「なんとなく」という感覚を今以上に大事にするといいのかも? と、今は思っています。

 

なんとなく楽しい、なんとなく疲れる、なんとなく気が乗らない、そういった「なんとなく」は、無意識が感じていることの端っこを意識が捉えているサインなんじゃないのかな、と思うんです。

 

少なくとも、そういうなんとなくよりも理屈や理論を優先しちゃうとろくなことにはならない、という感覚がある。

 

それで唐突と言えば唐突に、だけど絶対関係あるんだろうなという感じで思い出したことがあるんですが、フィクションでたまに「頭のいいキャラ」の定番のセリフとして出てくるものに、「食事などは時間の無駄、必要な栄養だけサプリメントで取ればいい」というものがあります。

 

まあこれはキャラ付けのお約束というやつなんですが、むしろこのセリフ、頭いいように見えて馬鹿すぎんだろと正直思うんです。

 

なぜそう思うかというと、食事を栄養という要素だけで全て説明できると思っているところがまず単純すぎると感じるし、栄養という要素だけに注目したとしても、多分サプリだけでちょうどいい栄養を全て摂取するのは無理なんじゃない? と思うから。

 

実際の食事においては、味とか量とか見た目、なんとなく熱いのが食べたい、冷たいのが食べたい、やわらかいものが食べたいといった、様々な「なんとなく」の感覚が膨大に伴っていて、それがその時の自分に合った食というものを選択しているんじゃないかなと思うんです。

 

サプリで全部済むという発想は、そういった「なんとなく」のものすごい微妙で繊細かつ詳細な調整機能をガン無視している、言わば古跡の採掘なんて全部ブルドーザーでいいじゃん! と言ってるようなもので、いやそれ大事なものをいろいろ壊しまくるから、とツッコミたくなる。

 

食事に限った話ではなく、人間は中身も外見も大事だし、何事も五感やそれ以外の感覚全てで感じ取った、その全てが大事になる。

 

そしてその「全ての感覚」の表れの一つが、「なんとなく」なんじゃないのかな、と思うんです。

 

と思いつつ、いやもしかしてと思って心に聞いてみたら、「『なんとなく』は一部ではない、全てや」と返事が来て、ああやっぱそうかもと思う。

 

「なんとなく」には自分が感じていることの全てが詰まっている、のかもしれない。

 

SF的な、ものすごい性能の高いコンピューターが膨大な計算の末に最適解を出すという、それを人間の無意識が実行した出力結果こそが「なんとなく」感じることなのかもしれません。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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