今年のテーマは藤原氏紫式部も藤原氏
三条家も藤原氏
丸太町通りから寺町通りを北へ上ル
梨木神社 一の鳥居。
本来は鳥居の向こうには、参道があり、奥には神社があるはずですが、資金難ということで、鳥居と神社の間に、マンションが建ってしまいました。参道部分を貸して、マンションを建たせたと言うことです。何十年後かにまた、神社に戻すということのようです。
京都御苑 清和院御門。
梨木神社 二の鳥居。
湯川秀樹 博士 石碑
しだれ梅。
染井の水。
京都三大名水の中で現存する唯一の水。
神門。
源氏物語ゆかりの地
梨木神社(中川の家候補地)
平安京東端の、東京極大路に沿って流れていた京極川の二条以北を中川と呼んでいた。付近の蘆山寺(ろざんじ)は紫式部邸跡といわれ、『源氏物語』でも貴族の別荘が多く建ち並ぶあたりと設定されている。「花散里(はなちるさと)」で右大臣の圧力が強まり、心休まらない源氏は花散里に逢いに出かける場面で「中川のほどおはし過ぐるに」とあることから、花散里邸はこの辺りと推定されている。花散里は姉の麗景殿女御(れいけいでんにょうご)と住んでいた。また「帚木(ははきぎ)」では、光源氏が方違(かたたが)えで紀
伊守(きいのかみ)邸を訪れ、空蝉(うつぜみ)に出会う場面があるが、この屋敷があった場所も中川である。『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の作者(藤原道綱母)も中川の近くに住んでいた。
平成20年3月 京都市
梨木神社の寺町を挟んで東側が蘆山寺で紫式部が住んでいました。
御神木 愛の木。
御神木の「桂の木」は葉がハートの形をしている事から、「愛の木」という名称で親しまれてきました。木に触れながら祈ると願いが叶うといわれています。(梨木神社HPより)
拝殿。
「宝祚之隆当与天壌無窮者矣」。
三條實萬公が軸に書かれ、日夜皇室の弥栄をご祈念されていましたが、その軸の破損を危惧し石に刻まれたと伝えられています。明治天皇はこれをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、2月11日の今の建国記念日にお居間に掲げられ、国家の弥栄、国民の安泰をご祈念されたといわれています。
中門。奥に本殿があります。
御祭神
贈右大臣正一位 三條實萬公
内大臣正一位大勲位公爵 三條實美公