今年のテーマは藤原氏ビックリマーク紫式部も藤原氏ビックリマーク

大和西大寺駅。

安倍さんの襲撃場所ビックリマーク


奈良ファミリー。



秋篠川。



見えてきました。再訪です。



静かで貸切ビックリマーク良い空間ですビックリマーク



第46代孝謙天皇陵・第48代称徳天皇陵(重祚)



称徳天皇高野陵。



お願い 阿部内親王(藤原氏出身)。

聖武天皇(首皇子)と光明皇后(安宿媛)の娘ビックリマーク

史上6人目の女性天皇で、天武系からの最後の天皇上差し


聖武天皇と光明皇后の間にはついに男子が育たず(基王は早世)、阿部内親王のみであった。聖武天皇と県犬養広刀自との間には安積親王が生まれたが、後ろ盾を持たなかったため即位は望み薄。史上唯一の女性皇太子となりました。
天平15年(743年)5月5日に元正上皇の御前で五節舞を披露。
天平17年(744年)に安積親王が没し、聖武天皇の皇子はいなくなった。
天平勝宝元年(749年)に父・聖武天皇の譲位により即位。
光明皇太后の甥にあたる藤原仲麻呂の勢力が急速に拡大。強まる仲麻呂の権勢に、あせった橘奈良麻呂や大伴古麻呂らは、孝謙天皇を廃して新帝を擁立するクーデターを計画ビックリマーク
しかし、事前に察知した藤原仲麻呂により、関係者は同年5月に粛清(橘奈良麻呂の乱)。
天平宝宇2年(758年)8月1日、大炊王(第47代 淳仁天皇)に譲位。

仲麻呂は大炊王から「藤原恵美朝臣」の姓と「押勝」の名が与えられ、藤原恵美押勝と称するようになる。

天平宝宇5年(761年)病に伏せった孝謙上皇は、看病に当たった弓削氏の僧・道鏡を寵愛するようになった。

孝謙上皇と淳仁天皇・仲麻呂の不和が表面化。

藤原仲麻呂の乱。鎮圧される。

淳仁天皇を廃して大炊親王とし、淡路公に封じて流刑とした。

淳仁天皇の廃位によって孝謙上皇は事実上、皇位に復帰。後世では孝謙上皇が重祚したとして、これ以降は称徳天皇と呼ばれる。

称徳天皇=道鏡の二頭体制が確立。

西大寺の拡張や西隆寺の造営、百万塔を製作。

神護景雲3年(769年)、大宰府の主神(かんづかさ)中臣習宜阿曾麻呂が「道鏡が皇位に就くべし」との宇佐八幡宮の託宣を報じたとされた。

これを確かめるべく、和気清麻呂を勅使として宇佐八幡宮に送ったが、清麻呂はこの託宣は虚偽であると復命。これに怒った称徳天皇と天皇の地位を狙っていた道鏡は清麻呂を改名した上で因幡員外介として左遷し、さらに大隈国へ配流した(宇佐八幡宮神託事件)。 

神護景雲4年(770年)8月4日、崩御、53歳。

崩御後まもなく群臣が集まり評議し、吉備真備が文室大市もしくは文室浄三を推し、藤原永手や宿奈麻呂・藤原百川白壁王を推した。

真備が自案に固執すると、永手らは白壁王を指名する称徳天皇の遺詔を読み上げた。このため白壁王が即位して光仁天皇となる。


周りの景色。奈良ファミリーの前です。











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