大岡越前による元文の改鋳  ~江戸時代のデフレ脱却~ | rxtypeのブログ since 2012

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日本経済の一番の問題はデフレ予想です。

この本を参考に、江戸時代のデフレ脱却について書きます。

大岡越前守/講談社
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名君徳川吉宗はダメ将軍だった
一般的には、名君だといわれている徳川吉宗ですが、当初は全くダメな将軍でした。
---引用ここから---
「今年一番の傑作は・・・」
 と、楽翁の毒舌は留まるところを知らない。
「なんといっても、“上の好きな物、御鷹野と下難儀”でございましょう。お武家にとっては名君でございましても、下下には貧乏神でございますよ」
 倹約令は毎年のように追加発布されていた。武家はもちろん、町人にも華美な服装や贅沢とみなされる品物の売買が禁止され、辻相撲、辻踊りといったささやかな娯楽まで風紀上よろしからずと監視の目が光っている。
 市谷八幡や穴八幡などの神輿中心の祭礼は、たいした影響を受けていないが、豪壮なだしと華麗な踊り屋台を競う日吉山王社、神田明神等の祭礼には簡素・倹約が事細かく沙汰されていた。
 これらの禁令ずくめが、世を暗くし、不景気風をあおっているという下の難儀を、忠相は知らないわけではない。(p200)
---引用ここまで---
要するに、世の中がデフレになっているのもわからず、質素倹約を推奨し、さらに米の増産など、供給力を増大させる改革をして、さらにデフレを悪化させるということをやったダメ将軍だったのです。

リフレ政策をやった大岡越前
このまま、経済を停滞させたまま終われば、綱吉に次ぐダメ将軍として歴史に名を残したかもしれません。
しかし、それを救った人物がいます。
大岡越前こと、大岡忠相です。
彼が何をやったのかというと、元文の改鋳というリフレ政策と、重商主義的な商人の懲らしめを行ったのです。

---引用ここから---
第六章 栄達の裏
 現行の貨幣の含有品位は、純度を百とすれば、金は六十七、銀が八十で、銀の品位が高くできている。
 このため、自然、銀高、金安に傾くのであった。
(略) 
「ここが、肝心要であったのでござる。それゆえ、貨幣の全面改鋳をおこない、金貨と銀貨の品位を同率にするか、金貨をやや高めにすれば、上方商人の暗躍があったとしても、自ずと、金銀相場は正常に働き、多少の金高、銀安にて安定し、江戸の物価にとってx,好都合の結果をもたらすのでござる」(p287)

 享保二十一年は四月二十八日に改元され、元文元年となる。
 その五月、貨幣改鋳が、勘定奉行細田時以と町奉行大岡忠相に下命された。町奉行が貨幣改鋳の担当奉行を兼ねるのは、異例中の異例であった。
 貨幣の量を増やすために、当然、品位は下がる。金貨と銀貨の品位比率は、忠相としては、一割くらいの差をつけたかった。だが、御側役加納久通の意向が強く働き、金貨が六十、銀貨が五十八という僅差に落ち着いたのである。(p289)
---引用ここまで---

改鋳というと、普通は小判(金貨)の改鋳を思い浮かべると思いますが、この元文の改鋳のポイントは、銀貨の含有量を減らしたところです。
なぜかというと、当時、生産の中心は上方(関西)で、実際は上方が物価を決めていました。上方が主に使っていたのが銀貨です。この銀貨の価値が上がりすぎることが当時のデフレ不況の一番の原因だったため、大岡忠相らは、金貨と同時に銀貨の改鋳も行い、貨幣の流通量を増やし、デフレ脱却に成功したのです
現代のアベノミクスにも通じるものがありますね。



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