こんにちは、愛川よう子です。
昨日、子どものこころのコーチング協会のメルマガで書いた内容を、協会のブログでシェアしたところ、とても好評でした♡
子どもが病気になってしまったときのワーキングマザーの憂い、そして働くママだけでなく、専業主婦のママたちに、エールを込めてて書いたものです。
子どもが病気になると、私は病児保育を利用して、仕事に出かけて行きました。
そのことで、罪悪感に苛まれ、涙しました。そんなエピソードを書いたものです。
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思えば、私が幼かった頃も、母は働いていました。
その頃、病児保育なんてなかったので、きっと仕事は休んでいたのでしょう。
ただ、1回だけ今も覚えている記憶があります。
アパレルショップの店長だった母親は、どうしてもその日休めなかったのだと思います。
微熱の中、一人で静かな家で寝ていた私。
昼になると、母親がとんで帰ってきて、おかゆとリンゴを出して、食べさせてくれました。
そしてお昼時間が終わると、また仕事に行きました。
私は、あたたかな昼下がり、和室でうとうとと寝ながら、母の帰りを待っていたのです。
母の勤務先は、自宅から車で飛ばして、40分くらいはかかる場所だったと思います。
まだ年長さんかそこいらの私、一人でお留守番していたんですね。
でもね、ここで「病気の幼い子どもを置いていくなんて、なんて親だ」とか批判は一切ご遠慮願います。
母の名誉のために言いますが、私はそれが、できる子だったんです!
そう。保育園児でしたが、空気を読み、親を困らせないように、静かにいい子に、寝て待っていられる子だったんです!
私だからそれが出来た。母も私もそれを了承済みです。
だから、批判しないでね…。
そのときの記憶は、悲しみではなく、のどかな情景です。
母をゆっくりと待つ、あたたかな日差しの中の記憶です。
あの日のうららかな日射しが差し込む和室も、お布団も、りんごの形も、台所に立つ母の背中も、忘れられない情景です。
でもね、大人になったあと聞きました。
母もその日の事をよく覚えていて、車で泣いたそうです。
休んであげられず、幼いわが子を家において行かなければならない現実に、泣きながら向き合ったそうです。
いつの時代も、母親は必死です。試行錯誤しながら、子育てしているんですね。
あのときの母の苦労、愛情、そして長きに渡る子育て、心から感謝しています。
沢山の方がシェアしてくださった記事、こちらでも紹介させてくださいね。
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