カズオ•イシグロ氏の作品は「私を離さないで」「日の名残り」しか知りませんでしたが、先日「クララとお日さま」を読んで、人間に対するAIの献身に感じるものがあり、カズオ•イシグロ作品に興味を持ちました。
「遠い山なみの光」
著 カズオ•イシグロ〈早川書房〉
訳 小野寺健
2001年 P261
ブック裏より
故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。
戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は悦子の不安をかきたてた。
だが、あの頃は誰もが傷つき。何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。
『女たちの遠い夏』改題。
悦子は、戦争で両親を亡くし、彼女を引き取って
くれた緒方さんの息子の二郎と結婚し、現在長崎に住み妊娠中です。
そんな悦子の近所に住む佐知子は、東京出身で万里子という子連れの未亡人。しかし英語が話せるので米国人の恋人も居て、いずれはアメリカに住みたいと思っているのです。
小津安二郎の映画を彷彿させるというこの小説ですが、戦後の何もかも価値観が変わってしまった日本が舞台です。
悦子が夫以上に慕っている義父の緒方は、いわゆる大正、昭和を生きた戦前の人間なのです。
〈選挙投票で、妻が夫と違う立候補者に投票するなんて、けしからん!〉と真面目に立腹する人物。緒方はアメリカから押し付けられた民主主義に憤りを感じています。
この小説の人物や時代背景が鮮やかに描かれているのは1931年生まれの小野寺健氏の訳が際立っているからではないのか?という見解もあります。
しかし、1954年生まれのカズオ•イシグロ氏が何故に戦後の日本をこのように理解し描く事が出来たのか?私はそちらの方が不思議に思いました。
日本だけではなく、戦後の特に敗戦国は混沌としていた時代だとは思うのです。
それだけに英米文学としてこのような作品が描かれたのは、カズオ•イシグロ氏の日本への哀愁のようなものなのでしょうか?
それとも、国境を超えて、これからの時代を生きようとする女性の普遍性を描いているのでしょうか。