男女逆転「大奥」の作者、よしながふみさんの漫画です。
母子家庭の如月家をとりまく、さまざまな人間関係の「愛」のかたちを描いたオムニバス。「親子」の愛、「男女」の愛、友情、そして、全ての人間への愛。共通しているのは、視点が徹底的に「娘」であること。どこか不完全で潔癖だったり、思い込みが強かったり。何かをあきらめた分別のある「大人の女」ではなく、「娘」のその「不完全な心」を愛しいものとして描いた作品のように思います。
実際、彼女たちのすることはどれも世間的には「?」と思うことなのでしょう。娘よりも年下の男と結婚する母、一方的に自分の思う「愛」を与える少女、恋ができない友人、少女時代の理想を追ってしまう友人。彼女らの物語を唯一「普通の恋愛」をしている如月家の「娘」が「普通の人」の視点で右往左往しつつ見守ります。そのまなざしはおそらく読み手のそれと一緒です。心配し、呆れ、そして最後には温かく受け入れる。自分の中の「娘」も含めて。全編を通して読むと、この1冊になんともいえない凝縮した何かを感じます。
さて、なんで今この漫画を思い出したかというと、昨日ブログに書いた「浮気」について考えていたときに、ふとこの漫画の一節を思い出したから。
既に本命がいるのに「気持ちが揺れた」とき。誠実であろうとするならば、選ばなくてはいけません。
(これを「選ばずに続けること」が、私的に非難されるべき「浮気」)。
そしてその選択における葛藤のせつなさが前に紹介した「ごめん。」「あかピンク」の物語のせつなさだったり。
「恋」は
ただ一人を選ぶということ
他の誰とも違う、特別な人。それが「恋人」であり「伴侶」というものになる。
この「愛すべき娘たち」の中に、「人を分け隔てなく愛しなさい」と育てられた娘が出てきます。彼女はその教えのまま、誰にも優しく、誰にでも愛を持って接するけれど、なぜか自身の「恋愛」だけはできない。お年頃の彼女。何度も見合いをし、彼女自身も葛藤します。それはなぜか。
「分け隔てられないから」
彼女は「結婚」できない。彼女がそれに気づき、友人に語るシーンは衝撃的です。
ただ一人を選ぶ。誰かを誰かより特別に思う。
これは確かに「究極のえこひいき」であり、差別です。でも、「人としての幸せ」もそこにあるのは確か。
「恋」について、なんだか非常に考えさせられてしまいました。
最後に、「愛すべき娘たち」のメインである如月親子。冒頭の親子げんかでの会話が、非常に秀逸。この話の冒頭に持ってきている点にニヤリとさせられます。娘との口喧嘩で「それって八つ当たりだと思うの」と言われた母。
「そうよ、八つ当たりよ、それのどこがいけないの?」
「親だって人間だもの。機嫌の悪いことだってあるわよ!あんたの周囲が全てあんたに対してフェアでいてくれると思ったら大間違いです!!」
(°∀°)b
これが人間として生きることの大前提なのかも。
全ての人間に「フェア」であろうとした「彼女」を思って泣いたこの母の娘。
いろいろと深いお話です。