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ペン・ネーム(PenNeimu)のブログ

 本ブログのテーマーは、「政治改革」です。民主・法治主義の世の中を良くも悪くもするは、政治ではないでしょうか。その様々な社会現象や問題点を分析・指摘し、解決策を率直に進言するべく、周辺の方々に出来るだけご迷惑が及ばないように、ペン・ネームと匿名にしました。

2025年、大阪府市共催で6ヵ月限定の大阪万博を、大阪の夢洲に55年振りに開催が決定したよね。

 

これはこれで、提灯行列に参加したいほどの感激していますが、尾ひれがついた胡散臭い話でウンザリ。

 

諸外国参加により世界が目を見張るような「近未来の社会と生活」をテーマーパークとする万博を実現し、その後ドリームプレイランドに開設し直し、ホテル・会議場・展示場・カジノ等を併設した恒久的統合型リゾート施設(IR)にしたいと。

 

関西の経済発展と肥大化する社会保障費捻出のために、IR 施設を建設することは、府・市議会と関西経済界の一致が得られれば可能だとしているが?

 

一致とは、三者が賛成に合意するって事だよね。それよりも市民の賛成を得る方が重要じゃあない。

 

何が何でもカジノをやる為に万博を口実にするなら、万博の是非そのものについて、大阪市府民の賛否(直接住民投票)を問わないと。


その上で、全体構想のアイデアを、懸賞金付きで一般募集することがベストかも。

 

過日の朝日新聞と朝日放送(ABC)が実施した大阪府民調査によると、IR誘致賛成派が31%で、反対が60%だって。

 

外国人投資家にカジノを建設・運営させ、外国人旅行者に金を使わし、公金として上納させるんだと。日本人には、同賭博場の出入等について、厳格な規制を施すとしているが、何か弁解がましいのでは。


外国人からカモルのだからいいとの考えを良しとする両首長は、そら恐ろしい!

 

尚且つ、カジノ=賭博場であることは、疑う余地がないにも拘らず、博打を主催運営する人達との絆が、

必然的に生ずることになるんじゃない。

 

IR建設に約5000億円以上掛かるんだって。府市と財界だけでは賄えない金額だから、カジノの胴元に融資を縋るとのこと。彼等に頭が上がらない関係になっちゃうのだ。闇の世界と強い癒着が・・・。

 

それに海沿いの場所だから自然災害対策も大変だよ。その分は、関西電力の市所有株(約850億円)を当て込んでいるのかしれないが。

 

相当の大金が、裏金を含め動き回ることに成るんだろうけど。実際は何処に消えるか判らないよね。胡散臭い事業だと思わない?

 

大阪都構想は、大阪市の住民投票で否決されちゃたんだし。 IRは、関西経済界も賛否バラバラの状態なんだよね。而もカジノ構想には、女性層から総スカンをくっている状態なのに・・・

 

賭博の胴元には、賭け金の25%のてら銭が確実に入るとか。形振り構わず、胴元に成りたがるのだろうけど。

 

世界の老若男女が永続的に楽しめ、教育的で健全な施設を造る方向に転換すべきでは。

 

 

 

 

 

時々、ツイッタ―を覗いてるのだが。

 

政治ジャンルに目を通してみると、当然の事ながら、政治批判が花ざかり。

 

大いなる熱気も感じ、大変好感を。

 

但し、同一内容の繰り返しが多いのが気になる。

 

ツイッタ―が、一過性故に、同一文を連打するのだろう。

 

気持ちは解るが、些か食傷気味に感じちゃたりして。

 

たまたま開き当った人には、新鮮な効果が期待出来るかとは思うが。

 

併し、声はすれども姿は見えずじゃないが、問題の提起は多いのだが答えが判らないのが残念だ。

 

つまり、批判>0=?になるってこと。

 

批判には、対案・希望を明示願いたいと思うのは、私だけかも知れないが・・・。

 

対案なき批判は、単なる愚痴や不満としか受け取れないのは、甚だ残念だ。

 

半角英数で280の字枠で其処まで出来るか、とお叱りを受けそうですが。

 

ブログホームページ等を利用したら如何でしょう。

 

何れにしても、政治に関心がある人達によって、実の有る政治改革を目指したいものですネ。

 

 

 

 

喘息や悲鳴の喉声じゃないヨ。

 

政界用語として特に使われる『是々・非々』なんだけど。

 

野党が、与党の政策案に対応する仕方として、よく発言するのでは。

 

心掛けとしては、いいと思うのだが・・・

 

正しい使い方がされているのだろうか。

 

現代国語例解辞典によれば、

 

是々非々とは『よいことをはっきりよいとし、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること』と常識的解釈が記載されているよ。

 

さらに踏み込んでみると、

 

是とは『道理にかなったこと。正しいこと。一般がよいと認めたこと』とあり、

 

非とは『道理に合わないこと。正しくないこと。間違っているところ。悪い点』とある。

 

道理とは『そうあるべき当然のすじみち。正しい論理』のこととある。

 

公平とは『判断や行動が公正でかたよらないこと』とあり、

 

公正とは『公平で正しいこと』と堂々巡りになっちゃうネ。

 

ここでストップしよう。

 

このロジックを整理・要約してみるよ。

 

是々非々で対応するってことは【判断や行動がかたよらずに、一般的にそうあるべきが当然の正しい立場で臨む】となるんじゃーないだろうか。

 

此の見解が統一的定義として、是非はどんな基準で決まるのだろうー。

 

大方の人の容認=大方の人がそうあるべきが当然と納得する度合いに、一般的にはよるのでは。

 

大方の人の容認・納得は、政策ごとに国民の同意の選択を得ることは、不能率・不可能だから、政党政治による政治手法がとられているんじゃー。

 

国民は自分が選んだ政党に、政策の処置・対応を負託していることになっている。

 

現行政治制度での国民は、政党に政治を実質的に丸投げ状態にされているんだよね。

 

その実、各政党ともどんな世の中にするのか、全く定まっていないのが現状。

 

だから党利党欲の方向に曲げられる。

 

根本的・具体的なビジョン=憲法をもっていないのだから当然なことだけどネ。

 

だから、現行憲法の条文について同党員の中で容認派と反対派に分かれ、或は他党寄りの党員を擁するってことは、可笑しいんじゃない?

 

現状の不可思議な政党政治に対して、国民も声を大にして反対を唱えるべきかと。

 

ゼーゼー・ヒーヒーで往くなら、国民に政党の旗印としての憲法を堂々と掲げて、負託を受けなければければ・・・

 

【全人類に捧ぐ!超・政治改革論】⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/ⅩⅠ章「憲法の問題点を突く」3節に新・日本国憲法草案が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙ってなんだろう。

 

各種元素や同素を基にした粒子・物質・物体が無限に存在する空間ではないかと想像するんだが。

 

それらが有する陰・陽の働きが、悠久の時間の中で強力となり巨塊化し、圧縮のエネルギーが限界に達した段階で大爆発を起し、無数の星等に飛散するのでは。

 

此の輪廻が測り知れないサイクルで、繰り返されているんじゃないだろうか。

 

地球はそのサイクルの中での一粒として一時的に存在しているに過ぎないと。

 

そして各種元素が様々に結合・変化・作用して、生物を創造し、更に神経細胞による神経回路をより高度に進化させてきたのであろうか。

 

地球の生物の頂点は、地球が存続の限り、人類じゃあないかネ。

 

人類の出現は、必然か偶然か?どっちなんだろうねー。

 

人間と認識する条件は、人の形をなし、脳神経の働きによる意識を有することでは。

 

意識とは、現代国語例解辞典によれば『自分のしていることや周囲のことなどに気づいている心の状態』であり、心とは『人間の知的・情意的な精神活動をつかさどる働き』のことだって。

 

意識→脳の神経活動の無い状態での人間は、一般的には植物人間とか死体とか呼称しているよネ。つまり人間ではないと。

 

勿論個人的にどう受け止めるかは、ホッチチなんだけど。

 

「肉体は朽ちても、霊魂は残る」と言われるが、肉体はあらゆる変化を遂げ、その元素は永遠にして無限なる宇宙に止まることになるとすれば、逆説的論理になるのじゃないかとも考えられるのだが。

 

但し、個人的想像により、霊の存在を信じることはありだが。

 

本人自体の精神活動は、死亡と同時に停止し、再生不能の状態に至れば、消滅すると考えることが、現代科学では合理的と思うんだ。


肉体と精神が一対として、生きている人間として認識されていることは、否定し難い真実だと。

 

死者は死亡と同時に心を伴っていないのだから、単なる物体・物質に過ぎないことに。

 

死者の霊魂は永遠にこの世に残るとして、存在するが如き振る舞うは、死者に関与する人々の様々な思惑では・・・。

 

人が、宇宙から生まれ宇宙に戻る輪廻の宿命を背負っている事実は、否定出来ないんじゃー。

 

様々な人の一生で色々と感慨の差異があるだろうが、人間は、永大な宇宙の輪の中で、宇宙の恩恵を受けて存在していることも否定しがたいと。

 

森羅万象が、壮大な宇宙と言う名の舞台の役目であり、道具であるのではないだろうか。

 

だとすれば、宇宙的発想で自分を客観的に把握することが、大切な事と考えられる。

 

そんな子供じみた考えが、この忙(セワ)しない社会に通用しないことは承知してるんだが。

 

余りにも自己中心的利己虫が、繁殖してきている現状を慮(オモンバカ)るとつい・・・。

 

生きることは、生命体の本能にかかわることだから、個人的に要請するはことは無理なんだが。

 

地球全体を考える時、今後益々宇宙的的レベルでの意識が求められる。

 

これからの時代は、宇宙的配慮の政治が必要になるのでは。

 

目先の了見も大切ではあるが、政治は大所高所の上に立って行うが、基本であり重要かと。

 

宇宙は永久不滅だが、「始めあるものは終りあり」、との論理も限定的真実だと思う。

 

「一々煩く云われたくないわい!」との声も聞こえるが、現実には誰からも、此の真理に基づく具体的な政治的施策を示されていない。

 

少子高齢化を大義名分に権力者達の肥やしにしているが、同社会的趨勢は必然的であると認識し、プラス思考で受け止めることが肝要であると。

 

それが格差社会の是正を伴う、健全なる人類社会の変革の端緒ともなり得る。

 

【全人類に捧ぐ!超・政治改革論】⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/のⅢ章『適正な人口は?』及び【Buttyake-ブログ】№,22『極限社会』に、宇宙的発想を採り入れた内容に纏めているのだが。 現代的には乖離感を齎すのではと案じているが、理解者もいてくれると信じて止まない。 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二兎と言ってもウサギじゃないんだ。

 

兎はトでも都のハナシ。

 

けど二都物語の小説のことじゃーないよ。

 

日本に東京都とは別に大阪都を創ろうという二都構想活動が、本格化している事についてなんだが。

 

全国的にはアッシニハカカワリアイガネーとの無関心派が多いようだがネ。

 

地元の大阪市でさえ、特別区にしようか、総合区にしようかと一部の同市民らが揉めている程度て、政党だけが政力争いにご執心になっているのが、実態のようだ。

 

その楽屋裏で牛耳っているているのは、腹の真っ黒な大きな鼠であることは、日本の常識。

 

兎も角、大阪都構想を単純に大阪市だけの矮小的問題と捉えるべきではない。

 

日本を二都とすべきか、大阪府を都にすべきか、大阪都を西京都とすべきか・・・等々と、広域的・総合的・合理的な判断が肝要ではないだろうか。

 

二都構想の実現は、国民的レベルで

 

マスコミにはそれなりの制約があるだろうが、二都構想は視野を広げた報道をして欲しい。・

 

前回の大阪住民投票結果を検証してみると、概して年配者と女性に人気がなっかたようだがね。

 

やはり同者達は、本能的に保守主義傾向が強く、極端な変化は受け入れ難いのかなー。

 

私は80の坂を越えてるけど、末だ末だワケーモンにゃー、と強がっているけど。負け惜しみ( ̄¬ ̄*)。

 

本来的に同構想は、全国の青壮年者に関係すること大なりじゃー。

 

東京を一極集中型首都のまま推移することは、災害・経済・財政・文化・人口等々に伴う諸問題に強い影響力を齎しているのでは・・・・。

 

危険の分散化と競争の原理に下づくと、今後益々様々なイノベーションを考慮し、一国二首都も有りかなとも。

 

日本の超・政治改革の始まりともなるやも。

 

東京都に組み込まれている人達にとっては、現行の儘の方が好都合なんだろうが、国家的損失を生じている事は否定出来まい。

 

過日TV「そこまで言って委員会」で、旧皇族の竹田恒㤗氏が、大阪都構想には大賛成だが、都とするなら絶対に反対すると公言。都は、皇居の所在地を示す地名だからだって。

 

皇居のない京都、かっては皇居が在った奈良を、どう説明されるのかなー。

 

ネーミングはどうあれ、東京都以外に首都機能を備えた都市が、日本に誕生することは、大所高所に立ち、多岐にわたって思慮すべき事ではないかと。

 

かって遷都or副都の必要性が国会で採り上げられ、幾多の候補地の中から5箇所程選定された段階で、立ち消えに成っちゃた経緯があったね?

 

その後自民党は公約としていた地方分権の履行として、ほんの一撮み中央官庁を権力の法則に従って、地方都市に分散させたが。

 

【二都を追う者は、一都を得る】ってな格言は無いけど。【転ばぬ先の杖】と言うよネ。

 

物事を進めるに当たり、核心をついた発想が重要であることは、何人も否定し難いのでは。

 

その為の正当な国民投票を行う選挙制度の抜本的改正が必要になるかも。

 

発言者としての責任を果たすべく、同制度の具体的改正内容及び仕方については、【超・政治改革(論)】⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/のⅩⅡ章『選挙はどう変わる』に掲載させてもらっているのだが。

 

「盲目の恋」って・・・。

 

男女の関係ばかりではないんじゃー。

 

男心に男が惚れると言う言葉もあるけど。

 

現代国語例解辞典によれば、恋は「異性(時には同性)に特別な愛情を感じて思い慕うこと」となっているんだが、惚れるは「異性に心を奪われ夢中になること」だって。盲目の恋に似たような状態になることなんだろうか。

 

相手を愛することは、人間関係によくありがちなことだよね。

 

愛しちゃたなのネ ララランラン♪ だが。

 

惚れちゃうのは ダメヨ ダメヨ ダメナノヨ♪ と。

 

昂じて、フアンになるのは・・・。

 

上記辞典によれば、フアンは「特定の人物を熱狂的に支持する人」のことで、熱狂的とは「じっとしていられないほどに興奮(冷静でない)し、熱中(のめり込む)すること」とあるんだ。

 

まあ性別に係わりなく特定の人物のフアンになることは、その人に心を奪われ夢中になる、つまり惚れちゃったのネってことになれば、ダメヨ・ダメヨ・ダメナノヨとなっちゃうよ!

 

フアンになる事は、決して罪悪ではないのだが。

 

冷静なフアンで在ることが望ましいよね。

 

「好きなものは好き」の一言の人に、少しでも批判的な言葉を投げかけると、豹変することがあるから気を付けた方が。

 

因みに政治・信条・宗教に係る事について話題にしないのが、、日常会話のマナーだってことは、猫でも知ってるか。

 

政治家・政党に対しベタベタって人いるよね。

 

一説によれば、30%弱の有権者が私利私欲で投票しているとか。

 

政治が私達の生活に直接・間接関わり合いがあることは、当然の事だよね。

 

♪惚れちゃったのネ・・・の感覚で政治に携わって欲しくないな~

 

来たるべき憲法改革・政治改革に際し、どんな政党・議員を選択するか、各々方!冷凍なナマコではなく、冷静なマナコ(眼)でしようではござらぬか?

 

 

 

 

 

何の考えもなくしたことが、成功したってことない?

 

併し一般的日本人は思索・検討後、目標に向かって進行するよね。その分失敗が少なく、責任をとることもないことに。

 

日本人の事前の思考癖は、終戦前(昭和20年以前)の失敗の責任に対し厳罰を科せる掟が、強く影響しているのではないかと思うのだが。

 

蓋し、思索時間が長(ナガ)過ぎるきらいがあるよね。

 

だから外国人に「会議好きの会議下手(ベタ)=なかなか決らない」と、日本人は受け止められているんだ。

 

欧米人は思考しながら目標に進み、進みながら思索する傾向があるとされているようだが。

 

幾つかの家事や仕事を同時に熟すように躾けられ、義務付けられた日本女性も、大方同様ではないかと思うよ。

 

狩猟民族である欧米人と多様な家事をする主婦とは、必然的に類似することに・・?
 

物事を始めるに当り、充分な考索をすることは、基本的に賢明では。

 

但しケチをつけると、政界内の意図的・作為的な引き伸ばしは、悪習としか言いようがないよねー。

 

「総論賛成・各論反対」は政治家の常套手段だが。各論あっての総論か、総論あっての各論か。当然後者が正解かと。

 

各論も真摯に討論し、総論に基づく結論を得なければ。総論つぶしの各論反対はあり得ないよ。

 

多数決に基づき総論が決着した段階で、各論での纏まりがつかず、賛成少数となれば、全員が総論反対の烙印を押されても仕方ないんじゃないかなー。

 

各論に対し納得できない、或は対案を受認して貰えない等の理由で、反対を唱え続けるなら、総論賛成派から去るべきでは。

 

此の論理に反する人が政界の中に大勢居るよね。

 

その結果、議会を空転させたり、不合理な法案を成立させたり。

 

総論=目標の達成を目指す過程で、各論に於いて、様々な部分的修正・変更等を余儀なくされることはあると。

 

処で、多数決は正に人数の多い方を採用する事が民主主義のルールだよね。

 

出席数か総数か。当然後者では。

 

欠席者には委任状なり、代理人なり、書面による意思表示等可能な限りの手は尽くし、白票・棄権は反対とすべきは当たり前じゃー?

 

だけど、頭脳明晰な人が私利私欲・党利党略に惑わされなければ、殆んどの人は同一の結論に至るだろうし、結論も迅速に得られる筈だと思うのだが・・・。

 

現実は私利私欲、党利党略に東奔西走する議員ばかり。

 

又「船頭多くして船岩に登る」ことに。

 

一掃のこと、少数精鋭議員制にし、三分の二以上が賛成すれば、法案成立とした方が望ましいのでは。

 

具体的詳細な新しい議員の在り方・議会制度・選挙等については、【全人類に捧ぐ!超・政治改革論】 ⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/のⅩⅠ章「憲法の問題点を突く」・ⅩⅡ章「選挙はどう変わる」・ⅩⅢ章「変貌する公務員制度」に。

 

「資本主義社会の崩壊」に関する書籍が、書店で目に付くようになってきたね。

 

崩壊は再生する可能性を秘めているので、「崩壊」ではなく「終焉」だと主張する専門家もいるが。

 

それはどちらでもいいとして、じゃあその後はどんな社会となるか?については、曖昧模糊なんだ。

 

資本主義とは、現代国語例解辞典によれば【資本家が利潤獲得を目的として、労働者から労働力を買い取り、商品生産を行う経済体制】とあるけど。真に同体制を維持するには、自由主義が前提となるよね。

 

崩壊或は終焉の根拠は、競争の原理に依って、利潤・配当・利子が限りなく零に近づいて行き、資本家の投資が行われなくなり、資本主義の衰退を招くと言うような趣旨のようだ。結果、社会的に労働力・労働意欲が失われ、ゆくゆくは資本主義国に留まらず、地球全体が破滅?するのではと。

 

余りにも荒っぽい短絡的思想じゃないかな~と思うのだが・・・。

 

処で、世の中は、資本主義か社会主義の何れかである、と一般的に捉えられているようだネ。

 

じゃ社会主義とは同辞典によれば【生産手段を社会全体の共有とし、私有を認めない社会制度であって、共産主義の前段階】と。従って、同社会体制は、平等主義を根底とすることに。

 

けど同制度は、単なる机上の理論で現実的でないと批難され・実証されているのだよね。非現実となる原因は、人が各自に保身本能を有するが故に、限りない利己的欲望を誘発することが、想定外だったからではないだろうか?

 

真に理論通りの同社会となれば、全ての欲望が常時充たされる世になる筈なのだが。結果的には、人間を怠慢にさせ、社会的競争力を失い、国力の衰退を招いたのでは。要するに、社会主義も人類の自滅に繋がるってことに。

 

となれば結局の処、両主義とも問題有りと言うことになちゃうネー。

 

だけど今後何主義であれ、機械万能の世界になったとしても、機械は人の智力を超えられないのでは。

 

地球が人類の惑星で、人類が存続する限り、人間の本能に立脚した自由と平等が両立する安定・安心な社会を構成・維持して行かなければ。

 

つまり、自由主義と平等主義を包含した新資本・社会主義(中間主義)が芽生えるのではなかろうか。

 

具体的詳細については、【全人類に捧ぐ!超・政治改革論】⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/をクイックして!

 

米国の連邦最高裁判所が同性婚を容認したニュースが、2015年世界を駆け巡ったネ。

 

LGBT(限定的性的少数者)運動は世界の潮流とは言え、大いなる意義を有する改革と思はない?

 

ここで言う革命とは、現代国語例解辞典による「抜本的で急激な大きな変革の意」と捉えているのだが。

 

全米50州の内27州は既に決定済みだったが、州によって異なることは「米国人は権利と自由を平等に有する」との同国憲法に違反するからとか。何か判ったようで判らん解釈だと思うのだけど・・・

 

それはさておき、様々な人種・宗教を抱えるお国柄として当該政治改革は大いなる革命なんだろうー。

 

合衆(州)国のアメリカにとって、各州ごとに法律が相違することは、極々アッタリマエのことなんだろうけど。

 

何れにせよ、同法に直接関係する人は、少数だと思うのだが。

 

社会・会社・国レベルでは、広く係わり合いを生ずることは避けられないだろうなー。

 

単にLGBT法に限らず、此の度の米国の州・人種・宗教を超えた裁決が、世界の国々の垣根を越え、民主・資本主義を掲げる国だけでも、憲法及び同解釈・適用が各国共通になれば、延長線上に世界統一の範例・足がかりともなり得るかも。

 

世界・全人類にとっても、超・モノスゴーイこと(世界的・全人類的政治改革)に発展する可能性を期待しちゃったりして。

 

まー私一人の夢物語か?

 

甘チョロイ考えで、期待し過ぎだが。

 

全人類の幸せを願うだけではと思い、老い先短い身だから、せめて遺志だけでも後世の人達に伝えたいと、全人類に捧ぐ!超・政治改革論】⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/として、拙い文章だが纏め上げたツ・モ・リ。

 

【超】と記しているが、固定観念や既成概念に捉われずに、社会現象を原点(本質・真髄)思考法により解明し、合理的で実現可能な構想を明示したと。

 

まー、チョット覘いてくれないか?

 

大袈裟なタイトルだが、日本と世界の現実的理想を描いたんだけど・・・。

 

具体的な政治改革方法まで広範囲に渡った、日本及び全世界が大変身(大改革)する内容だが、見たら頭(アッタマ)にくる連中が多数いるかも知れないなー。

 

 






 

 

大阪都構想にまつわる話なんだが。

 

かって大阪市の区割り案をきめる為に、府市合同の法定協議書が可決されたんだよね。

 

併し、同書を賛成した公明党が、自民党・民主党・共産党の3党と挙(コゾ)って、同案に反対した茶番劇は、議会政治を正すいい事例になったとちゃう?

 

所詮同案は、府・市民に是非を投票して貰うんだから、何も4党が対案も出さず、しゃかりきになって反対することはないと思っただけ。

 

それはさておき、橋下徹おおさか維新の会元代表が、大阪都構想実現を公約に、大阪府知事になった手前、大阪市を5~7区位に解体することを掲げて、同市長に鞍替え当選したんだよねー。

 

だけど、同市長が代表を務めていた大阪維新の会所属の同志の市会議員が少数与党の結果、同区割り案の作成すら阻止されたので、苦肉の策として、出直し市長選挙に挑んだんだ。

 

彼は37万7472票獲得し、歴代の市長より多く得票したと胸を張ったが、当該投票率は僅か23.59%にすぎないし、彼の絶対得票率(有権者に占める割合)はたったの17.85%しか無かったこと知ってた?

 

23.59%の投票率で選挙が有効ってのは可笑しいんじゃない。有権者に責任があるって言わせないよ!諸外国では、選挙自体無効とする処が多いとか。

 

日本の投票意識のていたらくの原因は、選挙制度等に欠陥が有ることは判り切ったことなんだが。

 

特に自民党や公明党は、投票率が低いほど当選率が高くなっている現行の仕組みを積極的に改革しようとする意思が薄いのでは。

 

「選挙に投票するかどうかは本人次第が、自由を尊重する民主主義だ」と自・公連中は口癖にしているんだけど。

 

法治国家に於いて、社会秩序を維持する為に最も大切なことは、立法だよね。だから法律を成立させる議員を選任することは、最重要じゃない?

 

憲法第15条には『公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である』とあるんだが、義務の規定はないんだよネ。

 

真の民主主義国家は、議員選挙の投票率が100%であることが、基本的原則じゃないだろうか。

 

他の義務と同様に憲法に記載すべきかと思うんだが・・・。

 

勿論選挙制度や関連事項を総合的・多角的に根底から改革しなければならないことは当然だけど。

 

さて翻ってみると、先の法定協議会のメンバーを維新の会で固めたことに反発して、同委員の選び直しの条例案を、府・市議会ともに過半数の賛成で可決したんだよね。

 

処が、知事と市長が再議権を行使したので、両議会とも2/3以上の再可決を求められた結果廃案になっちゃたんだ。

 

又、東京都議会に於いても、石原慎太郎元都知事時代に、築地市場を豊洲移転の是非を議決する際、自公の与党と民進党他の野党と半々となる処、民進党の一都議員が寝返って、重要法案が難なく可決されちゃったケースもあるよネ。

 

以上の事を教訓として、上記2/3の壁は効果あり言えるんじゃないだろうか。

 

すべての法案を、議会の2/3以上の賛成がなければ可決せず、としたらいいのに。

 

1/2以上で可だと、賛成票or反対票が簡単に纏ちゃうんだ。

 

2/3の壁を確立するには、各議員の自主性を尊重することに。

 

とすれば、一院内閣制議会にするのが妥当では。

 

政党制度は、不要の長物になっちゃう。

 

全国的規模で考えると、膨大な議員の削減が。

 

「民意が反映しない」って、政党が挙って反対するだろうが、詭弁にすぎないよ!

 

選挙の義務化と併せて行えば、より民主的な社会が実現するのでは。

 

以上要旨のみ触れたんだけど、消化不良にさせちゃったかナー。

 

詳細な内容については、【超・政治改革(論)】⇒https://tyouseizikaikaku.jimdofree.com/のⅩⅠ~Ⅲ章の「憲法の問題点を突く」・「選挙はどう変わる」「変貌する公務員制度」を検索してみて。政治改革の仕方についても記載しているよ

 

固定観念・既成概念に捉われず、発想の転換にでも・・・。