「人類祖語」の再構成の試みについて(86) | 気まぐれな梟

気まぐれな梟

ブログの説明を入力します。

 今日は、鬼束ちひろの「HYSTERIA」から、「UNCRIMINAL」を聞いている。

 

(27)オーストロアジア諸語

 

 松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)は、オーストロアジア諸語をインドシナ半島のモン・クメール諸語とインド半島のムンダ諸語に区分し、さらにモン・クメール諸語をベトナム人の言語のベトナム語やミャンマー南部のモン人のモン語などの北西群の諸語とカンボジア人の言語のクメール語などの南東群の諸語に区分している。

 

(a)モン・クメール諸語北西群

 

 松本論文が例示しているモン・クメール諸語の北西群の言語はパラウン語群ではワ語など、クム語群ではクム語など、カトゥ語群ではカトゥ語など、そしてモン語とヴェト・ムオン語群のヴェトナム語などである。

 

 松本論文の例示によると、1人称単数の人称代名詞は、ワ語で?ʌ?、クム語で?o?、カトゥ語でku、モン語でor、ヴェトナム語でtoiとなっている。

 

 このうち、ワ語の?ʌ?やクム語でのo?について、松本論文は、「北西群諸語の1人称の頭子音は、多くの言語で声門閉鎖、/h/あるいはゼロで現れ、本来のk-を保持する言語は少ない」というが、これは、松本論文が以前指摘していたように「太平洋沿岸型のkー形の1人称代名詞は、その基幹子音のk-が声門閉鎖や摩擦音の段階を経て、完全に消失するというような変化をしばしば起こし、その意味でk-はかなり不安定な子音である」からであり、これらの人称代名詞の本来の語形はkuであったと考えられる。

 

 バラウン語群、クム語群の1人称単数の人称代名詞の基本形がkuであるならば、モン語のoaがkuに関わるkaに起源するとすればは、カトゥ諸語とモン語の1人称単数の人称代名詞の基本形もkuとなるが、ヴェト・ムオン諸語の1人称単数の人称代名詞はkuヴェトナムkuに関わるkoに起源するチュット語のho以外の、ヴェトナム語やムオン語のtoiは、他の語形と異なっている。

 

 この点について松本論文は、「ヴェトナム語とムオン語の人称代名詞は」、「敬語法の影響によって大きな変容を受けて」おり、「その1人称に現れるtoiという形は、日本語の「ヤツガレ(くヤツコ・アレ)」「僕」などと同じく、元は「奴隷、下僕」を意味する通常語彙であ」ったという。

 

 そうすると、そうした変化をする前には、ヴェトナム語とムオン語の1人称単数の人称代名詞の基本形もkuであり、モン・クメール諸語の北西群の諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はすべてkuであったと考えられるが、このkuは、近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)を参考にすれば、具格接辞*gaがga→ka→kuと音変化したものであったと考えられる。

 

 松本論文の例示によると、2人称単数の人称代名詞は、ワ語でmai?、クム語でmi、カトゥ語でmai、モン語でpeh、ヴェトナム語でmayとなっているが、これらのうちモン語を除く人称代名詞は、maにiが付いたmaiが基本形であり、近藤論文を参考にすれば、そのmaは具格接辞*maのmaであるが、そのiが具格接辞*tiに起源するiであったとすれば、maiとは、近藤論文によるゼロ標識の人称接辞+存在動詞+連用形接辞の副詞句が人称代名詞になったという主張を参考にすれば、具格接辞が人称接辞に変わったma+連用形接辞iという構成であったと考えられる。

 

 また、モン語の2人称単数の人称代名詞pehは、モン語以外のパラウン語群やクム語群、カトゥ語群の諸語の2人称複数の人称代名詞のpeとよく似ており、それは、ヴェト・ムオン諸語のムオン語の2人称単数の人称代名詞のpaとも似ているので、モン語やムオン語では、2人称単数の本来の語形を棄てて、他の諸語の2人称複数の語形を使用するようになったのだと考えられる。

 

 そうすると、モン語やムオン語を含めて、モン・クメール諸語の北西群の諸語の2人称複数の人称代名詞の基本形は、ヴェト・ムオン諸語のチュット語のmiがmaiが音変化たものであったとすれば、具格接辞*maに起源するmaiであったと考えられる。

 

 なお、存在動詞「ある」は、モン語ではua、ベトナム語ではthilao、クメール語ではtrauvであるが、それらのうちで最も簡素な語形のuaをモン・クメール諸語の北西群の諸語の存在動詞の基本形とし、連用形接辞を仮にiとすると、1人称単数の人称代名詞はø-ku-au-i「私ありて」がその起源であり、2人称単数の人称代名詞はø-ma-au-i「あなたありて」がその起源となるが、これらの語形は、ミャン・ヤオ諸語の人称代名詞の語形とほとんど変わらない。

 

 崎谷満の「新日本列島史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文」という)によれば、ミャン・ヤオ語族はY染色体DNAハブログループのO2aの集団で、オーストロアジア語族はY染色体DNAハブログループのO1bの集団であり、両者は古くに分岐した集団であったというが、両者の人称代名詞の語形がほぼ同じなのは、それらが、それらの言語が分岐する前のY染色体DNAハブログループのOの集団に起源するものであったと考えられる。

 

(b) モン・クメール諸語東南群

 

 松本論文が例示しているモン・クメール諸語の南東群の諸語は、クメール語、バナル語群ではチュラウ語など、アスリ語群ではセマイ語などである。

 松本論文の例示によると、1人称単数の人称代名詞は、クメール語でkhonm、チュラウ語でmai、セマイ語でeŋとなっている。

 

 なお、バナル語群のスティエン語の?anやアスリ語群のセメライ語の?ɔnなどの?はkの消失ではないと考えられる。

 

 また、クメール語のkhonmは、松本論文によれば、「ヴェトナム語やムオン語と同じように、敬語法の影響によってその人称システムが大きく変容して」おり、「本来の1人称anにとって代わったkhnomも、元は「奴僕、家来」を意味する語だった」という。

 

 これらから、モン・クメール諸語の南東群の諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はanであったと考えられる。

 

 近藤論文を参考にすれば、このanは、具格接辞*gaがga→ŋa→na→anという過程で音変化したものであり、その原型はnaであったと考えられる。

 

 松本論文の例示によると、2人称単数の人称代名詞は、クメール語でnɛək、チュラウ語mai、セマイ語でme?となっている。

 

 これらのうち、セマイ語のme?は本来はチュラウ語のmaiと同じ語形であり、クメール語のnɛəkが1人称単数のkhonmと同じように、「敬語法の影響によってその人称システムが大きく変容し」た結果であるとすれば、クメール語のhpン来の語形もmaiであったと考えられる。

 

 また、バナル語群のバナル語のeやアスリ語群のサカイ語のhɛ、セメライ語のknは、それぞれ、2人称複数の人称代名詞のyəm、hɛ、ye?enと同じかその音変化したものであるので、これらは、2人称単数の本来の語形を棄てて、2人称複数の語形を使用するようになったのだと考えられる。

 

 そうすると、モン・クメール諸語の南東群の諸語の2人称単数の人称代名詞の基本形はmaiであったと考えられる。

 

 近藤論文を参考にすれば、このmaiは、具格接辞*maにiが付加されたものであるが、このiは具格接辞*tiに起源するiであるが、人称代名詞の原型の副詞句の連用形接辞のiであったと考えられる。

 

 なお、松本論文は、モン・クメール諸語の南東群の諸語の1人称単数の人称代名詞の祖語を*aniとし、モン・クメール諸語の南東群の諸語の個々の言語の語形のanにiを付加しているが、仮に実際の構文ではan-iであったとすれば、このiも、具格接辞*tiに起源する、人称代名詞の原型の副詞句の連用形接辞のiであったと考えられる。

 

 モン・クメール諸語の南東群の諸語の存在動詞を、例えばクメール語の存在動詞のtrauvから、auなどとし、連用形接辞をiとすると、近藤論文を参考にすれば、モン・クメール諸語の南東群の諸語の1人称単数の人称代名詞のanの原型をnaとすればø-na-au-i「私ありて」がその起源であり、2人称単数の人称代名詞のmaiはø-ma-au-i「あなたありて」がその起源となる。

 

 そうすると、松本論文の1人称単数の祖型aniは、このø-na-au-iから音変化でa-auが消失し、nの前にaが、後ろにiが付加されて構成されたと考えられる。

 

 また、同様に、松本論文の2人称単数の祖型maiは、このø-ma-au-iから音変化でauが消失して構成されたと考えられる。

 

(c)ムンダ諸語

 

 松本論文が例示しているムンダ諸語は、サンタール語、ムンダリ語、ホー語などである。

 松本論文の例示によると、1人称単数の人称代名詞は、サンタール語でin、ムンダリ語でan、ホー語でaiŋとなっている。

 

 これらの語は、近藤論文を参考にすると、具格接辞*gaがga→ŋa→na→nと音変化した語の前にaやiが付加されたものであり、それらの基本形はanであるが、その祖型はnaであったと考えられる。

 

 なお、松本論文によると、サンタール語、ムンダリ語、ホー語の1人称単数の人称接辞は、みな-nであるが、前述のように、このnの祖型はnaであったと考えられる。

 

 松本論文の例示によると、2人称単数の人称代名詞は、サンタール語、ムンダリ語、ホー語では、みなamとなっている。

 

 これらの語は、近藤論文を参考にすると、具格接辞*maがma→mと音変化した語の前にaが付加されたものであり、それらの基本形はamであるが、その祖型はmaであったと考えられる。

 

 なお、松本論文によると、ムンダ諸語の2人称単数の人称接辞はサンタール語、ムンダリ語で-me、ホー語で-mであるが、前述のように、このmの祖型はmaであり、maに連用形接辞iが付加されたmaiがmeとなったのだと考えられる。

 

 ムンダ諸語の存在動詞はよく分からないので、それをチベット・ビルマ語族がインドシナ半島に南下してくる前にはムンダ諸語の集団と隣接していたモン・クメール諸語の南東群の存在動詞のtrauvから、auなどとし、連用形接辞をiとすると、近藤論文を参考にすれば、ムンダ諸語の1人称単数の人称代名詞のanの原型をnaとすればø-na-au-i「私ありて」がその起源であり、2人称単数の人称代名詞のmaiはø-ma-au-i「あなたありて」がその起源となる。

 

 そうすると、松本論文の1人称単数の祖型aniは、このø-na-au-iから音変化でa-auが消失し、nの前にaが、後ろにiが付加されて構成されたと考えられる。

 

 また、同様に、松本論文の2人称単数の祖型maiは、このø-ma-au-iから音変化でauが消失して構成されたと考えられる。

 

 このように考えると、モン・クメール諸語の南島群の人称代名詞の基本形とムンダ諸語の人称代名詞の基本形は、ほとんど同じになる。

 

 松本論文は、「ムンダ諸語には待遇法の影響による人称システムの変容は全く見られ」ず、「1人称の基幹子音は一貫してn-で現れ、a-(またはi-)の増幅成分を持つその独立代名詞形は、モン・クメール南東群のそれとほぼ完全に一致する」というが、こうした「基幹子音」という主張は、naが具格接辞*gaに起源するもので、naはnにaが「増幅」されたものではないことを理解しないものであり、-nの由来も明らかにすることが出来ないもので、従えない。

 

(d)先住民族の言語による影響

 

 なお、これまでみてきたように、同じY染色体DNAハブログループO2bの集団であるオーストロアジア諸語に属するモン・クメール諸語の北西群の諸語モン・クメール諸語の東南群の諸語やムンダ諸語とは、1人称単数の人称代名詞の基本形が異なっているが、ミャオ・ヤオ諸語との類似性から、モン・クメール諸語の北西群の諸語の1人称単数の基本形のkuがオーストロアジア諸語の1人称単数の人称代名詞の本来の基本形であり、モン・クメール諸語の東南群の諸語やムンダ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形のnaは、インド半島とインドシナ半島の先住民の言語の1人称単数の人称代名詞の基本形を受容したものであったと考えられる。

 

 崎谷論文によれば、東アフリカを出てイラン南部に移動してきた現生人類は、そのままそこに留まる集団と中央アジアに北上する集団とインド半島を海岸沿いに南下する集団に分岐し、南下した集団は、インドシナ半島の沿岸から後期旧石器時代には陸化していたスンダランドに移動し、インドネシアの島嶼伝いにニューギニアに渡り、後期旧石器時代にはオセアニアとニューギニアが繋がってサフルランドを形成していたので、そのままオセアニアに移動した。

 

 この現生人類の南方ルートでの第1次拡散に係わる主なY染色体DNAハブログループはCの集団であり、その集団から、インド半島でC5の集団が、東南アジアでC2の集団が分岐し、このC2の集団が、パプア諸語の集団とオーストラリア原住民の集団に分岐していき、さらにオーストラリア原住民の集団でC4が分岐したと考えられる。

 

 これまで見てきたように、現生人類の第1次の拡散に関わる集団の言語の1人称単数の人称代名詞の基本形がnaであったとすれば、その初期拡散でインド半島やインドシナ半島の主に沿岸部に拡散したY染色体DNAハブログループはC5の集団やC2の集団で、その言語の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaであったと考えられる。

 

 そうすると、オーストロアジア系集団の先住民族のインド半島とインドシナ半島の集団の言語の影響を受ける前には、ムンダ諸語もモン・クメール諸語の東南群の諸語も、1人称単数の人称代名詞の基本形は、モン・クメール諸語の東南群の諸語と同じkuであったと考えられる。

 

 以上から、ミャオ・ヤオ諸語とオーストロアジア諸語の1人称単数と2人称単数の人称代名詞の基本形はほぼ同じになり、両者は「オーストロ・ミャオ」諸語としてまとめることが出来るが、この同一性は、ミャオ・ヤオ諸語の集団とオーストロアジア諸語の集団の共通の祖先であるY染色体DNAハブログループのOの集団に遡及・起源するものであると考えられる。