自我=不安・ゴミ | 人生を愉しむとは

人生を愉しむとは

近頃は仏陀の教えばかりだね



人に優しくしていますか?

人に笑顔を貰っていますか?


自分のした事で対象の人が笑顔を返してくれる。これはお金や地位なんかでは到底達成出来ないであろう嬉しさ、満足感が得られます。


しかし残念ながら通常人間の機能には、この様な機能は付いていません。なぜなら自分というものが有ると思っているからです。自我が有ると、自分が一番大切な存在になるんですね。気づいてはいませんが、基本的に死にたくないでしょう?それが自我です。


ですから人間は人の気持ちなんて解らないのです。解ったつもりは有りますが、自分勝手な過去からの育った中でただ集まったゴミの様なデータからそう判断しただけなのです。


仮に自我というものが無かったら、自分を守る事も必要が無いので、客観的に人が何に対して笑顔が出るのかというのが観えてきますね。何となくでも解るでしょうか?


相手と話している瞬時に、相手を喜ばせる会話や対応が観えてくるし、行動できるのです。見返りなくね。笑顔を見せてくれるのがとっても嬉しいし、自分も幸せな気持ちになれるのです。


その行為が出来るなら、仕事や家庭の大事な事も観えてくるし、実際に行動できる様になるのです。


あ、相手を甘やかせるという意味では無いですよ。会社なら良い仕事を効率よく行ってお客様に喜んで頂いた結果、お金を戴いて利益が出るという因果法則・自業自得のお話です。


但し人間には自我があるから、なかなかこの様な事は出来ないのです。正しく人間の自我という仕組みを見破らなくてはならないのです。


ですから、そこを越えるには仏陀の教えの「無我」が理解出来なければ、スタートの位置にまでも届かないのです。


他の何を学んでも、自我が有る限り生きる不安は無くならないのです。


また人間の価値観は人それぞれなので、説明するのも難しいんですね。


それでも学んでみたいというなら、アチャン・チャー長老とスマナサーラ長老的なダンマを教えてあげます。但し自我が強すぎる方は無理かもです。笑



生きとし生けるものが幸せでありますように




今日のお勉強

今日のは短いよー♪



今日の癒し

James / Sit Down