今日は私の著書から内容を取り上げて掘り下げていくシリーズの続きをやります。
p17、初めて精神疾患を発病した私が、精神科の病院に通い始めたくだりから。
ここにも書いてある通り、最初の通院時には、私の症状は良くなるどころか、どんどん悪化していきました。
正確には元々の症状が悪化したというより、それは別によくならないまま、薬の副作用が加わってなんかわけがわからなくなっていった、という感じだったと思います。
前回書いたように、当時の私は目を使った作業を数十秒すると異様な恐怖感を覚えるという症状だったため、小説などを10秒ちょっと読んでは数分休む、という生活を送っていました。
けれど薬が追加されていくうちに、異様なほど眠気が強くなって、母が食事を作って呼んでくれた時以外は1日中寝ているだけ、という生活になりました。
それでも寝ているときはリラックスできていたなら、それはそれである意味幸せだったのかもしれませんが、恐怖感自体は全然消えずに残っていた、というかむしろ悪化していたように思います。
また薬の副作用による眠気というのは通常の眠気とは全然違っていて、ともかくだるい。
疲れたから寝ようとかそういうのではなく、だるくて起きていることなんて到底できないから寝るしかない、という状態でした。
ストレートに言えば、「気持ち悪い眠気」なんですね。
今だったら、こうはならないよなとは思います。
今の私なら、薬が追加される度に、その薬が果たして自分に効いているのか? 作用と副作用のバランスはどうか? を自分の感覚でセルフチェックして、これは合わない! と判断したら医師にそう言って薬の量を元に戻してもらいます。
ただ、当時はそういう発想がそもそもなかった。
「薬」なんだから飲んだほうがいいに決まっている! と疑いもしていなかった。
精神科の薬については当時も、そしておそらく今もいろんな意見があり、本やらネットやらでもいろいろ書かれていることでしょう。
そこについては今後、この「私の著書」シリーズを進めていく中でまた触れる機会があると思いますし、そもそもそれとは関係なしに過去のブログでも書いた気がするので、置いておきます。
ただ一つ言えるのは、つい最近も書いたように、どんな「治療」であってもその是非はあくまで自分の感覚で判断したほうがいい、ということ。
専門家の治療なのだから間違いなどあるはずがない、なんてことは、まあ分野によってはあるのかもしれませんが、少なくとも現在の精神医学においてはおそらくあり得ないと思います。
人間の脳やら心やらはまだまだ科学的にも未解明の部分が多すぎて、絶対的な治療法というものは確立されていない。
だからこそ私などが「心に聞く」という怪しいと言えば怪しい方法を元に、独自の心理療法を開発してカウンセラーをやるなんてことをやっているわけですが、残念ながらその私の心理療法も、万人に必ず効果が出るのかについてはわかりません。
ゆえに治療の効果を自分自身で査定する必要があるわけですが、精神疾患の治療の厄介なところは、「ある程度長く続けないと効果が出ないこともある(これは特に心理療法の場合)」「治療の過程で一時的な悪化が出ることもある」といった側面があることです。
だから治療を受けて調子が悪くなった場合、これは治療自体が自分に合ってないのか、合ってるけど一時的に悪化しているだけなのか、がハッキリ言ってよくわからなかったりする。
いずれにせよ悪化した場合はいったんなにもせず様子を見るのが大事です。
そしてもう一つの、ある程度長く続けないと効果がでないこともある、というのが心理療法においては治療者側にとってもクライアントさんの側にとっても厄介な問題としてある。
私のクライアントさんも、途中でカウンセリングに来なくなったというケースはいくらでもあるわけですが、続けてくれていれば多分もっと回復しただろうになあ、と思うこともまたよくあります。
とはいえ、じゃあ何回通えばどれだけよくなるんですか! などと聞かれたら、それについては「わかりません」と答えるしかないのが正直なところ。
これはおそらく私に限らず、世の心理療法のセラピスト全員がそうだと思います(といっても人間はいろいろいますから、わからないことをさもわかっているかのように断言する人もいるでしょうし、ひょっとしたら本当にわかっている人もいるかもしれませんが)。
かくいう私自身も、まだ自分自身が患者の側として未回復の症状をいくつも抱えている立場でもあるので、「早くよくなりたい!」という気持ちはハッキリあるため、いつ治るかどうかもわからない、そもそも本当に治るかどうかもわからない治療法なんか受けてられるか! という気持ちは同じなんです。
加えて言えば、1回の治療にそれなりの費用がかかる以上(私のカウンセリングは5000円)、治るまでの期間がハッキリしているならまだしも、「いつか治ると思います、多分」なんて曖昧な言葉でずっと金と時間を使い続けろと? ふざけたこと言ってんじゃないよ、と思うのも当然だよなあとなります。
しかし自分がカウンセラーの側に立ってみると、そもそも普通の時給いくらで安定して稼げる仕事とは違い、クライアントさんがひっきりなしにやってくるような人気カウンセラーでもない限り、1回の治療の料金を2000円とかに下げた場合、それで生活費を稼ぐとか無理じゃん! ということもわかります。
極論、ベーシックインカム的な制度が導入されて、なにもしなくても月20万ぐらいはもらえますよーなんて話になったら、カウンセリングの料金は1回1000円とかにしてもいいのかもしれませんが、現実にはそういう制度にはなってないので、いかんともしがたいところです。
と、話が盛大に脱線したような、あるいは全然脱線してないのかもしれませんが、今日はこんなところで。
ちなみに今日触れた著書の段階、すなわち最初に精神疾患を発症したときには、私は心理療法というものの存在すら知っていたかどうか怪しいレベルでした。
まあ当時の自分の症状を考えれば、標準的な投薬治療を選んだのは間違ってなかったとは思いますが、医師の選択とその効果を自分自身の感覚で判断しなかったことはあかんかったかな、とは思います。
とはいえ、医師については実際に治療を受けてみないと基本わからないものですし、「専門家の治療だからといって効果があるとは限らない、むしろマイナスになることもある」なんてことを当時の私は知るよしもなかったので、そらしょうがないわ、という話でもあります。
そもそも、当時はすでにネットがあったとはいえ、精神疾患を患っている人間が、そんな自力でしっかり情報を集めるとかキツいに決まってんだろ、という話もありますし。