【サイレンススズカ】 最終章
ダービー後、成長を促すのと、
気持ちをリフレッシュする意味で放牧へ。
この放牧で、
体の成長と精神面の成長を願っていた俺。
俺だけじゃあないなぁ。
みんながそう願ってたかな。
「身も心もひとまわり成長する事によって、それまでの精神的な部分が少しでも落ち着いてくれると、これから先のレースがかなりしやすくなる様に」
との思いだった。
夏の厳しい暑さがまだ残る8月の中頃、
サイレンスは帰って来た。
そして、秋のレースに向けて再び調教を進めていった。
気になっていた放牧の効果は?
う~ん、実を言うと俺にもよく分からない。
実際、放牧に行っていたのは約2ヶ月。
今でこそ短期放牧というシステムが主流になってきていて、
あまりレース間隔を開けずに簡単なリフレッシュで厩舎に戻す事で
再び実戦に近い調教から始められ、
比較的早くレースに使えるという利点がある。
それはそれで大変に良いシステムであり、
今の厩舎運営ではそういう事を効率良く、上手く取り入れる事で、
厩舎の成績も上がってくるというのも確かである。
しかし、サイレンスの場合は、
成長を促すという意味では、
もう少し時間が必要だった様に思えた。
それはやはり、
「それまでのレースで高くなったテンションを下げる」
という事を願っていた訳であって、
一度完全にOFFにしてあげて、
落ち着いた頃合いを見計らい、
そして再び入厩させて調教を進める。
そういう狙いがあったからこそ、
サイレンスの場合はもう少し時間が必要だった様に思えた。
しかし、完全にOFFにするという事は、
やはり時間が必要であって、
秋のレースの事を考えると、
そうせざるを得ない状況も理解出来た。
かくして調教を進めていった訳なのだが、
俺には、春と比べてあまり放牧の効率は見られ無かった様に思えた。
だから、放牧から帰って来たにも関わらず、
相変わらず気持ちがピリピリしてばかりいた。
それは調教でも同じだった。
ムキになりハミを離そうとしないところにも表れていた。
それでも、順調にレースに向けて調教をこなしていく事が出来つつあった。
そんな時、サイレンスの秋の路線が決まった事を知った。
その路線とは、
「神戸新聞杯から秋の天皇賞へ」
というプランであった。
そのプランには俺も賛成だった。
3000mと長丁場の菊花賞よりも、
サイレンスにとって走り慣れた2000mの天皇賞の方が、
レースがし易かったからである。
かと言って、決して楽ではない事も分かっていた。
当時のサイレンスはまだ3才馬。
この時点で古馬の強豪達を相手に戦うのは大変な事であった。
ある意味、同世代同士で走る菊花賞よりも、
大変厳しいレースになる事は明白であった。
ただ、距離の事を考えると、
その方がサイレンス自身のレースが出来ると思っていた。
そして、秋初戦の神戸新聞杯が近づくに連れ、
俺はこんな事を考えるようになった。
「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」
それがサイレンスの為になると思っていた。
しかし、その思いのために思いもよらない事になるとは、
その時の俺は知るよしも無かった。
そして神戸新聞杯の週。
追い切りも無事に終え、いよいよレース当日。
先生と話し合って、
サイレンスの状態を見て、
ダービーの時の様に無理に抑えようとして馬と喧嘩をするよりも、
サイレンスが行きたがるのであれば、
サイレンスの気分を尊重して行かせてあげるように、
それまでの作戦から変更した。
俺も、その時のサイレンスの状態を考えれば、
その方がベストだと思っていた。
その日俺は、朝からずっとサイレンスの事を考えていた。
いかにダメージを残さず勝たせる事が出来るか。
まだ精神的な不安が無くなった訳ではなかったから、
次の天皇賞への事を考えずにはいられなかった。
ダービーの時の様な、
あの頃のサイレンスに戻ってしまう事だけは避けたかった。
それだけは絶対に。
そんな事を考え続けた俺は、
いつしか守りに入っていたのかも知れない。
そして運命のレース。
ゲートが開くと今までの様に素早い反応で先手を取り、
軽快に逃げていく。
俺は、そのサイレンスの行く気に任せ、
気分良く走らせる事だけを考えながらサイレンスのリズムに乗った。
後続をどんどん離していくのが分かる。
後ろの気配が消えてゆく。
そのまま3コーナーを過ぎ4コーナーへと向かっていく。
もちろん手応えは抜群。
十分過ぎるほどの感触。
もう、サイレンスと俺の独走状態だった。
そして、そのまま直線へ。
俺は、サイレンスにスパートをかけた。
その要求通りにサイレンスは加速していく。
そして、直線の半ば過ぎ、
ラスト100mを過ぎた辺りで俺は、
勝利を確信したかの様に、
馬なりのまま流してしまった。
この時俺がしてしまった事は、
今でも反省している。
そして悔やんでいる。
これは、勝負師としてやってはいけない事だった。
そして、差されてしまった。
この時の行動?
なぜ?
こういう風に言うと言い訳に聞こえるかもしれない。
俺のせいだと言われても否定出来ない。
しかし、敢えて言わせて貰えば、
あの時、あの直線半ばで俺は勝利を確信し、
次の天皇賞の事を考えてしまった。
そう、レース前に考えていた、
「なるべく心身共にダメージを最小限に抑えたい」
と。あのダービーの時の様に、
サイレンスを追い込む様な事はしたくなかった。
それがサイレンスの為だと思って…。
しかし勝負の世界。
俺は甘かった。
今まで「サイレンスの為」と思い、
色々な事を考えてきた訳なのだが、
負けてしまえばそれで終わりだった。
何の意味も無かった。
勝負は勝ってこそである。
甘かった、本当に、俺は。
そして、そこで俺はある事を受け止める覚悟をした。
「サイレンスを降ろされてしまう」
という事を。
それは仕方無かった。
俺自身がしてしまった事なのだから。
何も言い訳出来なかった。
負けてしてしまったのだから。
そんな俺の行動で結局サイレンスを手放す事になろうとは、
レース前までは考えもしなかった。
「なんて事をしてしまったんだろう、俺は」
悔やんでも悔やみきれなかった。
当時、札幌遠征中だった俺は居てもたってもいられず、
その場所、関西から離れる様に、
その日のうちに札幌へ帰った。
そしてその晩俺は、朝方まで酒を飲み、そして泣いた。
誰の目も気にする事なく泣いた。
自分のしてしまった事に。
そして、
サイレンスが自分の手から離れてしてしまった事に。
そして、
サイレンスは俺のもとから離れていってしまった。
それからというものの、
調教でサイレンスを見かけるたびに、
愛する彼女を自分自身で手放してしまった事の様に愛おしく思い、
やり切れなかった。
もうサイレンスに乗る事が出来ないと思うと、切なかった。
それ以降、サイレンスには3人のジョッキーが乗る事になるのだけれど、
やはり、最初はサイレンスの性格(クセ)に、苦労していた様に思う。
それと同時に、ポテンシャルの高さを知って皆さん驚いていた。
奇しくも、俺のもとから離れていってからサイレンスは、
伝説と言われるほどにその才能を開花させていく訳なのだけれど、
正直、やはり悔しかった。
誰にも渡したくないと思っていただけに、
やり切れない思いがしばらく続いたが、
自分自身の招いた結果だけに、
どこかで気持ちを切り替えるしかなかった。
しかし、そんな複雑な思いにけじめをつける事は、
なかなか出来る事じゃなかった。
それは、あのサイレンスだったから。
サイレンスが人の手に渡ってからも、
俺はサイレンスの精神状態がずっと気になっていた。
調教で見かけては、
ずっとサイレンスの姿を目で追いかけ、
雰囲気を感じ状態を感じ取っていた。
だからサイレンスの事は、
乗っていなくても大体の事は把握していた。
サイレンスが快進撃を始めてからも、
俺のサイレンスを見る目は昔と何も変わらなかった。
いつも心配していた、
自分が乗る訳でも無いのに。
そして、あの逃亡劇で連勝していった訳なのだが、
正直、今でも分からない事がある。
それは、俺がサイレンスに抑えるレースを教えようとやってきた事なのだが、
どうだろう?
あの時上手く教えてあげる事が出来ていたならば、
もっとこうしてあげられれば、
もっと凄い伝説を築いていたに違いないという気持ちが今でもある。
あの馬は、決して逃げだけの馬じゃあなかったはずだと。
それだけに、
抑えた方が良かったのか?
逃げた方が良かったのか?
しかし、あの驚異的な逃げこそが沢山の人達の心を魅了し、
沢山の人達の心に刻み込まれたのも事実。
全ては
「サイレンススズカ」
という馬のポテンシャルの高さが、
沢山の人達の想像を豊かにさせてくれたのだと思う。
それだけ、多くの人に夢を与える事が出来る馬だった、サイレンスは。
サイレンスにとって最後のレースとなった天皇賞。
俺は、京都競馬場で見ていた。
「今日はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか」
と。いつもの様に軽快に飛ばしていくサイレンス。
どんどん後続を離していく。
見ている人達をワクワクさせて。
そんな時、あの瞬間、俺は呆然となった。
それでもレースは進んでいく。
俺は、サイレンスしか見てなかった。
テレビの画面はレースを写し続ける。
そして白熱する直線。
しかし、俺は何が勝とうがもうどうでも良かった。
それよりも、サイレンスの事だけが心配だった。
「どうか無事でいてくれ」
「軽い故障であってくれ」
と願い続けた。
しかし、その願いも虚しく、思いは打ち砕かれた。
あれから何年たったろう?
今でもサイレンスの事を思うと、
色んな事が鮮明に思い浮かんでくる。
そして、いろんな想像が頭をよぎる。
もしサイレンスが生きていたら、
もしサイレンスが種牡馬になっていたら、
どれだけいい種牡馬になっていた事か。
サイレンスの子供を見てみたかった。
そう思うのは、きっと俺だけじゃないはず。
ありがとうサイレンス。
君は、これからもずっとたくさんの人達の心の中に、
伝説の馬として語り継がれていく事だろう。
そして、俺の心の中にも永遠に。
<終わり>
今回、僕がサイレンススズカの事を書いたのは、
沢山の人達のリクエストと、
僕自身がこの文を書く事で、
もう一度「サイレンススズカ」という馬の事を、
一人でも多くの人達に思い出していただき、
「あぁ、あの時はそういう事だったのか」
「そういう思いでサイレンスに接していたのか」
そして、サイレンススズカという馬が、
どれだけ凄い馬であったのか、
それを感じて思い出していただければという思いからでした。
沢山の人達がこの文を楽しみにして読んで頂いた事に感謝します。
ありがとうございました。