「人類祖語」の再構成の試みについて(95) | 気まぐれな梟

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 今日は、Simon & Garfunkelの「The Best Of Simon & Garfunkel」から、「A Hazy Shade Of Winter」を聞いている。

 

(57)アイヌ語

 

(a)アイヌ語の人称代名詞と人称接辞

 

 アイヌ語の人称代名詞については、近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)を参考にして、「「人類祖語」の再構成の試みについて(80)」で、以下のように言った。

 

 アイヌ語の人称代名詞は、1人称の単数がkuani、複数排除がciokay、複数除外がanokay、2人称の単数がeani、複数がeciokayとなる。

 

 近藤論文によれば、「anは単数のもの, okaは複数のものの存在を表す」存在動詞であり、-iは具格接辞の*-tiに由来する連用形接辞であり、「ku-というのは「私」を意味する」ので、kuani「の組成は, ku-an-i「私あり(て)」であ」り,「ci-は「私たち」を意味するので」, ciokay 「は本来のci-oka-i「私たちあり(て)」が人称代名詞となったあとで,語尾の-i」が-yに音声変化したものである。

 

 「人称代名詞・人称接辞の始まり」、「つまり, ku-が「私が」,ci-が「私たちが」,e-が「あなたが」,a-が「(不特定の)人が」であったりするのは」,以下のようにして始まった。

 

 「すなわち, ku-とa-はアジア太平洋諸語の祖語に存在したと仮定される属格接辞*-gaから派生した具格接辞を引き継いだものである」

 

 「また, ci-は同じ祖語に存在したと仮定される奪格接辞*-tiから生まれた具格接辞を引き継いだものであり,e-は同じ具格接辞の*-tiから生まれた-iがさらに弱化したものである」

 

 そして,「ku-は「私」をゼロ形態にしたø-ku-Γøにより」という表現として始まった」ものであり、「同様に, a-はもともと「私たち」をゼロ形態にした表現であり,e-は「あなた」を,a-は「(一般的な)人」をゼロ形態にした表現であった」

 アイヌ語には人称代名詞のほかに人称接辞があるが、近藤論文によると以下のとおりである。

 

      表 アイヌ語の人称接辞

 

       主格人称接辞   目的挌人称接辞

          自動詞 他動詞 他動詞 

 1人称単数  ku-   ku-  en-

   数排除 -as   ci-    un-

   複数包含 -an   -an    i-

2人称単数      e-   e-     e-

   複数      eci-   eci-   eci-

3人称単数     無      無     無

   複数      無     無    無

 

(b)アイヌ語の人称接辞の役割分担

 

 松本克己の「世界言語のなかの日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)は、「アイヌ語の人称代名詞で最も注目されるのは、1人称の代名詞である」といい、「ここには紛れもなく、基幹子音にk-を持つkuとn-を持つenという2つの形が共存してい」て、「その用法を見ると、ku形は動詞に接して主語人称、名詞に接して所有人称を表し、一方en形は、もっぱら目的語人称に当てられた形である」という。

 

 ここで、松本論文は、「人称代名詞」と言っているが、表「アイヌ語の人称接辞」をみれば、それは人称接辞のことであるのがわかる。

 

 続いて、松本論文は「k-形とn-形のこのような役割分担は、先に見た東部オセアニア語群のそれと完全に符合するもので、アイヌ語の人称代名詞が太平洋沿岸型に属することの最も確かな証拠と言ってよいだろう」という。

 

(c)モトウ語の人称接辞の役割分担

 

 ここで、東部オセアニア語群の人称接辞を見てみると、松本論文が列挙している8言語のうち、主格・所有格のほかに目的挌の人称接辞を持っているのはモトウ語だけであり、そこでは、主格-gu、目的挌na-となっているが、それだけでは、松本論文が「最も確かな証拠」というには弱いと考えられる。

 

 また、松本論文によれば、東部オセアニア語群では「動詞の人称標示は通常主語人称だけに限られる」、「目的語の標示には独立形(人称代名詞)のnauが当てられる」という。

 

 しかし、モトウ語の1人称単数の人称代名詞は主格がiauで目的挌がlauとなっていて、フィジー語の1人称単数の人称代名詞は主挌はyauで目的挌がauなので、人称代名詞についていえば、松本論文がいうような、k-型とn-型の「役割分担」ものはないし、独立形(人称代名詞)の*nauがn-型なのは、1人称単数の人称代名詞の主格形が*inauから形成されたためで、*nau自体はk-型の語と対応などはしていないのである。

 

 だから、モトウ語の例は孤立した事例なのであり、なぜ、東部オセアニア諸語の中でモトウ語の人称接辞のみが、松本論文がいうk-型とn-型の「役割分担」を持つのかということを説明できなければ、つまり、それが東部オセアニア諸語のどの言語にもあったことだったのだが、残存したのがモトウ語のみであったということを説明できなければ、「太平洋沿岸言語圏」の言語に共通の「役割分担」などとはいえないのである。

 

 なお、モトウ語のモトウとは現地語で「小島」のことで、ニューギニアの近い小島では、現地のオーストロネシア諸語の言語が近隣のパプア諸語の影響を大きく受けて大きく変容したという。

 

 このパプア諸語は、現生人類の南方ルートでの第1派の移動に係わるY染色体DNAハプログループC6を持つ集団のna型の言語であったので、現生人類の第2派の移動に係わるka型の言語であったオーストロネシア諸語のうちのモトウ語のみが、パプア諸語の強い影響を受けた。

 

 そうすると、モトウ語の人称接辞に主格と目的挌があるのは、、東部オセアニア諸語の影響ではなくて、松本論文が「太平洋沿岸言語圏」の言語に含めていないパプア諸語からの影響であったのだと考えられるので、このモトウ語の例を、k-型とn-型の「役割分担」の実例とするのは誤りであると考える。

 

(d)ユマ語族の人称接辞の役割分担

 

 松本論文は、南アメリカのホカ系諸言語のうちのユマ語族の人称接辞について、以下のように言う。

 

 ユマ語族の言語では、「動詞の人称接辞として声門閉鎖音?-で始まるのとn-で始まる2つの形が区別されている」が、「しかもここでとりわけ重要なことは、?-形が動詞に接して主語人称、名詞に接して所有人称を表し、一方でn-形が目的語人称を標示するという点である」

 

 「ここに現れた声門閉鎖音が*k-に遡ること、また1人称におけるk-形とn-形のこのような役割分担が、沿岸型人称代名詞本来の姿を反映することは、もはや改めて言うまでもないだろう」

 

 「遠く太平洋を隔てて、ユーラシア沿岸部の北はアイヌ語と南はメラネシア諸語、そして北米大陸の同じく太平洋岸のユマ諸語との問に見られるこのような形態法の細部に関わる一致は、偶然によって生じたとは到底考えられ」ず、「それだけにこの現象は、言語の遠い親族関係の証しとしてまことに驚嘆に値すると言ってよいだろう」

 

 しかし、松本論文が例示している、ホカ諸語のユマ語族のディエゲーニョ語の?naは、的本論文が主張するように、?はkであったとすると、knaとなるが、このknaがka-naであるとすると、ワポ語とユマ語族のディエゲーニョ語の1人称単数の人称代名詞は同形となるので、ホカ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaであり、その1人称単数の人称代名詞は、基本形のnaの前にkaを付加した語形のka-naが基本であったと考えられる。

 

 ホカ系諸言語のうちのユマ語族の人称接辞をみると主格の人称接辞はすべての言語で?となっているが、ユマ語族のワラバイ語の1人称単数の人称代名詞と主格と目的挌の接辞が、それぞれ、na、?-、n-となっているのに対して、ユマ語族ではないホカ系言語のコアウイルテコ語の1人称単数の人称代名詞と主格と目的挌の接辞が、それぞれ、nai、na-、taとなっているので、ユマ語族の人称接辞の?は、kではなくnであると考えられる。

 

 そうすると、ユマ語族の目的挌の人称接辞の原型は例えばti-naであり、それがtaとなったのがコアウイルテコ語の目的挌の接辞のtaであり、それがnaとなったのがユマ語族の接辞の原型であったと考えられる。

 

 そして、その結果、ユマ語族の主格と目的挌の接辞が同じnaとなったので、主格が?に、目的挌がn-に変化して、現在の語形になったのだと考えられる。

 

 そうだとすると、ユマ語族の言語では、人称接辞の主格と目的挌は、同じn-型であったことになるので、松本論文のいう、k-型とn-型の人称接辞の「役割分担」の実例として、ユマ語族を挙げることはできないと考える。

 

 そして、松本論文がいう、「遠く太平洋を隔てて、ユーラシア沿岸部の北はアイヌ語と南はメラネシア諸語、そして北米大陸の同じく太平洋岸のユマ諸語との問に見られるこのような形態法の細部に関わる一致は、偶然によって生じたとは到底考えられない」という主張は、東部メラネシアのモトウ語については、その「一致」とは、パプア諸語の影響という外部的な勝因の結果であり、ユマ語族については、そもそもそういう「役割分担」など成立してはいないので、成り立たないと考える。

 

 だから、アイヌ語の人称接辞でそのような「役割分担」があるとすれば、それは、アイヌ語のみの事例として検討すべきであり、こうした「役割分担」が、「太平洋沿岸言語圏」の言語の重要な特徴であるのかどうか、その検討結果で判断すべきことであると考える。

 

(e)マヤ諸語の人称接辞の役割分担

 

 松本論文はまた、中米のマヤ語族の人称接辞について以下のようにいう。

 「マヤ諸語の人称接辞は、A類(setA)とB類(setB)と呼ばれる2つの類に分かれる」が、「A類の人称接辞は、他動詞に接して主語(=動作主)人称、名詞に接して所有人称を表し、他方のB類は、他動詞に接して目的語人称、自動詞に接してその主語人称を表す」ので、「マヤ諸語の人称標示は、典型的な能格型のタイプに属している」

 

 そして、松本論文が例示している、表「6。31マヤ諸語の人称接辞」によれば、1人称の人称接辞の松本論文が推定する祖語形はA類が*ku-でB類が*-in/-enとされている。

 

 また松本論文は、マヤ語の「人称標示は、太平洋沿岸型の他の言語群ではほとんど例のない能格型を示すけれども、k-形が他動詞に接して主語(=動作主)人称、名詞に接して所有人称を表し、一方n-形が他動詞に接して目的語(=被動者)人称を表すという点に関するかぎり、これまで検討してきたメラネシア諸語やアイヌ語、さらにまたユマ諸語のそれと全く変わりがな」く、「これはまさに、マヤ諸語の人称代名詞が太平洋沿岸型に属することの動かし難い証拠と言ってよい」という。

 

 松本論文が指摘するように、マヤ語は自動詞文の動詞の主格の人称接辞がA類で他動詞文の動詞の主格の人称接辞がB類、他動詞文の名詞の目的挌の人称接辞が、自動詞文の動詞の人称接辞と同じB類なので、能格言語である。

 

(f)目的語の誕生と人称接辞

 

 近藤論文によれば、言語の構文の歴史は、1語文から2語文へ、そして3語文へと変化していったが、その過程で、副詞句を持った自動詞文が、まず、能格標識を持った能格主語になって他動詞文となり、さらにその能格標識が活挌標識を経て主格標識となって他動詞文における主格主語が誕生するのだが、それと並行して、元の副詞句を持っていた自動詞文の主語が、新しい他動詞文の目的語となって対格標識を持つようになったのである、という。

 

 この言語の構文進化の初期の段階の言語が能格言語であり、能格言語の他動詞文の目的語は、元の副詞句を持った自動詞文の主語であったので、その自動詞文の動詞が他動詞文の動詞となっても、その動詞との結びつきが強く残存していたので、他動詞文の名詞の目的挌の人称接辞が、自動詞文の動詞の人称接辞と同じになっていたのである。

 

 例えば、崎谷満の「新北海道史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文2」という)によれば、動詞の数の一致について、ヨーロッパ語は対格言語であるので、他動詞目的語は動詞の単数複数には影響を及ぼさないが、アイヌ語は、逆に主語ではなく目的語によって他動詞の単数・複数が規定されるというが、これは、アイヌ語の他動詞文の目的語が、その昔、他動詞文ができる前は自動詞文の主語であり、動詞の単数・複数を規定していたことの残滓である。

 

 また、近藤論文によれば、人称接辞は具挌接辞に起源するもので、自動詞文の副詞句の具各接辞が人称接辞になったというが、そうすると、その昔の副詞句を持たない自動詞文に人称接辞はなかったということになるが、それは、少数の知り合いの間での会話では、わざわざ「私が」とか言わなくても話が通じたからであり、人称接辞を付加する必要がなかったからであると考えられる。

 

 そして、具挌接辞からできたばかりの人称接辞のga「で」も、当初は、その場の状況に合わせて「私」であったり「あなた」であったり、「私たち」を意味して使われていたのだが、例えば、部族の公式な族長会議などで複雑な案件を検討しなければならいときなどには、そのga「で」が一体誰を指しているのかを特定しないといなくなり、ga「で」が「私が」になり、言語によってmaになったりtiになったりしたが、それらが「あなた」になっていったと考えられる。

 

 だから、人称接辞は、まず1人称ができて、それから2人称ができたのだが、他動詞文ができると、主格と目的挌(対格)の区別も人称接辞で行う必要が出てきたので、gaから分かれたkaとnaやmaやtiを組み合わせて、それらの接辞が形成されていったと考えられる。

 

 そして、そのときに、どんな具各接辞を選択するか、どんな具各接辞を組み合わせるかは、それぞれの言語の伝統を踏まえて決められたと考えられるが、世界のすべての現生人類が、出アフリカした少人数の現生人類の後裔であり、彼らがすでに言語を話していたとすれば、その言語の具各接辞や人称接辞は後の言語に引き継がれていき、第1次の移動をした現生人類が第2次の移動をするときに、元の現生人類に集団から分岐したとすれば、彼らの言語も、同じように分岐して、元の言語の特徴を踏まえた新たな特徴が生み出されていったのだと考えられる。

 

 そうすると、当初の現生人類の集団の言語の具各接辞gaから形成された人称接辞のnaは、そこから分岐した別の現生人類の集団ではkaとなり、それぞれの言語が分岐していっても、それらの言語内で、1人称単数の人称接辞の基本形とされていったと考えられる。

 

 そして、1人称単数の人称接辞の基本形をnaとする言語の後裔言語と同じくそれをkaとする言語が、具各接辞を組み合わせて2人称単数の人称代名詞や目的挌(対格)の人称接辞をつくるときにも、言語群ごとに、その基本形の違いが生じたのだと考えられる。

 

 だから、マヤ諸語の人称接辞と人称代名詞を検討するときには、そこに組み合わされている具各接辞に起源する人称接辞の基本形が何なのか、それが、現生人類のどの移動に係わる集団の言語から派生したものなのか、ということを確認する必要があり、それらから、そうした組み合わせの「根拠」を理解しなければならないと考える。

 

(g)マヤ諸語の人称接辞と人称代名詞

 

 マヤ語の人称接辞と人称代名詞については、「「人類祖語」の再構成の試みについて(90)」では、マヤ諸語はna型の言語であり、マヤ語の能格(A類)の人称接辞の語形はnaを基本形として具各接辞を組み合わせた語から形成されており、その1人称単数はi-ni-kuで、2人称単数はna-kuであったと述べた。

 

 マヤ諸語でも目的挌の人称接辞は能格の人称接辞ができた後に、具挌接辞を組み合わせて作られたとすると、その材料は、能格の人称接辞と目的挌の人称接辞が同じようになって、構文の意味が混乱しないようなものから、そして手近にあるものから選択されたと考えられる。

 

 そこで、仮に、i-ni-kuをin-kuとして、その前半のinがenに音変化したとすると、それはen-kuとなるが、このenやinは、マヤ諸語のB類(絶対挌)の1人称単数の人称接辞の祖型*in/-enと同じになり、その後半のkuは、マヤ諸語のA類(絶対挌)の1人称単数の人称接辞の祖型*kuと同じになる。

 

 なお、マヤ諸語の能格の1人称単数の人称代名詞がniなのは、その元になった人称接辞が、前後に分割される前のA類(能挌)の1人称単数の人称接辞のi-ni-kuであったからで、そこからniが残って、人称代名詞になったのであると考えられる。

 

 人称代名詞や人称接辞は、最初に主格(能格)の1人称単数が、次に主格(能格)の2人称単数が、そしてそれに遅れて目的挌の1人称単数と2人称単数が形成されたとすると、A類(能挌)の1人称単数の人称接辞のi-ni-kuから、iを消去して、niをnaに変えて、まず、同じく2人称単数の人称接辞のna-kuが形成されたと考えられる。

 

 そして、A類(能挌)の1人称単数の人称接辞がkuとなり、それがkwとなったので、A類(能挌)の2人称単数の人称接辞のna-kuも、それと同じような形になってakwやA類(能挌)の2人称単数の人称代名詞の古典マヤ語のaやawとなったと考えられる。

 

 こう考えれば、マヤ諸語のA類(能挌)の1人称単数の人称接辞のkuが、古典マヤ語のA類(能挌)の1人称単数の人称代名詞のniになっていることの理由が分かる。

 

 なお、マヤ諸語のB類(能挌)の2人称単数の人称接辞は、チョル語のeiやケクチ語のatから、その1人称単数の人称接辞inの原型のi-niをi-naに変え、tiを付加した、i-na-tiを原型としていると考えられる。

 

 そうすると、マヤ諸語のB類(能挌)の2人称単数の人称接辞も、その1人称単数の人称接辞の形成を前提として、それを差別化することで形成されたと考えられる。

 

 これらから、マヤ諸語の人称接辞は、A類の人称接辞の原型を前半と後半に分割して、後半をA類の人称接辞に、前半をB類の人称接辞にするという、安易といえばそうなのだが、とにかく手近にある素材を活用して差別化するという方法で形成されたものであったと考えられる。

 

 また、松本論文は、マヤ諸語は「A類の人称接辞から見ていくと、言語間の対応は非常に規則的で、祖語形として*ku-というような形を容易に導き出すことができる」といい、その根拠は、「一部の言語を除いて、語頭のk-は規則的にゼロ子音に変わったと見られるからである」という。

 

 しかし、これまで見てきたように、表面上の「非常に規則的」な語形ではなく、「一部の言語」に例外的に残存した語形に注目すると、A類とB類に分割だれる前の、A類の1人称単数の人称接辞の原型は、na型のi-ni-kuであったと考えられるので、松本論文の分析は、表面的なものにとどまっていて、人称接辞の構造やその形成方法の検討に至っていないと考えられる。

 

 こうした、マヤ諸語の人称接辞や人称大飯についての検討結果を前提として、松本論文がいう、マヤ諸語のA類(能格)の人称接辞のk-型とB類の人称接辞のn-型の「役割分担」が、マヤ語が「太平洋沿岸言語圏」の言語に属する「確かな証拠」といえるのかどうか、そしてそれが「まことに驚嘆に値すると言ってよいだろう」といえることなのかどうか、以下、検討する。