真正極楽寺(真如堂)から移動して。
金戒光明寺の北門。再訪です。
くろ谷さんの塔頭 顕岑院。
塔頭 栄摂院,
金戒光明寺(くろ谷さん)の手水舎。
御影堂(本堂)。
大殿(だいでん)とも言う。法然75歳時の肖像(坐像)を安置。1934年(昭和9年)、火災により焼失。1944年(昭和19年)に再建。中山文殊と吉備観音を安置。
誠新撰組
土地の人はこの寺もことを「黒谷(くろだに)さん」と呼んでいる。この黒谷という名は、法然の師匠叡空の里坊がここにあったので、叡空の比叡山延暦寺西塔の青龍寺がある黒谷にちなんで名付けられた。
徳川氏は知恩院とともにこの金戒光明寺にも目をつけた。この寺は京都盆地の東北の小高い丘の上にあり、石垣で周囲を固めれば、天然の要塞に成り変わる。
賢明な春日局はそっと家康の信仰する法然ゆかりのこの寺の一角を借りてお江与の方と忠長(秀忠の次男)の鎮魂を行った。
幕末に京都守護職を江戸幕府より命じられた会津藩主松平容保は、ここ金戒光明寺を本陣とした。
徳川幕府の第三の拠点とも言ってよい寺(第一は二条城、第二は知恩院)。
熊谷直実 鎧掛けの松。
平家物語でも知られる熊谷次郎直実が、当地で法然上人の下、出家をした際に、前庭で洗った鎧を掛けたと伝わる史跡です。
源平の合戦、一ノ谷合戦の逸話で著名な熊谷直実は法然の門徒となり蓮生と号した。武将から僧侶となり平敦盛(たいらのあつもり)を供養した。
阿弥陀堂。
鐘楼。
納骨堂。
山門。
江戸幕府の命により文政11年(1828)再建にとりかかり万延元年(1860年)12月落慶されたもの。古くは9世定玄上人の時代(1398~1415)に建立、応仁の乱にて兵火により罹災、焼失し約350年後に再建。山門楼内壇上正面には等身座像の釈迦三尊と十六羅漢の像が安置されている。
勢至丸像。法然上人の幼名
極楽橋。
梅が綺麗に咲いてました
五劫思惟阿弥陀仏。アフロ
文殊塔への階段。
振り返り。ここの景色、好きなんですよねぇ
最高
文殊塔。日本三文殊随一
徳川秀忠公を弔うために建てられたと。
京都タワー、平安神宮の鳥居⛩️が見えます
山門に戻ってきました。
金戒光明寺(くろ谷さん)全景。
退散します。
高麗門。京都守護職本陣
令和2年(2020年)11月14日の金戒光明寺。