全国野球場巡りの旅の続き。


DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA という野球場というか練習場が出来たのは知っていた。練習場のオープンは2019年7月。そしてNPB試合開催要件を満たした2023年以降、ベイスターズ二軍の練習試合はちょこちょこ開催されていたようである。NPB関連球場なのでぜひ行きたいとは思ったが、しかし試合開催情報がつかみにくいことに加えネット裏観客席が無いことからちょっと行く気がせず「NPB球場なのに未踏破」は無念ながらこのまま行かずじまいになるかもと思っていた。

しかし今月7日、野球観戦仲間のH瀬氏より14、15の両日、「第2回横浜DeNAベイスターズカップ~2026年神奈川県中学軟式野球選手権大会~」なる大会で同球場が使われるという情報をいただき、中学軟式ならそう混雑することもあるまい、これは踏破のチャンスと出かけることにした。調べると昨年の第1回大会は5月に行なわれDOCKは使われなかった模様。また翌週の2026年2月21、22日には中学硬式野球の同大会が開催される予定。このままこの大会のDOCK開催が定着すれば、球場メグラーの皆さんもこの球場に行きやすくなることだろう。

 

2026年2月15日 日曜日

09:30 自宅にて『超宇宙刑事ギャバン』(テレビ朝日)の第1話見る。魅力感じず。来週から見ない。

09:59 板橋の自宅出る。

10:16 板橋駅からJR埼京線。

10:36 大崎駅着。

10:41 大崎駅から山手線。

10:44 品川駅で下車。運賃318円。

10:50 品川駅から京急線。

11:34 追浜駅で下車。運賃566円。

駅から球場目指し歩く。球場までの道案内が各所に出ており地域との密着感が感じられ好感。途中よさげな古書店発見。帰りに寄ろう。また途中「ほっともっと」があり、ノリ弁のライス大盛り買う。550円。駅から徒歩25分で球場。

 

DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA。ネット裏席無し。スコアボード無し。ナイター照明無し。スピーカーの位置が良くないのか場内アナウンスが聞き取りにくい。しかし本来は球場でなく練習場であることを考えるとこれらは欠点とはいえまい。一塁側に座面が木製のデッキふう観覧席あり。(最大3段)。ライト場外にも芝生の敷かれた土手ふうの観覧スペース有り。球場名表示の看板もシャレたデザイン。マツダとかエスコン、Gタウン、SGLもだが、野球場もカッコイイ建築デザインが要求される時代。球場巡りはますます楽しくなっていきそう。「球場巡りは宇宙一ですよ!」(高橋成美の声で読んでね)

観戦したのは「第2回横浜DeNAベイスターズカップ~2026年神奈川県中学軟式野球選手権大会~」2回戦。伊勢原市立伊勢原中学10-2南足柄市立岡本中学(7回制・5回コールドゲーム)。一塁側ダグアウトのすぐ外野寄りの所に立って観戦。入場無料。場内アナウンス有り。パンフ多分無し。一球速報サイトにメンバー表、スコアブック公開有り。通算1213球場め。

 

試合後、また歩いて追浜駅に戻る。古書店寄るも収穫無し。

15:49 追浜駅から京急線。品川まで。運賃566円。混んでいた。品川から板橋までJR(赤羽周りで帰った)。運賃318円。

17:17 板橋駅下車。

17:30 帰宅。

今回の旅のMVPは「DOCKのデザインセンス」。

 

以下にDOCK関連記事を資料として保存。

 

本市をホームタウンとする「横浜DeNAベイスターズ」の新たな総合練習場「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」が、2019年7月、横須賀スタジアムのある追浜公園内にオープンしました。

”DOCK”には船渠(せんきょ)という日本語訳にもあるように、船の建造などのために築造された施設という意味があります。この「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」という施設名称は、開国そして、造船の街として知られている横須賀を象徴する名称であるとともに、ベイスターズの若手選手が一流のプロ野球選手として育ち、ここ横須賀から大海原へ羽ばたいていってほしいという願いを込めています。

ファームチームの本拠地として、「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」から日本を代表するプロ野球選手に育っていくことを、楽しみにしていてください。

DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKAは神奈川県横須賀市追浜公園内にある横浜ベイスターズの練習施設で2019年7月にオープンしました。施設には横浜スタジアムのグラウンドの形状・寸法・人工芝をモデルに、忠実に再現したいる屋外練習場、高さ22mの屋内練習場、選手寮などがありすぐ隣にはイースタンリーグ公式戦を行う横須賀スタジアムがあります。

所在地:神奈川県横須賀市夏島町2-2
グランド : 両翼94.2m、センター117.7m
照明設備 : なし
オープン:2019年 

収容人数:約100人
1塁側にひな壇スペースの見学エリアがあります

DeNA“ハマスタ”新生「DOCK」で3月2日にテイ・エステックと練習試合決定!

[ 2025年2月23日 04:00 ]

 

 今オフに全面人工芝化されたDeNA2軍練習施設「DOCK(以下ドック)」のグラウンドで、3月2日に“こけら落とし”の練習試合、社会人野球「テイ・エステック」戦が行われることが22日、わかった。

 「ハマスタ化」に変ぼうをとげたドックが、新たな一歩を踏み出す!今オフ、土グラウンドだった内野エリアに、改修で役目を終えた本拠地・横浜スタジアムの人工芝を移して張り替えた。

 これにより同グラウンドは全面人工芝化され、その大きさと見た目がまさしく「横浜スタジアム」に酷似する形となった。それは、1軍入りを目指す若き星たちにとって、より本拠地を感じながら練習に取り組むことができるモチベーションアップにもつながる。

 ファームは3月1日から教育リーグがスタート。同日には横須賀スタジアムで楽天戦が行われるが、その翌日が新生「ドック」の記念すべき1試合目となる。

 テイ・エステックは、21年に企業チームとして新規登録されて社会人野球に参加を始めたチーム。こちらにとっても、24年ファーム日本一のチームの胸を借りることは、貴重な経験となる。

 新生「ドック」の幕明けとなる一戦は、どのような戦いとなるのか。3月2日、ファンにとっても「ハマスタ化」したドックに足を運ぶ価値は十分にありそうだ。

ベイスターズの練習施設DOCKでの試合開催

DOCKは、19年8月に総工費約40億円で創設された選手寮や室内練習場も併設した「フル装備」の練習施設です。練習グラウンドはNPBが定める対外試合実施条件を満たしておらず、開設以来これまでの4年間は、他チームを招いて試合を行うことが不可能でした。 球団は来季中にスコアボード、観客席、グラウンド内細部の改修を行い、条件を満たして非公式戦を数試合実施することを予定しているそうです。2軍選手が出場する実戦経験を増やすことを目的として、将来的には3軍制が敷けるようなトライアルが2023年には行われそうです。

ベイスターズ二軍の本拠地は横須賀スタジアム

ベイスターズは横須賀市が所有する隣接の2軍本拠地「横須賀スタジアム」で、イースタン・リーグほか練習試合などの対外試合を行っています。DOCKに隣接しているとはいえ、横須賀市所有の「横須賀スタジアム」のスケジュールが空いていなければ、ベイスターズは練習試合などを組むことができません。DOCKが使用可能となれば、同スタジアムがスケジュール上使用不可能のときも、試合を組むことができます。

試合数が増えることでチーム強化が可能

コロナ禍で二軍の試合が中止になることが多かった近年。故障者が多かったこともあり、減少した二軍の試合で一軍選手の調整を優先すると若手選手の試合の場がなくなってきました。また高卒ルーキーなど二軍戦のレベルに達していない選手を調整する場として、神奈川の地元アマチュアチームとのオープン戦を組むことも可能でしょう。選手の実戦能力を高めるのは試合経験でしかありませんから、試合数が増えることは確実にベイスターズ強化になるでしょう。

 

【DeNA】球団施設DOCKの内野が土から人工芝に「1軍と同じ環境」三浦大輔監督

資料として保存。2026年2月14日付、北陸放送の記事。


2022年2月、54歳の若さで急逝した芥川賞作家・西村賢太さん。東京出身の西村さんは今、自ら墓を建てた石川県七尾市の西光寺で、生涯の師と仰いだ藤澤清造(※正式には旧字体の清)と隣り合わせに眠っている。

芥川賞を受賞した、代表作「苦役列車」のインパクトから、世間では「無頼漢(ぶらいかん)」――型破りで荒々しいアウトローというイメージが定着しているかもしれない。しかし、その素顔は驚くほど繊細で、どこか愛らしいものだった。


石川県立図書館で開催された展示イベント、そして7日に行われたKADOKAWAの担当編集者が秘話を明かしたトークイベントを通じ、作家・西村賢太の「人間味あふれる素顔」を紐解く。

西村さんが「師」と仰いだ藤澤清造は、七尾市出身の私小説作家だ。大正から昭和にかけて活躍し、貧困にあえぐ自身の姿を小説に描いた。最期は東京・芝公園のベンチでの凍死だった。

23歳で初めて藤澤作品に出会った西村さんは、29歳の時から「歿後(ぼつご)弟子」を自称。師の文学全集を個人出版するために奔走した。かつては七尾市にアパートを借りて研究に没頭し、2002年には藤澤の墓の隣に自らの生前墓を建立する。その傾倒ぶりは、単なるファンや研究者の域を遥かに超えるものだった。

2011年、芥川賞受賞直後に師の墓前を訪れた西村さんは、MRO北陸放送の取材に対してこう語っている。

西村賢太さん

「『おかげさまで(賞が)とれました』ということを伝えました。」

記者

「藤澤さんを超えましたか?」

西村賢太さん

「いやいや、そんな。本当は超えなきゃいけないんですけれども、僕はあまり超えたいとは思わない。藤澤清造に関してだけは。(なぜなら)“歿後弟子”でいたいからです。」

西村賢太の没後4年と日記文学『一私小説書きの日乗』シリーズの文庫化を記念し、石川県立図書館で石川近代文学館の出張ミニ展示「芥川賞作家・西村賢太と石川」が開催された。

展示は「作家デビュー前の西村賢太と石川」「私小説の中の石川」「日記文学『一私小説書きの日乗』の中の西村賢太」の3部構成。芥川賞受賞作「苦役列車」の自筆原稿や、「小説 野性時代」に掲載された「日乗」の初稿ゲラなどが並んだ。

主催者である石川近代文学館の宮本知穂さんは、「西村賢太=怖い人」のイメージが先行しがちな西村さんの、文学に対する真摯な姿を知ってほしいと語る。

石川近代文学館 宮本知穂さん

「展示を見ていただいたら分かるように、ものすごい校正なんです。暴力とか暴言とかそこじゃなくって、西村賢太の作品に対する思いを知っていただきたい」


展示の冒頭には、あどけない笑顔を見せる西村さんの写真が飾られている 。宮本さんはこの写真について、「石川の賢太はこれだった。私たちが知っている、石川で藤澤清造に向き合っていた賢太さんはこれなんだというのを知っていただきたかった」と、その意図を明かした。

2022年2月、54歳の若さで急逝した芥川賞作家・西村賢太さん。東京出身の西村さんは今、自ら墓を建てた石川県七尾市の西光寺で、生涯の師と仰いだ藤澤清造(※正式には旧字体の清)と隣り合わせに眠っている。


代表作「苦役列車」のインパクトから、世間では「無頼漢(ぶらいかん)」――型破りで荒々しいアウトローというイメージが定着しているかもしれない。しかし、その素顔は驚くほど繊細で、どこか愛らしいものだった。

石川県立図書館で開催された展示イベント、そして7日に行われたKADOKAWAの担当編集者が秘話を明かしたトークイベントを通じ、作家・西村賢太の「人間味あふれる素顔」を紐解く。

7日、石川県立図書館の研修室で行われた「トーク&朗読の会」。受付では、来場者に「カルピス」が配られた 。これは西村さんの好物であり、七尾市にある墓前に今もなお多くのファンによって供えられている、「西村賢太」を象徴する飲み物である。


トークショーには、長年西村さんを支えたKADOKAWAの編集者、山田剛史さんと似田貝(にたがい)大介さんが登壇した 。西村さんの日記文学『一私小説書きの日乗』シリーズには実名の編集者が登場するが、この2人も作中にその名を連ねている。

平成27年1月21日の日記には、「似田貝さんに『キモ貝氏』という愛称を付けた」と書かれている。初めてこのシリーズを手に取る読者は、その毒舌に驚くかもしれないが、2人は、その文章の裏にある西村さんの「配慮」を指摘する 。

KADOKAWA 似田貝大介さん

「意外とプライベートなことは書かないんですよね。なんだかんだ、すごくその辺気を使って書いてる。あと、本当に嫌いな人のことは書かないですね。」


KADOKAWA 山田剛史さん

「そうなんですよ。実はシャレになんないことは書いてなかったりするんですよね。」

西村さんの作品には、深夜にカップ麺「赤いきつね」をすすって寝るといった「飯テロ」的な描写が頻出する。しかし、トークショーでは日記には書かれなかった意外な食の好みが明かされた。


西村さんが亡くなった直後、身元確認のために警察署へ向かった山田さん。そこで警察官から予想外の言葉をかけられたという。

KADOKAWA 山田剛史さん 「警察官の方に『リュックの中にケンタッキーが入ってるんですけど、処分してもよろしいでしょうか』と言われまして。実は日記にはケンタッキーって出てこないんですよ。『無頼派作家がケンタッキーは食べないだろう』ということで、あえて出していなかったんだと思います」


強面なイメージを守るため、フライドチキンが好きだという事実は、作品内では封印されていたのだ。こうした「無頼派としての演出」は、食以外にも及んでいたようだ。

KADOKAWA 山田剛史さん 「あまり『可愛らしい部分』とかは見せちゃいけないと思っていたんでしょうね。やっぱり無頼派作家がディズニーランドに行ったらダメじゃないですか。実際は編集者を誘ってたことあるんですけど」


KADOKAWA 似田貝大介さん 「日記も限りなく本当のことを書いていると思うんですけど、やっぱり見せ方を気にしているところはありそうですね」

西村さんが通い詰めた東京都鶯谷の居酒屋「信濃路(しなのじ)」は、今やファンの間で「聖地」と化している 。なぜこの店だったのか。


KADOKAWA 山田剛史さん

「賢太さん、決まったお店しか行ってなかったんですけど、なぜかというと、いろんな店を出禁になるからですね。暴れても大丈夫なところが『信濃路』だった」


興味深いのは西村さんの座る位置だ。必ずカウンターの一番奥のトイレの脇に座ったという。その理由は、トイレに行くファンが自分に気づき、「西村さんですか」と声をかけられるのを待つためであった 。

KADOKAWA 山田剛史さん

「トイレに近いし、賢太さんデカいので通りにくくなるところなんですけど、そこに座って意外とファンを待ち受けてた。」

西村さんが自身の作品以上に情熱を注いだのが、師・藤澤清造の著作だった。


通常、本の表紙の色校正は初校、再校、多くても3校程度で校了する。しかし、西村さんは「藤沢清造短編集」の表紙を9度直した。


色校正でコート紙に4色印刷したものが、事前にプリンターで出力した色見本より発色が悪かったのだ。実際、プリンターの方が発色が良く、コート紙では再現できない色だった。

KADOKAWA 山田剛史さん

「7校まで行った時に、『(色見本の通りに)出せっていってんだろう』って恫喝されて。8校まで行っても色見本の通りには出なくて、9校を出したら『9校よりは8校の方がマシだった』と。」

西村さんは自分の作品よりも、師の本に対して完璧を追求した。


KADOKAWA 山田剛史さん

「賢太さん、自分の本だったらそこまで言わなかったと思うんです。でも、藤沢清造の本だから、もう一部の隙があってもいけないということで。」

西村さんの死後、その著作権は石川近代文学館が管理している。作家の権利を文学館が持つというのは比較的珍しいケースだが、これは師・藤澤清造への思いが繋いだ縁だった。

生前、西村さんは「藤澤清造の関連資料を、活動が一段落したらすべて文学館に寄贈する」と語っていたという。その遺志を汲み、遺族と出版社が協議した結果、「藤澤清造の資料と西村賢太の資料を一緒に文学館で管理することが、本人が最も望む形だろう」と、著作権の管理が同館に託されたのだ。

KADOKAWAの編集者・山田剛史さんは、「生前に(もっと)買ってくれていれば」と苦笑混じりにこぼす。芥川賞作家・西村賢太さんの作品は、その死後、すべてが増刷。今やKADOKAWAの重要なアーカイブとなっている。


プロの書き手からの評価も高い。山田さんはその理由をこう分析する。

KADOKAWA 山田剛史さん

「賢太さんの作品は、作家の方にファンが多くて、特に女性作家が多いんです。『昼寝る』という作品でも(登場人物の)お互いのいい面と悪い面が滲み出る描写をする。さらに、日記文学では淡々とした文章で日々をかいて、そこから滲み出る人間性を出す。作家の方は、その難しさが分かっているんだと思います。」

主催した石川近代文学館の宮本さんは作品に散りばめられた「おかしみ」にもっと光が当たってほしいと願う。

『昼寝る』の作中で主人公・貫多が39度近い高熱にうなされて「越後あたりで客死してしまうかも」と大騒ぎする一方、恋人の秋恵は冷静に体温計の数値を読み上げる。こうした、思わず笑ってしまうような人間の弱さや可愛らしさもまた、西村賢太文学の魅力なのだ。

師への敬愛、魂の葛藤、そして人間味あふれる「おかしみ」。ゆかりの地・石川でこそ、その多面的な魅力が今、改めて読み直されるべきではないだろうか。









ゴレンジャーのメンバーの苗字の頭文字は繋げると「カシオペア」となるよう設定されているが、2代目キレンジャーの苗字は熊野であることから、作者らは最初から「2代目は一時的リリーフ」と考えていたと思われる。


翌日追記

イヤその後、考えてみたら、当時の東映なら、そんな「カシオペア」みたいな初期設定は綺麗さっぱり忘れてしまっていて、2代目の苗字を深く考えずに熊野にしてしまったと考えたほうがしっくり来る気がしてきた。


(「只の野球好きの人」様、前半だけ書いた時点で「いいね」頂いていました。ありがとうございます。その後、考えをかえてしまい、申し訳ございません。今後とも、ぜひともよろしくお願い致します。)

『一私小説家の日乗 新起の章 堅忍の章 這進の章』西村賢太

角川文庫。最後の章は大好きな作品『雨滴は続く』を書き始める時期。最後の長編と分かっているので読んでて寂しさに襲われる。実にたびたび休載している。それさえなければ完結できてたかもと惜しまれる。イヤ未完だからいいのか。日記によると最終回も途中まで書いている。断り書きを付け刊本に付録として掲載してほしかった。まだ下書きだから作家の尊厳もあるし無理か。最後の中篇『蝙蝠か燕か』はなかなかの思い入れで書かれたようだ。

■18ページ 『イナズマンF』見ている。上原作品中でもハードさ随一の作。上原への評価知りたい。伊東や長坂を高評価してたフシが感じられるが。
■19ページ 面談した相手は葛山だろう。
■48ページ カレールーの好みはジャワ辛口という。バーモントも好きとか。この点は至ってノーマル。
■82ページ 自作中の暴言描写だけを喜ぶファンを蔑視、切り捨てる記述。西村の追悼企画で暴言描写を一覧にした雑誌があったが、本人のこうした気持ちを知らなかったのか? 野暮な企画。408ページにも同様記述有り。
■135ページ 神宮球場のカレーが美味いと書いてる。複数のカレー屋があるので断定できぬがおそらく正面入口の店。あそこのカレーはホント美味い。わかっちょるね〜西村クン。江本孟紀もこのカレーが美味いと書いてた。615ページでもこのカレーに言及。
■330ページ カラオケ嫌い。俺と一緒で嬉しい。
■392ページ まんだらけでヴィンテージ玩具売却。食事内容やタクシー多用を考え合わすと金欠だったとは思えず。断捨離だろう。
■396ページ 週刊漫画誌は1979年までチャンピオン派だったという。『ドカベン』でいえば初敗戦の辺りまで。俺も同じ時期読者だったので嬉しい。チャンピオン黄金時代。
■410ページ 編集者の洋服が高額と聞き「高級ソープなら3回分」と書いている。いかにも西村的換算。可笑しい。
■552ページ 部屋の暖房は室温30度とか。すげえな。
■554ページ 最も好む邦画は『八つ墓村』と公式には発言してるが、実はそれより好きな作品があるという。気恥ずかしくて公表できないとか。純愛モノか家族愛モノか? 題名は5文字らしい(これはダミーの可能性あり)。1980年頃の作品と推測するが。作品名知りてえ〜! 所蔵資料一覧のDVDの所に載ってるかもしれぬ。今度調べよう。
■558ページ 『コロンボ』見ている。放送かDVDか不明。ミステリ好きならそりゃコロンボは好きだわな。横溝正史が「私のコロンボ」を書いたり石上三登志とコロンボについて対談してるのは当然知ってただろう。
■562ページ 1977年の南海ホークスについての本を読んでいる。児童書だが(その本は現在では高値が付いてる模様)。野村監督最終年。江夏、金城、門田、藤原、柏原、久保寺、新井、片平、山内、佐藤らが在籍の魅力たっぷりの年。ハムファンとしてこの年の南海を何度も見てるはず。羨ましい。
■573ページ 金沢駅の吉野家に行っている。俺もそこで食ったことある。嬉し。
■590ページ 清張の初期短篇を再読している。清張先生は初期短篇に限るというのは俺も感じてたことなので嬉しい。
■614ページ また『コロンボ』見てる。
■617ページ 『快傑ズバット』見ている。
■630ページ 『まんが道』読んでる。私小説的ニュアンスある漫画だからだろう。是非『男の星座』も読んでほしかった。太宰と三島が対決する場面なんて大喜びで読んだはず。
■641ページ 「生きてて良かった」の一文有り。間もなく突然の死が訪れるとも知らずに。哀し。
■644ページ 金沢駅構内で売ってるカレーパンが美味いとの記述。調べると店舗が複数あり断定できぬ。残念。
■647ページ 病気になり独身の不便さを嘆き「我が身の行末を案ず」と書いている。あんたの行末は翌年に終わっちまうんだよォ〜! この頃の西村は晩酌の締めをご飯から納豆に変えている。まだ死にたくなかったんだな。可哀想に。病気時の必要品買い出しくらいだったら俺がもし知り合いだったらやってあげたかった。この時は荒川氏に頼んでいる。荒川氏には父親か年の離れた兄のような感情を抱いてたのでは。
■656ページ 「人恋しき」と書いている。こうした弱気な内面描写は珍し。
■662ページ 高橋三千綱の死に愕然。自分の死が間近とも知らずに。可哀想。
■663ページ 年を取って身体の衰えを実感したとの記述。
■673ページ 来年のカレンダーと、毎月七尾の寺に行った時に使う封筒を12枚買っている。カレンダーは2月まで、封筒は1枚しか使えなかった。
■675ページ 高血圧が下がってきたとの記述。健康面はやはり気になってた様子。
■678ページ 新年の仕事を「 心に期す」との記述。余命一ヶ月とも知らずに。

■最後の1年分はドキドキしながら読んだ。一生懸命生きる姿に愛しさを覚えずにいられない。翌年の死を知ってるので、カレンダーを買ったというだけの記述にもぐっときてしまう。この日記、図らずも文学になり得ている。やはり西村見事なり。

■執筆、校正で非常に多忙な日々。
■編集者の清水氏。珍奇な服装のことばかり書いてあるが傑作『雨滴は続く』のパートナーだったことから見ておそらく非常に優秀な人。
■エッセイは小説より楽々と書き上げている様子なのも面白し。
■「堅忍の章」には久しく絶えていた「増刷」「再版」の記述有り。
■「サナギマン」とか「ロボット刑事」とか特撮用語がよく出てくる。特撮トークショーにゲストで出るとかしてほしかった。アクマイザー、バロム・1と観てるのは東映系が多いが、上原が絡んでない作品が多く私とは好みが違う。コンドールマンや忍者キャプターなどよほど好きじゃないと見ない作品まで見てる。文学と同じで「傍流好み」なのが面白い。
■毎月送られてくる各文芸誌の即時廃棄を欠かさず書いている。必ず「未開封で廃棄」と付記。現代の文壇に何の魅力も感じないことを自らの心に定期確認する作業だったのか。
■本当に色々な本を読んでおりカッコイイ。
■『堅忍の章』には体の不調描写多し。氏の身体はやはり危険信号を発していた。
■何者にも媚びず、縛られず、喜びもある、男なら誰でも憧れる人生が描かれているからこの日記、人気あるんだと思う。そういう生き方は損と知れ渡り、作家でも野球選手でもこうしたタイプは少なくなった。球界でも江夏が最後か。
■毎月の七尾行きも物理的には全くの無駄。しかし実利的な人間ばかりの世知辛い現代なので西村みたいな馬鹿な生き方が異彩を放つ。
■ネットで見たがこの「日乗」、書店売上の文庫部門1位らしい。西村の本は売れるのだ。古書も軒並み高値をつけている。各社どんどん文庫化、再版してほしい。
■亡くなった人の一ヶ月前までの日記を読んだのは初めて。最後の章は著者校正無し。寂し。人生いつ終わるかわからない。
■上野駅で「国技館の焼鳥」をよく買っている。つくねが美味いらしい。金沢駅のカレーパンも食べてみたい。

資料として保存。読売新聞より。


胸中の人、石原慎太郎氏を悼む…西村賢太

2022/02/02 05:00

 石原慎太郎氏の 訃報に接し、虚脱の状態に陥っている。
 私ごとき五流の私小説書きが、かような状況下にあることを語るなど痴愚の沙汰だ。実におこがましい限りの話でもある。しかし十代の頃から愛読していた小説家の逝去は、やはり衝撃の度合が違う。これでもう、私が好んだ存命作家は 唯 の一人もいなくなってしまった。

 十六、七歳の頃の、日雇い労働後の娯楽はもっぱら読書であった。古本屋の均一台でカバーの取れた文庫本を四冊百円で購入し読み 耽るのが、最も金のかからぬ消閑法だった。

 当時、各社文庫には石原氏の作が数多く入っていた。背表紙にその名があれば、積極的につまんでいた。

 『太陽の季節』や『完全な遊戯』、『亀裂』、『行為と死』 或は『化石の森』等の代表的作品は 云うに及ばず、氏はミステリ系統にも出色の傑作が多かった。
 殊に『汚れた夜』は氏が二十八歳のときに発表した長 篇 だが、麻薬に政治の腐敗を絡めたストーリーの展開はやや通俗的ながらも、乾いたスピーディーな文体によって他に類のない上質なハードボイルド作に仕上がっている。この時代――一九六〇年代にはいかにも頭と小手先で書いただけの“ 物真似ハードボイルド小説”が横行したが、氏のそれは大藪春彦同様に決してその種のまがい物ではない、いわゆる“身体性”を伴った 真物だとの印象があった。 即、自分にとっての信用できる作家であったわけである。戯曲『狼生きろ豚は死ね』でもその観を強くした。
 そして初期の随筆『価値 紊乱者の光栄』を読むに至って、愛読の中に敬意の念が色濃くなっていった。
 坂口安吾の『堕落論』(一九四六年)から 恰度 十年後に発表されたその一篇は、まさに十年後の復興安定した世相に再度投げつけられた現代人への“生”の 檄文 であり、この示唆が往時の太陽族としての氏のスター性の影に隠れる格好となったのは、まこと不幸であった。
 石原氏の政治家としての面には 毫も興味を持てなかった。しかし六十を過ぎても七十を過ぎても、氏の作や政治発言に、かの『価値紊乱者の光栄』中の主張が一貫している点に、私としては小説家としての氏への敬意も変ずることはなかった。
 それだけに、後年芥川賞の選考委員としての氏が、落選を繰り返す拙作をその都度文中の“身体性”に着目して唯一人推し続けて下すっていたことは、忘れられぬ徳である。が、もう一つ――念願 叶 って初めてお会いした際に、開口一番向けられた「お互い、インテリヤクザ同志だな」との言葉も、常に胸中に掲げている。その真意は分からない。以降、お会いするたびにお聞きしようと思いつつ、 結句野暮なこととして控えていた。

 今はそれで良かったと、虚脱状態の中で得心している。(作家)
『一私小説家の日乗 不屈の章』西村賢太

2026年1月、同『野性の章』『遥道の章』と合冊で刊行された角川文庫で読んだ。

■576ページ 自分自身の「誇れる仕事」として藤澤淸造、田中英光の3冊の文庫復刊を挙げている。芥川賞まで取っているのに自作を挙げない。西村に惹かれる点は多数あるがこういう点も大好き。「自分の仕事を評価し判定するのは自分だけ。他者からの評価は一切考慮しない」という揺るがぬ姿勢。男たるもの、かくありたい。(西村も好きだった)『刑事コロンボ』の最終回に「男は自分自身の主であるべき」との言葉が出てくる。西村はそれを実行していた。憧れる。
■629ページ 「レインボーマン」をDVDで観て褒めてる。非上原作品なので悔しい。
■646ページ 知人の姪から電話をもらい嬉しくて目頭を熱くした、との記述。こうした弱い面を記すのは非常に珍しい。強がって見せてたが本心では他者との心の交流に飢えてたとわかる。心が弱ってた時期か。
■689ページ 角川の新編集長とケンカ。やはり西村はケンカが面白い。その後、他の編集長の悪口を書いてるが、それは実は角川の新編集長に宛てたものだった可能性を感じる。

■インドの文芸協会に招待され一度は行くと回答。体調不良で断念。もし行ってたらさぞかし面白い珍道中記が書かれたであろう。また商業誌デビュー時、文学研究団体から意地悪されたとか。怒りがいまだ生々しく作品化できないと書いている。この作品も非常に読んでみたかった。
■駒込のサウナに行った帰途、ココイチや富士そば、すき家に寄ったと書いている。私は駒込に土地勘あるのでどこの店かわかる。こういう点も面白い。
『一私小説家の日乗 遥道の章』西村賢太

2026年1月、同『野性の章』『不屈の章』と合冊で文庫化された。税込1650円。

■307ページ。「サイゾー」ウェブサイトに「新刊が全く売れず焦りまくる西村賢太」との記事を書かれ猛烈反論の西村節が面白い。「私の本は『苦役列車』以外全部売れてないのだ。今さら焦りまくるわけがない。見損なっては困る。」 たけし構文なんだが。
■320ページ。ホリエモンに賞賛されたらしく感謝を述べている。
■341ページ。『刑事コロンボ』をDVDで観たとの記述。あえてつまらない回を見てるとこがマニアを感じさせる。 

■ジャンクな食い物の好みが俺と一緒。そういう人が早死にするのはヤだなあ。
■『西村賢太殺人事件』が出版されたので、西村の日記との符合点、差異を探す楽しみが加わりありがたい。
■初期『日乗』によく見られた「増刷」の記述が無い。「西村バブル」が収束していた時期のようである。
■今後は、玉袋との絶縁をどう書いているか?に注目して読んでいきたい。(後日追記・結局終章まで記述無し)
■イナズマンだのサナギマンだの、特撮用語も多数出てきて同世代にはたまらない。


冬休みがあったので、妻と香川県高松市へ貧乏旅行した。野球と関係ない旅。

 

2026年1月27日 火曜日

20:40 板橋の自宅出る。板橋駅からJRと京成(日暮里駅から)で成田空港へ。運賃1400円ほど。

22:50 成田空港着。第2ターミナル地下一階、いつものセブンイレブン前の長イスゾーンで寝る。明朝早朝便なのでやむを得ずの前泊。泊まってる人たくさんいるが高齢者は我々だけ。この前泊、大学時代の知人・浅井には「みっともないからやめろ」と言われるが、飛行機代節約の実利プラス貧乏旅を実感出来る工程としての魅力もあり、どうしてもやめられぬ。超厚着してきた甲斐あって寒くなし。スマホも充電。

 

2026年1月28日 水曜日

05:00 起きてターミナル連絡バスで第3ターミナルへ。

07:20 ジェットスター乗る。運賃は一人往復12000円。機内でよく寝た。

08:50 高松空港着。初めて来る空港。

09:09 空港から高松駅まで「ことでん高松空港リムジンバス」。高松駅まで運賃1000円。バスに乗ってからこの日は栗林(りつりん)公園を見物することに決め、急きょ「栗林公園前」バス停で下車。ここまでの運賃は900円なので100円損したw 栗林公園に入る前に近くの「さぬきうどん 上原屋本店」に行く。9:30ごろなのにこの時刻から営業してるのがさすがうどんの本場。釜揚げうどん二玉(500円ほど)食う。美味い。うどん麺が長いのが特徴で、つけ汁のお椀に麺を入れるのに苦労するのが面白い。(結局この時のうどんがこの旅行中で一番美味かった)

続いて栗林公園に入る。入園料500円。公園散策なんて全然趣味じゃないがこれはたしかにすごい公園。当時の殿様が物凄い権勢にモノ言わせ作り上げた巨大ジオラマ。随所に絶景あり。外国人旅行者多し。

公園を出て、ことでん「栗林公園駅」近くの「こがね製麺所」行く。温玉ぶっかけ(冷やし)3玉(600円ほど)食う。やはり美味い。

栗林公園駅から片原町駅まで「ことでん」乗る。運賃200円。

「高松ホテル サキカ」入る。一人素泊まり3400円3泊。近所のスーパーでビールと惣菜買ってきて晩酌。

 

2026年1月29日 金曜日

09:30 宿を出る。「ことでん」片原町駅にて1日フリーきっぷ1400円買う。

10:02 片原駅から「ことでん」。

11:02 琴電琴平駅(終点)で下車。(本来運賃730円)。有名な金毘羅神社の階段を上り始める。「御本宮」まで785段。ここでやめるつもりだったが、「奥社」まで上がるたぶん生涯一度の機会と思い直し「奥社」までの残り583段も頑張って登る。合計1368段登って「奥社」に着く。山の下では降ってなかった雪がチラホラ。とても疲れた。でも「御本宮」を過ぎてからは難所もあるが平坦な道の部分も多いし、既に階段上りに身体が慣れていることもあり楽なので、せっかく「御本宮」まで登ったなら「奥社」まで足を延ばすことを勧める。

帰り、「ことでん栗熊駅」で途中下車。駅近の「香川屋うどん」に行くも改装中で入れず。また「ことでん」に乗り片原駅に戻る。ホテル近くのお好み焼き屋で、高松名物という「骨付鶏」(親鶏1000円、若鶏900円を一つずつ買った)をテイクアウトで買って、ホテルでビール。親鶏のほうが固いが美味い。

 

2026年1月30日 金曜日

09:00 宿を出て高松築港まで30分歩く。

10:00 高松築港発。雌雄島海運株式会社フェリー。運賃往復1020円。

10:40 男木島(おぎじま)に着く。港から見える急斜面に家々が密集している景観が面白し。猫島として猫ファンに知られる島。港周辺に猫4匹ほどいた。観光地化が行き過ぎてない、のどかな、感じのいい島。

男木島灯台まで30分歩く。灯台に着くと一匹の黒猫が「待ってました」とばかりにまとわりついてきた。お腹がすいてるらしく、とてもしつこく我々の足にまとわりついてきたり、カバンに飛びかかってきたり。猫好きの妻が同情し、持ってきたオニギリパックに付属の竹輪揚げをあげる。しかしなんと黒猫は匂いを嗅ぐだけでプイとそっぽを向き食おうとしない。オニギリをちぎってあげても同じ。どうやら「ちゅーる」などのご馳走でないと食べないらしい。猫の予期せぬ反応に大爆笑。我々が灯台を引き上げる時も黒猫はしつこく着いてきて、道にゴロゴロして媚びを売ってきて離れない。しかし次の観光客カップルが来るとあっさりそっちに行った。「あんたらもその黒猫につきまとわれるよ。イヤってほどね。」と内心で告げたことであった。黒猫のせいで灯台を全く見物できなかったw(あとでオニギリを食ったが「俺たちは猫も食わない物を食ってるのか……と少々情けなかった)

港近くまで戻り、食堂「円(まどか)」で「おまかせ定食」1800円食う。タコの天ぷらが柔らかく美味い。店内に芸能人のサイン多数。

続いて迷路のような坂道を登り休憩所「夕陽と猫の家」に行ってみる。この日は係の方が不在で無人解放されていた。古い民家が解放されていて猫も多数いる。こたつもあった。

続いて集落のてっぺんにある「豊玉姫神社」まで登る。よく登る旅だ。

続いて私設の「男木島図書館」に行ってみるが閉館日だった。コーヒー550円飲むのを楽しみにしてたが残念。

15:00 帰りのフェリー乗る。

15:40 高松築港着。高松駅前の讃岐うどん「めりけん屋」入る。釜玉うどん二玉食べる。まあまあ。池袋駅にもある馴染みのチェーン店。

続いて「骨付鶏」の人気店「寄鶏見鶏(よりどりみどり)」に行くも、満席。テイクアウトも50分待ちとのことで断念。

ホテル戻りまたスーパーの惣菜で晩酌。

 

2026年1月31日 土曜日

07:40 宿出る。

07:59 「兵庫町」バス停から高松空港リムジンバス。運賃1000円。とても混んでいる。

08:38 高松空港着。保安検査場を過ぎると座る席が少ない空港。

09:35 ジェットスター乗る。

11:00 成田空港着。ぶらぶらしてから帰るという妻とはここで別れる。

11:52 成田空港第2ビル駅から京成アクセス特急乗る。運賃1267円。青砥から乗り換えた電車には力士2人が乗っていた。鬢付け油の甘い匂い。日暮里からJR。

13:35 板橋駅下車。運賃178円。買い物して、

14:00前 帰宅。

 

思いのほか楽しい旅行だった。公園散策、階段上り、島訪問と各日趣向が違ってたのが楽しかった要因か。讃岐うどんという安価なグルメが完備しているのも大きい。ほとんどのうどん店が14時とか15時に閉まってしまうのが残念だが、地域独特の風習として尊重したいと思います。「ことでん」もレトロ電車で楽しかった。

今回の旅のMVPは「男木島灯台のグルメ黒猫」。あいつに全て持っていかれたw

先日高松へ旅行した時に読んだ。西村の作品は面白く、また文庫本なら薄いのも多いので携行に最適。これは西村作品でも人気の高い一編らしい。
久々に読んだので忘れていたが、秋恵は子供を授かりにくい事情を身体に抱えていたようである。貫多と別離後、子宝に恵まれたであろうか? 秋恵のその後の幸せを願わずにいられない。
その秋恵に対し、貫多は絶対言ってはならない言葉を吐いている。こういうことを言う人間は孤独になって当然。仮に私が秋恵と知り合いだったら貫多と別れるよう助言する。私の周りにもこの種の人間が何人かいたが、関係を遮断した。
ああいうことを他人に言って、その結果去られて、それでも他人への接し方を改めず同様の言動を続けるかはその人の自由だが、それで孤独になってもそれは底の浅い「安っぽい孤独」に過ぎぬ。他人への接し方に気を遣い、言動に気をつけても孤独に陥ることがあるのが人生だ。せめて自業自得の「安っぽい孤独」は避けたほうがいい。



2026年1月10日 土曜日

20:56 板橋駅からJR。運賃150円。

20:59 池袋駅で下車。

21:05頃 池袋駅東口の高速バス乗り場着く。球場巡り仲間のH瀬氏がいる。「明日俺らが見に行く大会の日程がネットのどこにも出てないね」などと話す。氏は明日熊野市営球場で行なわれる見込みの中学軟式野球1試合見て球場巡りするためだけにはるばる熊野市まで行くという。1試合だけ観てトンボ返りとか。氏の「球場巡りしたいしたい病」はかなり深刻な病状のようw

21:30 池袋駅東口から夜行高速バス。西武観光バス、大宮・池袋~南紀勝浦線。運賃12100円。運行社・三重交通。すいていた。H瀬氏によると金曜便は満席だったらしいが。3列シート。後ろが空席だったのでフルリクライニングしてのびのび寝る。快適。同じバスにH瀬氏も乗っている。球場巡りに向かうバスに知人が乗っているというのは巡り歴37年目にして初のケース。

 

2026年1月11日 日曜日

06:50 「三重交通・南紀営業所」バス停で下車。42分早着。9:00試合開始(ただし大会日程が判明してないのでこれは予想開始時刻にすぎない)に間に合うよう球場まで歩くので早着ありがたい。今日の私の計画は防災球場から市営球場へのハシゴ。防災球場に向かう途上にコンビニがあること、市営球場からのほうが今夜の宿まで近いのでこのハシゴ順にした。市営球場までのほうがバス停からは近いが。市営球場に向かうH瀬氏とはここで別れる。

防災球場めざし歩き出す。途中のローソンで弁当とコーヒー買って食い暖をとる。道は途中から山登りになる。熊に怯えつつ歩く。「熊」野市だけにコワイ。

08:00前 熊野市防災公園野球場着く。草野球場。大会パンフ500円買う。これにより初めて、大会が今日明日の2日間で開催されること、今日の第一試合開始が9:00と判明。観戦したのは「くまのベースボールフェスタ第3回中学軟式野球Wintercup」。16チーム・トーナメント。第一試合「松阪・多気選抜(三重)3-2瑞穂ブルーナイン(愛知)」。スコアミスがあり第二試合「竜王ジャガーズ(滋賀)6-3中京カーディナルス(愛知)」も見る。市営球場へのハシゴは断念。すごい風、とても寒かった。スコアつける手がかじかんで辛かった。通算1212球場め。場内アナウンス無し。パンフ販売有り500円。主審が選手交代を大会本部に報告していなかったことから判断して、大会本部は公式スコアをつけていない様子。

 

第三試合途中、14:30ごろ球場出る。ホテルまで歩き始める。朝と同じローソンでパンとコーヒー買って食い暖をとる。朝下車した三重交通のバス停まで来る。十数分待てばホテル近くまで行く路線バスがある感じだが、散歩も兼ねホテルまで歩くことにする。

途中長いトンネルを通った。歩道は車道より一段高くなっているので車の危険はないが、暗くて怖かった。ホテル近くのスーパーで寿司とビールと弁当買って、

16:30 「ビジネスホテル平谷」にチェックイン。素泊まり5200円。今日踏破し損ねた市営球場で明日、今日敗退したチームによる練習試合が行なわれる可能性があるが、試合開始時刻もはっきりしないし(パンフに記載無し)、気が進まず。明日はおとなしく帰ることにする。

 

2026年1月12日 月曜日(祝日)

06:20 ホテル出る。暗い中を駅まで歩く。

06:46 熊野市駅からJR。運賃9430円。ワンマン運転。駅停車時もドアが開かないので車内暖かいのはいいが暑すぎる。厚着してきた上着脱ぐ。

熊野市駅06:46~09:07多気駅。改札外に出る。多気駅前のヤマザキストアで食料買い込む。1949円。コーヒー飲みたかったがマシン無しで残念。

多気09:24~09:35松阪09:44~11:03名古屋11:16~12:09豊橋。

豊橋駅の売店でビールとおつまみ竹輪(わさび漬け付き)買う。昨夜呑んだので呑むつもりなかったがガマンできなかったw

12:24豊橋発の各駅停車電車内で、竹輪にわさび漬け塗り塗り、ビール呑み。「飲み鉄」楽しむ。

豊橋12:24~12:59浜松13:08~15:45熱海15:49~17:51赤羽17:58~18:03板橋。好天で美しい富士山も見え、楽しい汽車旅だった。

18:10頃 自宅着。

 

37年目の野球旅が始まった。

今回の旅のMVPは「「飲み鉄」の楽しさ」。