ただいま、6月から始める講座の準備をしています。
それプラスαがあり、
每日まいにち、樂たのしく充實じゅうじつしてます。
というのが、今の私の現實げんじつです。
人生は、本來ほんらい、樂たのしいもの
樂たのしくないもの、辛いものにしているのは、
他でもないあなた
本當ほんとうのあなたは、
本當ほんとうのあなたに戾もどってくれることを、
本當ほんとうのあなたを思い出してくれることを、
今か、今かと、
待っています。
ただただ靜しずかに
戾もどれば、思い出せば、
樂たのしいことしかないことを、
幸せしかないことを、
知ることになるでしょう。
本當ほんとうのあなたに戾もどって、
本當ほんとうのあなたを思い出して、
樂たのしく幸せに生きていきたいあなたの
お手傳てつだいをしている
上西 呂佳です
ぐぐぐぅ〜っと
ブログタイトルに合わせた內容ないように戾ります。
名前のない本當ほんとうの自分は
ただ存在してるだけ
私がそれを實感じっかんしたのは、
突然やってきた一瞥體驗いちべつたいけんでした。
まぁ、この現實げんじつ世界でのひとつの體驗たいけんなので、
なんていうことはないのですが、
衝擊的な體驗たいけんでした
自分が一氣いっきに全體ぜんたいに廣ひろがり、
他のものは、空閒くうかんさえもない、ただ自分のみ。
そこには、自分しか存在してないので、
何かと比べることもできず、
何もわからない、
ただ存在してるだけ。
人閒にんげんとして生きている體驗たいけんがあるので、
ただ存在してるということがわかるのであって、
そうじゃなければ、
存在してるということさえわからない感じ。
でも、この體驗たいけんがあったからこそ、
實感じっかんでき、腑に落ちました。
それは在る
とか
私はそれだ
とか、言われるけど、
まさしくその通りでした。
自分しか存在していないので、
名前も必要ない。
名前という言葉さえない。
何もない平和。
何もない安心感。
何もない幸せ。
なんとも言えない、
ちょっと虛しくも感じる體驗たいけんでした。
でも、それが本當ほんとうの姿で、
それを知ることによって
現實げんじつの捉え方が大きく變かわりました。
輕かるくなったというか
樂らくになったというか。
眞實しんじつに辿り着けた魂の喜びは尋常じゃなかった
私がより自覺じかくしたのは、それからです。
この、
本當ほんとうの自分を知ることで、
生き方、捉え方が變かわって
生きることが樂たのしいものとなる。
今の人閒にんげんには、これが、一番必要なんだと。
本當ほんとうの自分を知るには、
個の自分を知ることから繋がります。
個の自分を知ることは、
最初は辛いかもしれません。
逃げたくなるかもしれません。
言い譯いいわけや屁理屈を言いたくなるかもしれません。
ですが、續つづけていくうちに、
樂たのしくなってきます。
やめられなくなってきます。
これを知りたくて、
本當ほんとうの自分という家に歸かえりたくて、
生まれてきたのですから。
喜びと共に生きましょう