アマドコロ | いつかきっと白い翼!!

いつかきっと白い翼!!

Where flowers bloom so does hope.

この素晴らしい世界に祝福を! テレビアニメの第3期は、この作品のストロングポイントを最大限に活かす面白さですねー。ヽ(=´▽`=)ノ

 

テレビアニメ版では、原作小説での会話劇の楽しさへの理解度が非常に高いのですよね。

アドリブを最大限に活かしつつ、原作の要点を外さない。大胆なシナリオの構成だと想う。

とにかく観客を強く意識して作られているのですねー。

楽しいひとときを過ごせたら、このすば!としては大成功だと想う。ヽ(=´▽`=)ノ

 

演劇スタイルの作劇で高い次元の面白さに昇華できたものに、アニメーションで動きを付けていく。画期的な作品だと想うし、アニメーションの特異点のひとつではないかと。

 

金崎総監督の作品は、演技重視のスタイルで誰にとっても分かりやすい。

だからこそ今敏監督と同じように、海外で人気になっているのでしょう。

このブログでもお世辞抜きに・・・推していける。(o・ω・o) ←箱推し派。

 

原作小説2巻分を11話で畳み掛けてくるので・・・見逃すのはもったいないと想います。(おわり)

<以下、読まなくても良い内容です。>

原作小説は会話劇による主観視点が中心で、世界設定が第三者視点から明かされることが無いのですよね。

 

天界の裁きの扉の前で、生前に善い行いをして天寿を全うした人に、天国または異世界での魔王討伐を優しく依頼してくる女神アクア様。

おそらくは、ここでは意思だけで肉体を持たない(高次元の)存在なのでしょう。

昔の神話だったら、霧の中に影だけで存在していて・・・美しい声で語りかけることで、相手の心の中に無限の想像力で美化された女神像が形成されていくのではないかと。

言い換えれば、相手の心の中にある理想像を鏡のように映し出す、究極のミラーリングでカウンセリングをしているような存在。(だから、人によっては崇拝のインフレーションが止まらなくなるかと。)

魔王を倒すための転生特典アイテムも、相手の心のなかにある希望を具現化したものが神器と呼ばれる・・・女神の奇跡ではないかな。ヽ(=´▽`=)ノ

本来であれば、心の美しい人が願う奇跡の力なので、素晴らしいアイテムが生まれてくるはず。

このすば!の物語の開始時点で、主人公のカズマさんと女神アクア様の会話劇が・・・最高に面白いのですよね。主人公の小物ぶりに、どうせ大した結果になるはずもなかろうと、自分の役目を忘れて雑な対応で話を進めようとする女神様と揉めてしまうことに。

売り言葉に買い言葉(相手の暴言に、同じ調子で言い返すこと)で、そんなにスリルたっぷりの楽しい世界があるのなら、一緒に見に行こうかと。ヽ(=´▽`=)ノ 転生特典アイテムに、女神様が選ばれてしまいます。

旅の思い出だがしかし

高次元の存在から、主人公の魂から生まれる存在となってしまった女神アクア様は・・・いわば肉親のような存在。姉弟喧嘩のような賑やかな掛け合いをしつつ、この素晴らしい世界を楽しんでいくことになるのでした。

 

女神アクア様は、たとえ千年を掛けても恋愛対象になるような存在ではないのですよね。(o・ω・o)

この物語の根幹に位置している永遠の観測者のような存在。

女神様のボケが大きいほど、それを現実目線から指摘する主人公のツッコミが冴えわたることになっていくのだと想うのです。(誰と幸せになるのかは、読者に委ねられているのでしょう。)

 

魔王を倒すために、転生者の願う力を、女神の奇跡として・・・いかに強い神器を作り、そのパワーで現状を変えていくことが出来るかを頑張ってきた女神アクア様。

 

しかし、この世界に来てみると・・・神器が全てを解決するとは限らないことが見えてくるのですよね。どれほど強い力があったとしても、人の使い方が正しいとは限らない。

 

神器を持っていなくても、世界の運命を変えるほどの可能性を秘めている人がいることに気が付いていくのでした。

そういう人を見掛けると意気投合してしまうアクア様の天運(?)の強さで、主人公は強力無比な人たちに囲まれていくことに。(未来を変えるほどではない人には、さほど感心が無いのかも。)

 

ひとりでは役に立たず、普通の冒険者パーティーには馴染むことが出来ず、酒場の隅っこでうなだれている未完の大器の冒険者たち。彼女たちが自分の本当の役割を知るとき、物語が大きく動き始めるのです。

主人公は、自分のために頑張るのは苦手で、世界を救うことは個人のやることではないと分かっていても、大切な人が困っているときには放っておけない。

 

普通の人には絶対にできないような、きわめて純粋な行動原理。

周りに居合わせたあらゆる人が巻き込まれてしまう力場が発生しているように感じます。

一種の天運かもしれないですねー。ヽ(=´▽`=)ノ

人の意志が、未来を変えていく可能性を秘めている。

原作小説の良さ、人間だからこその素晴らしい世界を想像し得る可能性を・・・テレビアニメ版は再現できているように感じるかな。

原作小説の最終章でも、女神アクア様を助けるため、あらゆる登場人物の協力を得て、持てる全ての力を尽くして、世界最大の迷宮の最深部で魔王と一騎打ちに挑むことに。

ドリームチームの結成とも相まって、この展開は凄く熱かった。(ネタバレと言うには、この後にいろいろ大変すぎるのは・・・いつもの通り。)

主人公の行動原理を考えると、すごく腑に落ちるのですよね。

 

芸術に長けていて、宴会が大好きな・・・戦闘は専門外の水の女神様が、世界を救おうと虚勢を張っているのを黙ってみていられずに、天界に返そうと決意する。

 

この瞬間、物語の伏線が鮮やかに回収されていき、自分なりに異世界での生活を切り開いてきたカズマさんだからこそ、神器に頼らずに新しい未来を切り開いていく・・・この世界の主人公だと分かるのですねー。(。>﹏<。) 小さなアイデアを臨機応変に使いこなし、そして積み重ねて大きな困難を状況を打破していくスタイルは、勇者ではなくても未来を変える可能性があるということ。

大きな権力や大魔法または神器で現状を無理やりひっくり返そうとしない誠実さがあるから、カズマさんが物語の主軸にいるときに、とても共感できるし安定感があると想う。

そういう主人公が未来を素晴らしいものに変えていくからこそ、女神からの台詞が心憎いラストになっているのですよねー。

 

派手な特殊効果と音響に注目されがちですが、物語の根幹は目立たない場面にあるように感じます。

FateHFルートのエンディングにも通じるものがありますが、最期の爆裂魔法で崩壊していく大迷宮と、道具ではなく人だからこそ成し得たグランドフィナーレにも繋がっていくので・・・。

人の活躍を描くことで、鑑賞した人の心に長く残る作品であって欲しいかな。

(今回のタイトルは、他人の心の痛みが分かる人という意味です。)