全国野球場巡りの旅の続き。今回は番外編。

というか、この日記の8年ぶりの続編である。

 885球場め 石垣第1、第2、沖電八重山球場 | スコアブック使いと少年 (ameblo.jp)

 

2024年5月11日 土曜日

この日は茨城県龍ヶ崎市のTOKIWAスタジアム龍ヶ崎へ、東京新大学リーグを見に行った。踏破済みの球場へわざわざ交通費をかけて足を運ぶのは珍しいケースだが、この試合はどうしても見たかった。

優勝争いの直接対決、共栄大VS杏林大。共栄大は勝ち点を取れば優勝、杏林大は連勝なら優勝決定、2勝1敗ならV争いは次週(最終週)の共栄大の結果待ちとなる。まあまさしく天王山、天下分け目の一戦といえる。

しかし私は普通の野球は既に見飽きてしまった身であり(通算観戦数4000試合超)、それだけなら見に行かないが、共栄大のエース砂川さんをどうしても見たかったのだ。

8年前の2016年12月、石垣島の沖縄電力八重山球場を踏破した時、砂川さん(当時石垣第二中学2年)を見ている。中学軟式野球の八重山地区予選。5回を投げ無失点。この時砂川さんを大いに気に入り、スコアブックに「好投手」とメモ。その後もチェックを続けてきた(便利な時代だ)。砂川さんはその後、八重山高校に進み、離島のハンデを乗り越え高3夏の大会でエースとして優勝(残念ながらコロナ禍で甲子園大会は無し。優勝したのでいろいろ報道があり、砂川さんは小学5年の時に野球好きだった父親を亡くしていたことも知った。私が見た時には既に父親と死別していたのか。それでますます立派な子だなとほれ込んだ)。共栄大に進学したことを知って、いつかは見に行きたいなと考えていた。有り難いことに3年となった去年からエースとなり、登板は土曜日と予測できるようになった。そしていよいよ優勝をかけた試合。間違いなく砂川さんが投げるはず。このドラマを見ずしてお前は何のために球場巡りをしてきたんだ。

9時半、先発投手が発表され、共栄大はやはり砂川さん。試合が始まったが、杏林大の投手・岩井も、さすが優勝しようかという学校のエースだけあって好左腕。息詰まる投手戦となり、これは1点勝負、砂川さんと岩井の我慢比べの展開となった。

しかし共栄大は7回裏、二死一塁で、高校時代から砂川さんとバッテリーを組む七番・比嘉が右中間を破る殊勲のタイムリー二塁打。この1点を、8回表アタマから砂川さんを救援した岡澤が守り切り、共栄大が1-0で勝って優勝に王手をかけた。

共栄大が勝ったので、次のプロジェクトがやりやすくなった。私は砂川さんにファンレターを渡そうと計画していた。ファンレターといっても手紙ではない。8年前に見た試合のスコアブックのコピーを渡そうと思ったのだ。そうすることで「長年貴方に注目して応援していた人がいますよ」と伝えたかった。(もしも共栄大が負けたら、マネジャーさんに託そうと思っていた)

球場の外に出ると、共栄大の選手たちが出てきていて、砂川さんはユニ姿のまま、応援の学友らに「応援来てくれてありがとう」と言って回っている。ふと砂川さんが一人になったので近づいていき「砂川さん」と声を掛けた。

「ファンレターを受け取っていただけますか」

「ホントですか(注 この時パッと嬉しそうな顔をしてくれたような気がする)。ありがとうございます」

スコアのコピーを入れた封筒を渡す。そこで帰ればよかったのに、砂川さんが中身を見てどんな顔をするか見たくて「開けてみてください」と言ってしまった。

「はい。失礼します」

砂川さんは中身を見てくれた。でも特に反応は無かった。

私「それは、砂川さんが中学生の時の試合のスコアです。私は八重山球場でその試合を見て、それ以来砂川さんに注目していたんです。それで今日も見に来たんです。これからも頑張ってください!」

「はい、ありがとうございます」

それでその場を離れた。今思えば、自分の言いたいことだけ言って、わけのわからんオッサンやなと思われた気がする。砂川さん、どうもすみませんでした。しかも現在私は虫歯のため左の前歯が抜けた状態。常にも増してダメ大人感マシマシのご面相。こんな顔で声掛けしてしまいどうもすみませんでした。

それにしても砂川さんは、爽やかで礼儀正しく明るい好青年。こんなふうにハツラツと人生を生きてる人もいるんだなとまぶしい感じだった。

 

帰り道、砂川さんに渡したスコアの原本を眺めていて、相手チーム石垣中学の四番打者の名前が「比嘉」だと気づく。もしやと思い調べるとやはり、この比嘉は今日の試合で殊勲打を放った比嘉であった。8年前に見た二人が揃って活躍する試合を今日は見たことになる。なんというスコア観戦者冥利に尽きる巡り合わせ。ハッピーな思いに浸る。

 

翌日。共栄大はまた勝って優勝を決めた。砂川さんは4-2とリードした8回裏から救援、2回無失点で胴上げ投手となった。

高校時代は県大会で優勝しながらコロナのため全国大会に進めなかったが、大学で全国大会の切符をつかんだ。砂川さんの野球人生は何と立派なものであろう。息子の充実した青春をお父さんも天国で喜んでいるだろう。私も砂川さんを8年間チェックしてきて、素晴らしいストーリーを見せてもらった気がする。来月の全国大会は仕事で見に行けないが、きっと立派な投球をするに違いない。ガンバレ共栄大学、砂川投手。エールを贈りたい。