塾というのは勉強を教えるのが仕事だ。異論は無い。

だが、知識を教えるだけが塾の指導とは思わない。


何を教えたかではない。どのくらい生徒が頭を使ったかが重要である。

3時間なら、その3時間のうちにどのくらい生徒が頭を使ったかが、私の授業評価のcriteriaの一つである。


以前のUBQで最高に良かったと思う授業を挙げる。


東大の過去問を研究していると(授業で教えたのではなく、授業で一緒に研究しているのである)


私の解説をみて、私立モモタロウ高校の高3生が怪訝そうな顔をする。彼は岡山の当時の高校生では紛れも無く数学力はナンバー・ワンであった。


その解答はまちがっていると言い出した。


どこか、計算間違いをしましたかときくと・・・


いや、もともとの土台となる長山先生の理論が根本的に違っているのではないか?との由。



さてさて、これは面白くなってきたぞっ!と欣喜雀躍した。それから一時間ほど教室を巻き込んでカンカンガクガク。


結局、ひどく残念ながら(←誤植ではない!)、私の考えが正しかったという結論に至ったのである。


あまりにも高度な話なので、少し説明をしよう。


まず、そのモモタロウ高校の生徒は、長山が自力で東大の過去問を解いている事を知っている。


赤本や駿台の過去問集を丸写しにして黒板に書くだけでしたら教師は要りません。

 


 


中にはこのブログで紹介したような独創的な解法がある一方でとんでもない間違いをすることもある事を知っている。独創的な解法にはとんでもない間違いが必要であるからである。


だから気を許せないので受け身でなく、何が起こるのかと批判的に注意して聞いていたのである。



自力ですべての東大の問題を解く能力は長山には幸いに(←誤植ではない!)無いので、解けなかった場合には、ここまで考えたが、どうしてもこの部分が数学的に成立するかの保証がないと正直に言って授業で説明する。


言い訳の「殺し文句」は、《こんな難しい事が理解できる人は学者になれば良いのであって教師には向いていない。。。》と居直る事である。


第二に、このエピソードは学校ではありえない事である、高校で、授業中に生徒が、その問題の解法は根本的におかしいなどと言い出す事は絶対に無いと言っても過言ではない。モモタロウ高校では主な東大の過去問は授業で解説しているとのこと。




あー。なるほど。この生徒は長山ならどう解くかを聞きに来ているのか。


塾というのは日本中どこにでも、掃いて捨てるほどあるが、こんな授業をしているのはUBQくらいのものであろう。