えない事件である。

UFOと空中戦を展開したゴーマン少尉

UFOと20分もの空中戦を挑んだ男がいる。
1948年当時、アメリカ、ノースダコタ州空軍所属だったジョージ・ゴーマン少尉だ。
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【写真:ゴーマン少尉機と同型のF-51ムスタング戦闘機】

同年10月1日午後9時、訓練飛行を終えた少尉は、点滅する奇妙な光に気づき、追跡に入った。

ゴーマン少尉が近づくと、光体は左に旋回。
なおも追うと、今度は急旋回しながら急上昇した。
とても追いつけないと判断した少尉が逆方向から迎撃しようとすると、あやうく正面衝突しそうになる。
「もうだめだ!」
そう思った瞬間、光は機上わずか150mの上空をすれ違っていた。
ほっとしたのもつかの間、光体は点滅をやめ、真っ白に輝きながら再び突進してくる。
こうして追いつ追われつの空中戦を繰り返し、20分後、謎の光体は姿を消した。

当然、正体については紛糾した。
現在では、気球説、木星説などが主流となっているが、前者では20分にわたるバトルを、後者では最初に発見した光の正体を説明できないのだ。


参考文献:超怪奇UFO現象FILE(学研)

「マンテル大尉墜落事件」UFOを追跡後、謎の墜落

1948年1月7日アメリカ ケンタッキー州北部ルイビル近郊ゴドマン空軍基地周辺に、未確認飛行物体が出現。
付近を飛行中のトーマス・F・マンテル大尉に確認の指令が出された。
25歳の若き青年だが、第二次世界大戦では各地を転戦したベテランパイロットである。
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2時45分、マンテル大尉から最初の連絡が入った。
「時速290kmで上昇中。金属製の物体。途方もない大きさです!」
「物体は依然、正面上方にあり、上昇中です。時速470km、600mまで上昇し、物体を補足できなければ追跡を断念します。」


だが、午後4時15分、基地から150m離れた場所で、機体の残骸が発見され、遺体の腕時計は、3時18分で止まっていることが確認された。

空軍のUFO調査チーム「プロジェクト・サイン」は、UFOの正体は金星の見誤りであるとしたが、1年後にはそれを撤回。

1956年、空軍のUFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」は、マンテル大尉が追跡したのは、当時海軍が極秘実験のために飛ばしていたスカイフック気球であるという説を出した。
事実、この日アメリカ海軍はこの地域上空で密かにスカイフック気球を飛ばしていたのだ。

この気球は高度3万mにも上昇し、全高180m、最大直径30mにもなる巨大気球で、目撃者達の言う形にそっくりなのだ。
現在ではこの説が一番有力視されている。

しかし、ベテランパイロットの大尉が、そんな初歩的なミスをしたとは考えにくい。
さらには不可解な点もある。
機体の残骸が広範囲に散っていたことから、何らかの理由で空中で爆発、分解したと推測されるにもかかわらず、
なぜかマンテル大尉の遺体は高温にさらされた状態で炭化しており、「まるで高熱銃で撃たれたようだった」という意見もある。

非公式ではあるが、最期の通信でマンテル大尉が口にしたとされる謎の言葉がある。
「いったいどういうわけだ!中に人間がいる、何人もだ!」

以後、アメリカ空軍は未確認飛行物体の調査を公式には行っていない。
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