昨日の続きで、今日のテーマは昨日出てきた「自分というコミュニティを幸せにするための方法その2、『自分というコミュを脅かす他者というコミュには、交渉か武力で対峙する』や」と心は言います。

 

このコミュニティについては、家や村という例えを使ってきましたが、他者とのやり取りという視点で考える際は、国というのが一番わかりやすいかもしれない。

 

国家をまとめる方法として定番のものは、隣国や敵対関係の大国をボロクソに叩き、自国を賛美するというもの。

 

今も昔もこの手の実例は尽きないわけですが、これは個人においても見られる現象です。

 

人は基本的に、自分が所属する勢力を擁護し、高く評価する。

 

専門家は自分の専門分野を重要なものと見なすし、多くの人は自分が所属する国や会社・組織・職業等を世間一般においても大切なものであると主張する。

 

一方で、そうした価値観に反発する立場の人もいるわけですが、そういう人はそういう人で、いわゆるアンチ的なあり方という名の勢力に所属することを重視しているということも多く、その意味では変わらない。

 

ただ、そういった意見表明をしているからといって、それがその人の全てかというと、別にそんなことはなかったりもします。

 

そういう「役」をやらなきゃいけないという意識がある、あるいは無意識にそう思っているからやっている、ということも多いんです。

 

これは個々人がそれぞれの社会的立場を考慮しているからとも言えますが、もっと言えば、自分というコミュニティ内部のバランスを取ろうという働きがあるとも言える。

 

別に他人が絡まないところでも、自分なりのこだわりとでも言うべきものが発揮されて、それこそ本やブログ、ニュース等を一人で見て一人で憤ったりすることは珍しくない。

 

そういうときはなにかしらのトラウマ的なものに抵触しているとも言えますし、でもそのトラウマとは結局のところ「自分というコミュニティに所属する誰かがやったこと」であると見れば、実はそういった内部の人間関係によるものとなる。

 

……と、いろいろ書いてきましたが、んで結局どうすりゃ自分は幸せになれるの? と心にツッコんでみます。

 

「基本的には普通の人間関係についての話であり、他者に対してどう接するか、仲良くするのか喧嘩を売り買いするのかとかではあるが、ポイントは1つ。『自分というコミュニティ』の存在を意識し、そこに目を向けることや」

 

それは、自分の気持ちというのを「自分一人のもの」とシンプルに見るのではなく、自分の中にいるいろんな存在をおぼろげにでも見ろ、ってこと? と聞くと、「その通り」と心。

 

「結局これは、心理療法でよくやっていることではあるけどな。自分の中のこだわりや恐怖心等がどこから来ているのかを探っていったら、両親等の特定の人物や出来事に行き着くことがある、という。そんな感じで、自分がなにかを感じているとき、それを『自分の気持ち』として簡単に処理するだけでなく、そこに関与している自分の中の他者はいないか? という意識を持つと、いろいろ見えてくる、ということや」

 

つまり普通の意味での他者と接するときも、そのときに自分の内面が、つまり自分というコミュニティの人間たちがどう動いているかを見て、それこそ政治家や組織のトップのように総合的に判断して決断しろってことか? と聞くと、「そこまでガッチリやらんでもええけどな。自分の中の多面性というやつを、『自分というコミュニティ』という概念でふわっと見る、くらいの感じや」とのこと。

 

さて、例えばこの記事を読んだ人もそれぞれいろんな感想を抱いたと思いますが(別になにも感じなかった、という感想もふくめ)、そこに働いている「自分というコミュニティ内の人々の感情」は感じ取れるでしょうか?

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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