「人類祖語」の再構成の試みについて(84) | 気まぐれな梟

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 今日は、鬼束ちひろの「HYSTERIA」から、「「蒼い春」」を聞いている。

 

(21)アメリカの諸言語とY染色体DNAハブログループ

 

 崎谷満の「新日本列島史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文」という)によれば、シベリア極北部やアメリカ大陸への現生人類の拡散は、概ね以下のとおりであったという。

 

 約45,000年前に南シベリアのアルタイ・サヤン地域やバイカル湖の周辺の到着した石刃文化を持った現生人類のうちY染色体DNAハブログループのQの集団はシベリアに北上し、約30,000年前にはシベリアに極北部に達した。

 

 その後、最大最終氷期であった約23,000年から20,000年前に南シベリアのアルタイ・サヤン地域で細石刃文化が生まれたが、この文化を担ったのはY染色体DNAハブログループのC3の集団であり、シベリアや中国東北部などのアムール川流域に拡散し、その一部は沿海州からサハリンを経由して北海道に移動してきた。

 

 シベリアからアメリカ大陸への移動は、最大最終氷期に氷床で閉ざされていたベーリング地峡(いわゆる「ベーリンギア」)の氷床が溶けて以降で温暖化が進行してベーリンギアが水没してベーリング海峡が形成される前の、約15,000年前から約10,000前までの間であったと考えられる。

 

 そして、まず最初に、約15,000年前にアメリカ大陸に移動してきたのはY染色体DNAハブログループのQの集団であり、彼らは、しばらくアメリカ大陸の北部が氷床に覆われていたために、その集団の大半はアラスカの南西部にしばらく滞留したが、その後、氷床を避けて西海岸沿いに北アメリから中米、そして南アメリカまで南下し、その過程で内陸部に東進していった。

この集団は言語的にはアメリンド言語集団である。

 

 次に、Y染色体DNAハブログループのQの集団に遅れて約10,000年から7,000年前にアメリカ大陸に移動してきたのはY染色体DNAハブログループのC3の集団であり、寒冷な気候に適応していた彼らはアラスカからアメリカ大陸北西部に拡散していった。

この集団は言語的にはナデネ言語集団である。

 

 次に、約5,000年前に、シベリアからエスキモー・アレウト集団が北アメリカ大陸極北部に流入してきたが、彼らはY染色体DNAハブログループのQとN1cの集団であった。

 

 なお、グリーンランドへのイヌイット人などの拡散は、約1,000年前であり、現生人類の移動と拡散の歴史からすればごく最近のできごとであった。

 

 「「人類祖語」の再構成の試みについて(82)」で述べたように、現生人類の第1次の拡散に関わる集団の言語の人称接辞や人称代名詞は具格接辞*gaに起源する*ŋaを経由したnaが基本形となり、第2次の拡散に係わる集団の言語の人称接辞や人称代名詞は具格接辞*gaに起源する*gaを経由したkaが基本形となったと考えられる。

 

 そうすると、アメリカ大陸に第1次移動したY染色体DNAハブログループのQの集団であったアメリンド言語集団の諸言語の人称接辞と人称代名詞の基本形はnaであり、第2次に移動したY染色体DNAハブログループのC3の集団であったナデネ言語集団の諸言語の人称接辞と人称代名詞の基本形はkaであったと考えられる。

 

(22)アサバスカ諸語

 

 松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)が「ユーラシア内陸言語圏」の言語として例示しているアサバスカ諸語は、ナデネ言語圏の言語の大半を占める言語であるが、松本論文の例示によれば、アサバスカ諸語の1人称単数の人称代名詞は、スレヴィ語、サルシー語、チベワイヤン語ではsi、カト語、ナバホ語ではshi、フバ語ではkwiとなっているが、フバ語のkwiの語頭がkであることと、サルシー語の2人称単数の人称代名詞がniで、2人称複数の人称代名詞がnihiであり、このnihiがni-hiであり、2人称単数の人称代名詞+1人称単数の人称代名詞という構成であったとすると、1人称単数の人称代名詞のsiは、近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)を参考にすれば、具格接辞*tiに起源するsiではなく、具格接辞*gaがkaとなり、そのkaに具格接辞*tiが付加されてkiとなり、それがsiと音変化したものであったと考えられる。

 

 松本論文も、アサバスカ祖語の1人称単数の人称代名詞は*kiだったと推定している。

 

 アサバスカ諸語の2人称単数の人称代名詞は、松本論文の例示によれば、スレヴィ語、サルシー語、チベワイヤン語,ナバホ語ではni、フバ語、カト語ではninとなっているが、近藤論文を参考にすれば、接辞のniは具格接辞*gaがŋaを経由してnaとなり、それに具格接辞*tiが付加されてniとなったものであったと考えられる。

 

 松本論文も、アサバスカ祖語の1人称単数の人称代名詞は*kiだったと推定している。

 

 ここから、第2次に移動したY染色体DNAハブログループのC3の集団であったナデネ言語圏のアサバスカ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形は、同じ2次移動の集団であったインド・ヨーロッパ諸語やチュクチ・カムチャッカ諸語と同じkaであり、そのことは、1人称単数の人称代名詞の基本形がnaとkaに分かれるのは、その言語集団がいる地に初めて来たのが、第1次の拡散のときの現生人類であったか第2次の拡散のときの現生人類であったかの違いに起因するということの例示でもある。

 

(23)エスキモー・アリュート諸語

 

 エスキモー・アリュート諸語の1人称単数の所有接辞は、松本論文の例示によれば、シベリア・ユビック語、アラスカ・ユビック語では-ka、グリーンランド・イヌイット語では-ga、アリュート語では-iŋとなっているが、アリュート語とそれ以外で形態が異なっている。

 

 エスキモー・アリュート諸語の2人称単数の所有接辞は、松本論文の例示によれば、シベリア・ユビック語、アラスカ・ユビック語では-n、グリーンランド・イヌイット語では-it、アリュート語では-iŋとなっており、ここでもアリュート語とそれ以外で形態が異なっている。

 

 エスキモー・アリュート諸語のうち松本論文がグリーンランド・イヌイット語とする言語を近藤論文はグリーンランド・エスキモー語というが、その言語の所有接辞について、「「人類祖語」の再構成の試みについて(80)」で述べたように、近藤論文は、グリーンランド・エスキモー語の人称所属接辞の1人称単数の絶対格の-ŋa/raとし、この-ŋa/raは*-ga>*-nga>-ŋa,あるいは*-ga>*-ya>-raという変化を経て生まれたものであるという。

 

 また、グリーンランド・エスキモー語の人称所属接辞の2人称単数の絶対格を-tとし、この-tは*-tiの反映形であり、1人称単数と複数の関係格(=能格)の-maは格標識の接辞の*-maを継承したものである、という。

 

 そして、エスキモー語における人称所属接辞の始まりは属格接辞の*-gaを1・2・3人称の共通形として,また単数・複数の区別を立てないで、人称的意味を担う部分がゼロ形態名詞に付属させたものであり、*-tlと*-maの反映形の人称所属接辞として使用するようになったのは,人称と数の違いを明示するための二次的な変化であった、という。

 

 近藤論文が言うように、エスキモー語における人称接辞の原型はgaであったが、他の言語ではそのgaはkaとnaに分岐しており、近藤論文の-ŋa/raは、エスキモー語のkaとアリュート語のnaに対応していると考えられる。

 

 また、松本論文の例示は名詞の所有人称接辞で近藤論文の例示は動詞の所有人称接辞であるので両者は微妙に異なっているが、松本論文の例示では1人称単数の目的格人称接辞は-ŋaで、2人称単数の目的格人称接辞は、シベリア・ユビック語とアラスカ・ユビック語で-tən、グリーンランド・イヌイット語で-titなので、近藤論文の動詞の絶対格の人称接辞の例示は松本論文の名詞の目的格の例示に類似している。

 

 -ŋaはna型、-kaはka型であるので、松本論文と近藤論文の例示を綜合すると、エスキモー・アリュート語の1人称単数の人称接辞は、アリュート語が現生人類の第1次拡散のY染色体DNAハブログループQに関わる-na型を、エスキモー語が現生人類の第2次拡散のY染色体DNAハブログループC3に関わる-ka型を、それぞれ持っていると考えられる。

 

 シベリアから5,000年前に流入したY染色体DNAハブログループQとN1cのエスキモー・アリュート集団の人称接辞のタイプに、シベリアから10,000年から7,000年前に流入したY染色体DNAハブログループC3のナデネ集団の人称接辞のタイプが入っているとすれば、その理由は、新たに北アメリカ北部に流入してきたエスキモー・アリュート集団の言語が先住のナデネ集団の言語に影響されたからであったと考えられる。

 

 また、松本論文の例示ではエスキモー諸語の人称接辞とアリュート語の人称接辞の語形が微妙に異なっているが、これは、アリュート語の集団が住んでいたカムチャッカ半島とアラスカを繋ぐアリューシャン列島の言語は、アラスカの古層の言語であったナデネ言語集団の影響を受けなかったので、アラスカに移動する前のシベリアの古い言語の影響が残存していたためであったと考えられる。

 

 つまり、現生人類がアメリカ大陸に渡ったときに、ベーリング海峡が陸化したベーリンジアを経由した人たちのほかに、カムチャッカ半島からアリューシャン列島を経由した人たちがいたが、その人たちは、現生人類の第1派の移動のときの言語の人称代名詞のna型の影響を残存させていたのだと考えられる。

 

 なお、エスキモー・アリュート諸語の人称接辞について、松本論文は、「1人称の基幹子音としてk-/g-、2人称のそれはどうやらn-を導くことができそうであるが、必ずしも確実とは言えない」という。

 

 しかし、人称接辞は、松本論文がいう「基幹子音」のk-/g-やn-が基礎となって、それに母音や他の子音が付加されて構成されたものではなく、具格接辞*-gaや*-ti、*-maの反映形が組み合わされて構成されたものであり、「基幹子音」を想定することで、そうした具格接辞の組み合わせを無視するのは誤りであると考える。

 

 なお、松本論文は、「エスキモー・アリュート諸語もその人称代名詞のシステムは複雑で、独立代名詞.人称接辞共に、多種多様な具現形を備え、この語族に本来の人称体系を復元することは非常に難し」く、「1、2人称の複数形が単数形と規則的に対応していない」というが、こうした「複雑さ」や「多様性」は、人称代名詞の上では、ナデネ言語集団の影響があったエスキモー諸語とそれがなかったアリュート諸語の二つに分かれるエスキモー・アリュート諸語を、一つのものと考えるところから起こったとであると考えられる。

 

(24)根拠のない分類

 

 松本論文がいう「ユーラシア内陸言語圏」の諸言語のうちの「シナ・チベット型の人称代名詞」を持つという言語を近藤論文による人称代名詞の構成で再分類し、崎谷論文に従って、その言語集団の代表的なY染色体DNAハプログループを決定すると、以下のとおりとなる。

 

シナ・チベット諸語 

 人称代名詞の基本形 na

  Y染色体DNAハプログループ D(+O2b)

 

エスキモー・アリュート諸語

 人称代名詞の基本形 ka

  Y染色体DNAハプログループ Q,N1c

 

アサバスカ諸語

 人称代名詞の基本形 ka

  Y染色体DNAハプログループ C3

 

 ここから、松本論文がいう「シナ・チベット型の人称代名詞」を持つという言語の人称接辞や人称代名詞の基礎となる接辞の基本形は、現生人類の第1次移動に係わる言語ではnaが、第2次移動に係わる言語ではkaがあることが分かる。

 

 松本論文は、「シナ・チベット型の人称代名詞」の1人称単数の人称代名詞の「基幹子音」は*k/*ŋであるというが、naはŋaが音変化したもので、kはgaが音変化したkaのkであるので、この「基幹子音」の*k/*ŋは、実はkaとnaのことになる。

 

 これまで見てきたように、「シナ・チベット型」の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaとgaとなるが、「人類祖語」の再構成の試みについて(82)」でも述べたように、松本論文がいう「ユーロ・アルタイ型の人称代名詞」の1人称単数の人称代名詞の基本形もnaとgaとなるので、結局、松本論文がいう「ユーラシア内陸言語圏」の言語の1人称単数の人称代名詞の基本形は、その全ての言語でnaとkaになる。

 

 そうすると、松本論文のいう「ユーロ・アルタイ型の人称代名詞」と「シナ・チベット型の人称代名詞」に分ける根拠は何もなくなる。

 

 そうであれば、「「人類祖語」の再構成の試みについて(82)」でも述べたように、言語の人称接辞や人称代名詞のタイプの分類は、その言語が現生人類の第1次移動に係わる集団の言語か第2次移動に係わる集団の言語かを基準とすべきであると考える。