京阪電車 神宮丸太町駅下車。
丸太町通りの一本北側を東へ歩きます
聖護院門跡を通過。
聖護院門跡の角を曲がって。
神楽坂通り 東京の地名みたいですねぇ。
会津墓地、見えてきました。約30分。
会津藩殉難者墓地。再訪です。
会津藩の鶴ヶ城の写真が飾ってました。
白虎隊ですねぇ。
松平容保公
京都守護職 会津藩主 松平容保公
会津墓地の由来。
墓石の写真を撮るのは恐縮なので遠慮しました。
次へ行きます。
「松平容保」は、幕末の会津藩藩主。28歳のとき、混乱の極みにあった京都の治安維持を担う「京都守護職」に就任。「新撰組」を起用して過激派のテロを何度も未然に防ぎました。しかし「大政奉還」のあとは徳川家と運命をともにし、明治政府軍に対して奮戦しましたが、最後は故郷・会津で明治政府軍に降伏。晩年は、「徳川家康」を祀る「日光東照宮」の宮司として生涯を終えました。
私、忠と義の人と言う印象を持っています
なーんかねぇ、今の世の中を考えたら、ふと、徳川幕府の時代の方がよかったんでは、とか思ってしまう。
高っかい税金取られて、忠義もなく、子を虐待したり、親を殺したり。
殿のためにと言う規律もあったように思う。
知らんけど。
see you again 👋