あかり姫と坂本龍馬伝説 -26ページ目

フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の二

前回は、坂本龍馬は剣術で免許皆伝レベルだったと書きました。


現代のフリーターはここで疑問に思います。


資格は一生の宝。資格を取ったなら、道場を開いて暮らしていけるのではないか。

水戸黄門に出てくる悪いヤクザの背後にいる用心棒の「センセイ」のように警備員として高収入が得られるのではないかと。


また、「新撰組隊士募集」の貼り紙(そんなものがあったかどうか分かりませんが)を見て、剣豪の血が騒ぎ、よし、国がフリーターを雇ってくれるのか。俺も国家公務員になって一暴れしてやろう!と思う人もいるかもしれません。


しかし、龍馬はそうしませんでした。

西洋かぶれと言われた佐久間象山の私塾で砲術や漢学、蘭学を学んでいます。佐久間象山は吉田松陰にペリー艦隊でアメリカに行くよう唆したと言われる人で、ガラス製造や地震予知器の開発をした、大変変わった人です。勝海舟の先生でもあります。事ある毎に、海外留学を説いていたと思われます。象山先生の教えを受けた勝海舟は実際に、咸臨丸でアメリカに上陸したのでした。


また、龍馬はジョン万次郎を聴取した川田小龍という人に国際情勢を学び、さらに徳弘孝蔵という人の下で砲術とオランダ語も勉強しています。


このように龍馬は、結構貪欲に知識を仕入れています。恐らく、当代一流の知識人に学ぶ中で、知的刺激を受ける毎日だったことでしょう。その中で、もはや剣で外国に立ち向かうことはできないこと、海外の進んだモノを取り入れる必要があることを学び、考えを変えていったのでしょう。


そこで、千葉道場の仲間のツテで紹介してもらった松平春嶽に紹介状を書いてもらい、勝海舟の私塾、神戸海軍塾の門人にしてもらいます。言ってみれば、勝海舟の私塾の事務局員のようなものかもしれません。そして龍馬の親類らの仲間たちも勝の私塾に加わります。


しかし、塾生の反幕府的な政治活動が問題となり、神戸海軍操練所は廃止されてしまいます。ここで龍馬は、勝先生に見捨てられてしまい、「国家公務員」にはなれませんでした。

しかし、龍馬は勝先生のとりなしで、薩摩藩家老小松帯刀に引き取られます。薩摩藩は、龍馬の航海術が役に立つと考えたのですが、龍馬は勝先生の下で学んだ専門知識のおかげで就職できたことになります。


今で言えば、フリーターが大先生の下で最新の専門知識を身に付けて、地方公務員に採用されたといったところでしょうか。日本に何が必要かを考えて学び、身に付けた専門知識を生かして働こうとした点で、今の若者に通じる自由な生き方をしていたと言えるでしょう。


少年の夢をもう一度!競輪選手を目指そう!

少年時代、誰しも、プロのスポーツ選手に憧れたことはあるでしょう。


私は、小学3年生の頃、初めてプロ野球の試合を見て、野球選手に憧れました。

そのとき、父のつてで掛布選手のサインをいただき、以来、阪神タイガースのファンになりました。

その後、あのバックスクリーン三連発、日本シリーズ優勝がありました。私は野球、サッカー、水泳等、何でもやりました。地元のスポーツ仲間たちと一日中野球かサッカーをやって、将来は、当時流行っていたワード「一億円プレーヤーに俺はなる!」などと誓い合っていました(実際の表現はちょっと違っていたかもしれませんが)。しかし、残念ながら背が伸びず、スポーツの道は諦めました。


野球などのスポーツは、子供の頃から鍛えて、学校では野球部に入って、ドラフトに引っ掛かるのを待つなど、ルートは限られています。例えば、スキーやスケートの選手は決まって雪国の出身で、子供の頃から鍛えられている。そんなイメージがあります。


また、様々なスポーツで国内のトップ選手になったとしても、アマチュアですから資金繰りに苦しんでいるという話はよく聞きます。例えば、テレビを賑わし、有名になれるのはマラソン選手かもしれません。会社の陸上部に所属して、仕事が終わった後に部活をやっているのです。力のある選手は、しょっちゅうテレビに映っています。ただ、有名になって活躍しても、走るだけでお金をもらっているわけではありません。

五輪の枠を巡ってトップ選手の間で熾烈な戦いが繰り広げられているのは見ての通りです。


日本にはプロスポーツ自体、数が少ないのです。


しかし、競輪は、数少ないプロスポーツとして存在しています。五年前にはガールズケイリンも復活し、女子のプロスポーツ界が一つ誕生しました。


そして、今は競輪選手になるのに年齢制限は撤廃されています。


そうです。なんと、今は志のある者は、老いも若きも誰でも競輪選手を目指せるのです!


よく、あかり姫が一着インタビューで、一着を取った選手に一発芸を求めています。それを見ると、時々、昔やってたスポーツをエアーでやってもらっています。


そうです!。あかり姫の求めるあの一発芸からは、競輪選手には他のスポーツからの転職者がいかに多いか、その実態がよ~く分かるのです!


ちなみに、あかり姫の一着インタビューは、高知競輪のウェブサイトから、その模様をいつでも見ることが出来ます。


私がそれを知ったのはほんの数年前です。アメブロにあるもし過去に戻れるなら、何年前に戻るかという質問で、13年前と書いたのは、もしそのとき競輪の話を知ったなら、間違いなく目指していただろうと思います。

だって、私と同じくらいの背格好の競輪選手が一線で活躍しているのですから!


競輪を見ていて分かるのは、もの凄い筋肉を付けた大柄な選手だけが勝てるわけではないということです。高校時代から自転車一筋でないと選手になれないわけでもない。


私自身、実際に競輪選手たちにイベントでお話を聞く中で、おぼろげながら、強い選手のイメージができてきたのですが、それはまたそのうち書きます。


これは素人の見方に過ぎませんが、大まかに言えば、アマチュアスポーツ界で活躍してきたが、プロ選手としてやっていくために競輪に転向したように見える選手が多数参入していて、異種格闘技戦の様相を呈しているのが今の競輪界であるように、私には見えるのです。


意外でしょう?


少年の頃の夢をもう一度!追いかけるチャンスが、競輪にはあるのです!

プロの競輪選手になるには、静岡の日本競輪学校に入る必要があります。詳しくはご自分でお調べ下さい。


今日は子供の日ということで、少年の夢をもう一度!プロスポーツ選手への道をご紹介しました。

競輪場にいた悪い奴

前回の記事で、競輪場について書きました。

 

明らかに怖そうな人には近づくなと書いたので、治安に不安を感じた方もおられるかもしれません。

 

公共の施設ですから、出入りは自由なので、確かに、どういう人が来ているかは分かりません。

 

しかし、お爺ちゃんたちの居場所のようになっている面があるのは事実です。

 

そうです。競輪場は意外に治安は良いのです。公営の施設だけに、防犯カメラがあり、警備員があちこちに立っていて、警察官が歩いていることもあります。

 

そういう雰囲気なので、お年寄りも安心して競輪場に通えるのです。

 

龍馬スタジアムでは、怖そうな人は誰もいませんでした。

 

いや、一人だけ悪い人がいました。

その人は、あろうことか一着を取った選手が観客のお爺ちゃんに向けてそっと投げたプレゼントをさっと横取りキャッチしてしまったのです。

 

ベレー帽を被った上品なお爺ちゃんはビックリして

 

「あっ」

 

と小さく声を上げ茫然としていました。

 

みなさんはこういう選手の善意やお爺ちゃんの期待を踏みにじるようなことは決してしてはいけません。

 

そんなことをしたのは誰か?

 

ハイ、私です。瞬時に手を伸ばしてしまいました。この場を借りて謝らせていただきます。

 

なお、良心の呵責に苛まれた私は、その後お爺ちゃんに謝ってお譲りしますと申し出ましたが、「いいよ、やる」と言って下さったので、有り難くいただくことにしたのでした。