ここ最近は、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」という方針で動いています。

 

それが間違っているとは思わないものの、ベターではあってもベストではないかも? と感じるようになってきました。

 

これだけだとなにかがまだ足りてない、そんな感じがするんです。

 

かといって、科学的に正しいとされることに従う、みたいなやり方はもっと違う気がする。

(※科学の全てを否定するとかいう話ではありません)

 

よくわからないので心に聞く! ということで聞いてみます。

 

「昨日のが答えや。 ワガママであること。傲慢であること。非常識であること。世間知らずであること」

 

やりたいやりたくないの感覚に、そこらへんのパワーを加えろってこと? と聞くと、「その通り」。

 

とはいえ、具体的にどうすればいいのかはいまいちわからないので、そこをさらに聞いてみます。

 

「まずは順番に行くことやな。やりたいかやりたくないかを、ワガママかそうでないか、に置き換えてみる。当然実行するのはワガママな選択肢のほうな」

 

まあワガママとなれば、やりたいことはやるけど、やりたくないことは絶対にやらない! 誰がなんと言おうとやらない! というイメージなので、確かにストレートにパワーアップしている感じがあります。

 

けどそれ以上に思うのは、普段の「やりたい、やりたくない」は、まだ自分の本心が出きれていないんだろうな、ということ。

 

言い換えればワガママになりきれておらず、なんだかんだ他人の顔色を気にした上での判断になってしまっている。

 

とはいえ実践となるといまいちわからないので、試してみます。

 

このブログ、もっといろんな読者にわかりやすいよう配慮すべきか? と思ったとき、「しない」と浮かぶんです。

 

いろいろ説明するとか、文章を読みやすく整えるとか、そんなのはいらない! とワガママな私が叫んでいる。

 

それで言うと、私は書いた文章を毎回一度は読み直して手を加えているものの、それって本当に自分がやりたくてやっているのか? という疑問がわく。

 

単に、そうやって見直しをしないといけないから、という恐怖の裏返しでやっているだけでは? という気もする。

 

そしてどこかの作家だとか、文章執筆に一家言のある人が、そういう丁寧な作業を怠るのは物を書く者としてダメだ! と罰しているイメージがわく。

 

だがワガママな私は、「誰よあんた!」とそんな罰する者たちを一蹴する。

(※とあるゲームのワガママなキャラクターのイメージが浮かんでいます)

 

考えてみれば、自分の記事を投稿した後読み返すことなどまずないのに、投稿する前にそんな修正作業をする意味ってあるのか? ともなる。

 

そう、私が読み返すわけでもない文章の誤字脱字やその他の表現に問題があったところで、別にどうでもいい! と思っている私がいる。

 

それをすごくワガママなことだと私は思うけれど、多分世の中のブログやツイッターやらその他もろもろを書いて投稿している人たちって、その大半がいちいち見直してから投稿なんてしてないんじゃないかな、という気もするんです。

 

まあ、みんながやっているかどうかなんて基準自体がどうでもいいよな! とも、ワガママで傲慢で非常識で世間知らずなことを思ったりする。

 

ああこういうことか、と心に言えば、「そういうことや」と心は返してくるんです。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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