平子達也他「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学(岩波書店)」を読んで(11) | 気まぐれな梟

気まぐれな梟

ブログの説明を入力します。

 今日は、「フォーク歌年鑑 '74 フォーク & ニューミュージック大全集 12」からリリイの「私は泣いています」を聞いている。

 

 (7)系統樹の推定

 

 平子達也、五十嵐陽介、トマ・ペラールの「日本語・琉球諸語による歴史比較言語学(岩波書店)」(以下「平子他論文」という)は、系統樹の推定について以下のようにいう。

 

(e)系統関係に由来する形質を見つけるには

 

 系統分類は系統関係に由来する派生形質すなわち改新のみに基づくと繰り迦し述べてきたが、そのような形質を見つけ出す作業は必ずしも容易ではない。
 

 第1に、ある言語群のみが特定の形質を共有していたとしても、その形質は、問題の言語群のみを子孫にもつ祖語から継承されたものであるとは限らない。ある形質を共有するようになる要因は、祖語からの継承のほかに、借用と簽行変化がある。
 

 第2に、ある言語群のみが特定の形質を共有していたとしても、そのような形質のすべてが改新であるわけではない。変化が生じなかったことに起因する保持に過ぎない可能性が残る。したがって、系統分類を行う際には、特定の言語群に共有された形質が借用や並行変化によるものかあるいは祖語からの継承であるかを検討するとともに、それが保持であるか改新であるかを検討する、ことが不可欠である。  

 

 派生形質を発見することの困難性については平子他論文が指摘するとおりであるが、そもそも比較対象の言語が系統関係にあるのかどうかということが、まず大事なことであり、それは比較言語学だけでは判断できないと考えられる。

   

(f)借用

 

 2つ以上の言語が互いに影響を与えることを言語接触と言う。異なる言語/方言の話者が互いに交流することで言語接触は生じる。言語接触の典型例は語彙の借用である。日本語は、主として文字(漢字)を通じて中国語の語彙を大量に借用しており、近代以降は英語を中心としたヨーロッパの諸言語からの借用が著しい。言語接触を通じて異なる言語が類似してゆく過程を言語収斂と言う。借用を含む言語接触は系統関係の有無にかからわず任意の言語間で行われうる。


 言語接触による言語変化は他言語からの影響という外的要因によるものであるが、系統分類がその根拠とする変化は、外的要因によらない言語変化である。言語接触によってある言語と別の言語が特定の形質を共有することを水平伝播あるいは横の伝播と言い、共通祖語のもつ形質を娘言語が共有することを縦の継承と言って区別することがある。下位分類は改新の継承に基づいて行われるので、水平伝播は下位分類にとってはノイズとなる。したがって下位分類を行う際には、借用されづらい形質に基づくことが肝要である。


 語彙は借用されやすいが、語彙の中でも、どの言語にも共通して存在しうる意味項目(身体名称や親族名称など)を表す基礎語彙は、それ以外の語彙より借用されづらい傾向がある。


 実際にはいかなる言語特徴も借用されうるが、特徴によって借用されやすさが異なることが知られている。

 

 様々な借用可能性尺度が提案されているが、名詞が最も借用されやすいとする点は共通している。その他に、自由形式の方が拘束形式よりも借用されやすい、語彙項目の方が文法項目より借用されやすい、意味的に透明な形式の方が意味的に不透明な形式よりも借用されやすいことが知られている。文法形式、特に派生接辞や屈折接辞における改新の共有は、系統的下位分類にとって強力な証拠となるだろう。反対に名詞の共有は借用の可能性を強く疑ってみなければならない。


 音変化もまた、接触によって伝播することがある。


 言語間の音対応を検討することにより、問題の語が借用語であることを示せることがある。ある語に観察される音対応の不規則性は、その語が借用語であるとみなす根拠となるが、ある語が規則的な音対応を示す事実は、その語が惜用語でないことを保証しない。借用時期の前に音変化が生じない限り、たとえ借用語であっても音対応の不規則|徃は観察されない。

 

 平子他論文が指摘する「借用関係」の典型は、ケルト語の残滓とラテン語の痕跡、アングロ語、サクソン語などのゲルマン諸語の影響とデーン語、ノルマン語などのスカンジナビア諸語の影響、フランス語の流入という諸言語の流入による変化を経験した英語である。

 

 また、ホモ・サピエンスの初期拡散でシベリア南部に拡散した異なるY染色体ハプログループの幾つかの集団が集合離散して混じり合って形成された集団は、西部の草原地帯と中央部の平地の森林地帯、東部の山岳の森林地帯という地理的・気候的な環境によって三つの大きな集団を形成し、ユーラシア大陸の北方草原地帯に形成された「草原の道」を経由する交易・交流関係の恒常化によって、緊密な関係を構築していったと考えられる。

 

 この三つの大きな集団が、西からチュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族を形成していったが、この三つの言語集団は、一つの言語集団から分岐した集団などではなく、初めから三つの言語集団として形成された集団であったと考えられる。

 

 そして、チュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族の相互の言語の間の類似性や共通性は、例えば「草原の道」などによる相互の交易・交流関係を基盤にして夫々の言語間で形成された「借用関係」に起因するものか、あるいは、それらの言語の共通の祖語である「人類祖語」に起源するものであったと考えられる。

 

 そうであれば、チュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族は相互に「系統関係」があるとは言えず、それらの語族間に存在したのは「借用関係」だけであり、それらの語族の「系統関係」は、日本語やアイヌ語と同じように、「人類祖語」との間でしか成立しないと考えられる。

 

 チュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族の共通の祖先の語族とされる「アルタイ語族」存在に疑問が提示されているのはこのためであり、インド・ヨーロッパ語族などのように、原住地からの集団の移動と拡散が証明できないのであれば、「アルタイ語族」の存在の推定もできないと考えられる。

 

 また、遼河文明の担い手がY染色体DNAハプログループN1集団であったと推定すれば、そのN1集団は、日本列島の基層言語集団のY染色体DNAハプログループD2集団の言語や、チュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族の基層言語集団のY染色体DNAハプログループC3集団とは別の集団であり、N1集団が日本列島や朝鮮半島、中国東北部やモンゴル高原などに移動・拡散して基層集団を駆逐したということも確認できないのであれば、従来の広義のアルタイ語族、遼河文明に起源する、いわゆる「トランスユーラシア語族」の存在の推定もできないと考えられる。

 

 おそらく、いわゆるこの「トランスユーラシア語族」の「トランスユーラシア祖語」とされるものも架空の構想物であり、その実体は「人類祖語」の残滓であると考えられるので、「トランスユーラシア語族」を構成するとされる諸言語の共通祖語は「人類祖語」であり、それぞれの言語と「人類祖語」との関係を個別に再構成することでしか、そして、それを前提としてそれらそれぞれの言語間での「借用関係」を推定することでしか、それらの言語の形成過程を解明することは出来ないと考えられる。

 

 そうであれば、日本語の基層言語である、後期旧石器時代に日本列島に流入して孤立したY染色体ハプログループD2集団の言語と「人類祖語」との関係の解明と、その後に日本列島に流入してきた諸集団の言語がその基層言語に与えた「借用関係」の具体的な中身と過程の解明こそが、日本語の形成過程の再構成の重要な課題であると考えられる。

 

(g)並行変化

 

 改新の中には自然であり頻繁に起こる性質をもつものがある。そのような改釿は、分岐後のそれぞれの言語に独立に生じる可能性が高い。同じ変化が別々の言語に並行的に生じた場合、そのような改新は並行変化と吁ばれる。


 並行変化は音声面に頻繁に観察される。音変化をもたらす主要因は、より困雌な調音を避け、より容易な調音を好む生理学的な制約にある。音声器官の構心は人類に凡そ共通であるため、音変化の方向性は普遍的な生理的基盤をもつことになる。したがって、似たような音変化が言語の系統を超えて頻繁に起こりうる。


 琉球祖語における語頭の*pを例に取ろう。琉球祖語の語頭の*pは多くの方言で摩擦音(φ、g, h)に規則的に変化している。この破裂音の摩擦化は奄美語、大和浜方言、沖縄語首里方言、宮古語池聞方言、与那国語などに系統を超えて生じており、並行変化の結果であると考えられる。


 したがって、複数の言語が特定の音変化を共有していた場合、その改新が下位分類の証拠となるのか、あるいは並行変化の結果なのかを注意深く検討する必要がある。従来の比較言語学の教科書には、系統分類の根拠として音変化のみが扱われていることがあるが、このような記述は唯一の基準が音変化の共有にあるかのような深刻な誤解を招く。むしろ音変化は系統分類の基準としては問題が多いと言える。


 並行変化を促進する要因にドリフトと呼ばれるものがある。ある変化は、一定の方向性をもって、さらなる変化を誘発する傾向がある。したがって、祖語から2つの言語が分岐した後でも、それぞれの言語が同じ方向に向かって変化することがある。


 並行変化に基づく誤った分類を避けるための最も有用な方策は、独立して吮数回生じるとは考えにくい変化を利用することである。特定の語に生じる散発的かつ不規則な音の変化は、規則的な音変化と比較して並行的に生じる可能性が低い。特定の語にのみ生じる不規則な変化が、偶然他の言語にも並行的に生じる可能性はゼロに近い。したがって問題の散発的な変化は、(借用の可能性を排除できる限りにおいて)沖縄語という系統群を定義する共通改新とみなすことができる。


 新語も並行的に生まれにくい。これは言語記号の恣意性という特徴のためである。オノマトペなどを除いて、ある語(形態素)の音と意味との問には必然的な関係がないので、音と意味とが一致する語が系統を超えて朗然生じる可能性は極めて低い。しかしながら、語彙は容易に借用されるので、並行変化の可能性は排除できるとしても、借用の可能性を排除するためには、独立の根拠が必要となる。


 いずれにせよ、1つの改新だけに基づいて系統分類を行うことは、並行変化に基づいた誤った系統分類の可能性を高めるので、諸言語が共有する改新の集かを見つけ出すことが重要となる。諸言語がただ1つの改新を共有している状態は、偶然を含む多種多様の原因によって生じうる。諸言語が共有される改釿の数が多ければ多いほど、誤った分類の可能性がより低くなる。 

 

 平子他論文が指摘しているように、分岐後のそれぞれの言語に独立に生じる、同じ変化が別々の言語に並行的に生じた場合、そのような改新は並行変化と呼ばれるが、そうした並行変化には、世界各地の言語で同じように生起していった能格言語から対格言語への変化・進化や主要部表示言語から依存部表示言語への変化・進化などが相当すると考えられる。

 

 そうであれば、言語の並行変化はある言語の祖語から分岐した言語間に起こるだけではなく、大きく見れば、「人類祖語」から分岐した諸言語間でも起こることであると考えられる。

 

 そして、この視点から、世界の諸言語の変化・進化の状況を俯瞰することが可能となる。            

 

(h)改新と保持の区別

 

 改新と保持は常に容易に区別できるとは限らない。ある形質を保持とみなすか改新とみなすかで仮定される変化は異なるが、類型論的に生じやすい変化を仮定する見解の方を支持することで、この問題の一部を解決することができる。これはっまり、より自然な変化を仮定する再建を優れたものとみなす自然性の原理から改新と保持に関する判断を評価する方法である。

 

 平子他論文による改新と保持の区別は多分に概念的なのもであり、おそらくは相対的なものであり、それ自体に異論があるわけでもないが、森信成が「マルクス主義と自由(合同出版)」でいうように、問題は言語の変化の過程の「具体的状況の具体的分析」であり、それには「導きの糸」としての「理論」は不可欠なのである。

 

 言語の変化の場合は、その変化の原因である、言語集団の移動と分岐の過程を推定する「理論」こそが必要なのであり、それ抜きの、単なる形式的な語形の比較からは、実りある厥厘は得られないと考えられる。
 

(i)系統樹モデルの限界

 

 系統樹モデルには限界があることが古くから指摘されている。

 

 系統樹には、右端節によって表される実在の言語に加えて、根によって表される祖語および内部節によって表される中間祖語が仮定されている。

 

 祖語および中間祖語を実在の言語とみなすならば、それを話す共同体が過去に実在していたはずであり、そのような共同体と系統樹の節とは一致するはずである。したがって系統附における枝の分岐は、もともとは一体であった共同体が別々の共同体へと解体するという実際の事件を表していることになる。

 

 そのような事件の典型は、もともといた土地から別の土地への移住である。あるいは、たとえ|司じ上地にとどまっていたとしても、何らかの理由によって、共同体を構成するある小集団が他と社会的な接触を断つことによっても共同体は解体されうる。


 系統樹は、枝が2つに明確に分岐し、その後は枝と枝が交わることがないことが示すように、共同体が急激に分離し、その後は共同体間の社会的接触が完全に断たれるような歴史上の事件を前提としている。いくつもの内部節(中間祖語)をもつ系統樹を提案するということは、そのような事件が歴史上何度も繰り返し起こったことを主張していることになる。


 しかしながら共同体の分離はその後の交流の完全な断絶を伴うとは隕らず、分離後もある程度の交流が継続されるのがむしろ普通である。

 

 ある集落Aの住人の一部が無人の土地を開拓し、そこに新たな集落Bを形成するという仮想上の事例を検討してみよう。この分村という出来事ののち数世代を経て、集落Bの言語(言語B)は改新を生じた結果、集落Aの言語(言語A)との間に差異が観察されるようになった。系統樹モデルを用いると、この事件はAB祖語から言語Aと言語Bへの分岐と解釈される。ところがその後、集落Bは、隣接する巣落Cと密接な交流をもつようになった。集落Cの言語(言語C)は、集落Bの分村より前の時代に言語A, B, Cの共通祖語(ABC祖語)から分岐した言語であったが、集落Bが集落Cと密接に交流することによって、言語Bは言語Cの形質の一部を借用するようになった。その結果、言語Bは表面的には言語Aより言語Cに類似するようになった。


 しかし系統樹モデルは便宜的にこのような接触による言語収斂と分岐とを別々に扱う。分岐に基づく言語の歴史を扱う系統樹は、言語収斂を扱うことを主目的としたモデルではないので、言語Bの歴史の重要な一側面である言語収斂を解明したい人々の期待に十分に応えることができない。この点で系統樹モデルは批判されることがある。


 さらに、共同体の分離は必ずしも急激ではない。つまり共同体と共同体の境界は明確とは限らないし、その境界は瞬時に現れるとは限らない。

 

 系統樹モデルでは、共同体の分離と、共同体における改新の誕生およびその定着が、同時かつ瞬時に行われることを前提としている。しかしながら実際は、共同体の成員の一部に改新が誕生してから共同体の全成員にそれが定着するまでには時間がかかる。ある改新が共同体全体に定着する前に、別の改新が共同体の一部の成員に誕生し、ほかの成員へと拡散していくこともある。

 

 このように、ある共同体における複数の改新の分布が連続体を呈するとき、言語の分岐が生じたとにるのか否か、生じたとするならばどこに言語の境界を引くのかが問題となりうる。地理的に隣接する言語変種はわずかに異なるだけだが、距離が離れれば離れるほど差異が連続的に増加してゆく方言連続体は世Iが中に広範に観察される。方言連続体は言語変化の結果であるが、このような、言語変化の様相に関心のある人にとって、それを主たる対象としない系統樹モデルは批判されることがある。


 しかしながら、すべての道具にはそれに固有の利用目的があり、万能な道具は存在しない。系統樹モデルであれ何であれ、すべてのモデルは特定の目的に向けて現実の世界を把握するための道具であり、そのためには単純化、抽象化、理想化が必ず行われる。扱えない対象が生じるのは必然である。

 

 言語変化をめぐる複雑な現象のどこが見たいかによって選択されるモデルは変わってくる。系統樹は継承と多様化のモデルであって、それ以外の現象を扱うためのモデルではない。系統樹モデルにおいて、言語接触などが捨象されるのは、それが重要でないからではなく、最も関心のある部分をよく見るためである。そもそも、特定のモデルが対象とどれほど一致しているかあるいは外れているかがわかるには、モデル化(単純化、抽象化、理想化)が不可欠である。


 系統樹モデルの限界を補うものとして波紋説が取り上げられることがある。波紋説は系統樹モデルとは異なり、言語の急激な分岐や共同体間の交流の欠如を前提しない。

 

 このモデルでは、改新は水面に石を投じたときに生じる波紋のように、ある地点を起点として外側へ円を描きながら徐々に広がってゆくとされる。ある改新と別の改新は同じ大きさの円を描いて拡散するには限らず、また波紋の起点も異なりうる。

 

 その結果、地域ごとに異なる改新をもつ種々の言語変種が生じ、ある言語変種と別の言語変種の境界は明確ではなくなる。系統樹モデルは時間軸に沿った縦の継承を扱い、ある言語と別の言語は離散的に異なるものとみなすのに対して、波紋説は空間における横の伝播を扱い、ある言語と別の言語の差は連続的なものとみなす点で異なる。

 

 平子他論文が指摘するように、言語系統論が成立する前提は、言語共同体の分岐・分裂を前提にしている。

 

 そうであれば、言語の変化を言語系統論として議論する前提は、その言語を話していた言語集団の分岐・分裂を解明することであるはずである。

 

 しかし、平子他論文による琉球祖語と上代日本語との比較による「日琉祖語」の再建の議論では、こうした言語集団の移動・拡散、分岐・分裂については殆ど触れられてはいない。

 

 平子他論文は、前提条件の論証抜きに議論を進めようとしているのだと考えられるが、こうした姿勢は少しも学的なものではないと考えられる。

 

 後期旧石器時代に、ホモ・サピエンスの初期拡散によって華北から東アジアに拡散したY染色体ハプログループDの集団から分離して、そのまま日本列島で孤立していった集団がY染色体ハプログループD2の集団であり、Y染色体ハプログループDの集団の言語が「人類祖語」から早期に分岐した言語であり、Y染色体ハプログループD2の集団の言語は、その「人類祖語」の古い特徴を多く残存させていた言語であったと考えられる。

 

 Y染色体ハプログループD2の集団の言語は、日本列島への様々な言語集団の流入にもかかわらず、日本語の基層言語となったと考えられるが、そうであったとすれば、日本語との系統関係を解明できるのは「人類祖語」だけであって、ツングース語もオーストロネシア語も日本語との「借用関係」はあっても、「系統関係」はないと考えられる。

 

 そして、日本語の系統樹は「人類祖語」との間でしか書けず、ツングース語ともオーストロネシア語とも日本語との系統樹は描けないのである。