この日の目的地、金戒光明寺に到着。
「城構え」と呼ばれる城郭風の造りが特徴
京都守護職本陣
会津藩松平容保公
平安時代末期に法然上人により建てられた草庵を起源とする金戒光明寺。当初は念仏道場だったのですが、上人没後に堂宇が整えられ、「紫雲山光明寺」に。そして南北朝時代に北朝の後光厳天皇がこの地で非常に尊い「戒(仏教の誓いの儀式)」を授かったことから、「“金剛(ダイヤモンド)のように尊い宝の戒”=金戒」の名を賜り、「金戒光明寺」と呼ばれるようになったのだそうです☝️☝️☝️
高麗門の“城構え”に加え、この山門の堂々とした雰囲気は、まるでお城のようですよね。それもそのはず、金戒光明寺は、同じく浄土宗の大本山である知恩院とともに、江戸幕府が京都ににらみをきかせるための要衝として、“城郭構造に改めたお寺”なのです。そのため、幕末には会津藩がここを本拠として京都守護職本陣を置き、その配下である新選組発祥の地となりました☝️☝️☝️
幕末、この山門から、会津藩の藩士たちも洛中の警戒にあたったと☝️
御影堂へ入ります☝️
写真撮れないのが残念ですねぇ。。。
大方丈へ移動して。
襖を開け閉めすると。。。。
方丈裏の紫雲庭園へ。
法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水で表現したもので、白川砂と杉苔を敷き詰めた中に、法然上人や上人をとりまく人々を大小の石で表し、法然上人の「幼少時代 美作国」「修業時代 比叡山延暦寺」「浄土宗開宗 金戒光明寺の興隆」の三つの部分に分けて構成されています☝️
茶室です。
9時27分。
9時46分。
寛永10年(1633)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立。
奈良の五劫院でもお会いしましたねぇ
景色最高なんですが。。。残念
無情。。。☝️
個人的な意見ですが、滅茶苦茶、濃いお寺でした
なお、夜間の特別拝観も行ってるって☝️
ライトアップ、綺麗でしょうねぇ