骨董品買取の福岡玄燈舎です。先日の茶道具の買取では

有名な作家さんの茶器や茶碗をお預かりいたしました。

この京焼の湯呑は清水七兵衛さんの作品です。

 

初代清水七兵衛:生没年不明(江戸後期~明治中期) 二代 清水七兵衛:1844天保15年~1918年大正7年没 

■概要

 初代 清水七兵衛は二代 清水六兵衛の長男として生まれます。 父六兵衛に陶技を学び、六兵衛様式を継承、陶印がなければ六兵衛作と見間違えるほど作域は同質で酷似しており、鉄絵や染付、色絵などの茶碗、煎茶器、酒器、食器などを製作しました。 後に、五条橋東に清水七兵衛として分家、銘は草書体「七兵衛」、「七画枠に清」など、二代七兵衛は初代の長男で父の後を継いだが大正7年74歳で没しています。 ありがとうございました。

骨董品買取の福岡玄燈舎では煎茶道具を買取ります。

お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。

福岡市内県内は無料出張査定いたします。

おはようございます。骨董品買取の福岡玄燈舎です。 今回の出張買取は福岡市城南区にて花瓶や壷、書道具や掛軸、仏像や油絵など買取させていただきました。 この青磁は人間国宝 三浦小平二山の作品です。箱はありませんがとても状態の良い陶磁器でしたので 高価買取させていただきました。 三浦小平二は、青磁に絵付けをするなどオリジナルのスタイルが海外で評価され、1997年には青磁で重要無形文化財保持者(いわゆる「人間国宝」)に認定された陶芸家です。略歴は下記を参照ください。 昭和8年3月21日生まれ。三浦常山(じょうざん)の孫。 加藤土師萌(はじめ)に師事。 独自の青磁技法に色絵をくみあわせた作品により日本伝統工芸展などで受賞。 平成2年母校東京芸大の教授。 9年青磁で人間国宝。平成18年10月3日死去。 73歳。新潟県出身。代表作に「青磁飾り壺(つぼ)」。 

骨董品買取の福岡玄燈舎では花瓶や壷を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定いたします。

先日は福岡市城南区より当店に持ち込み査定で古い木彫の仏像や壺、掛軸、茶道具を買取させて頂きました。 この仏像は中国の清時代の物で虫食いや欠けなども沢山ありましたが 貴重な資料として高価買取させて頂きました。ありがとうございました。 インドで成立した仏教が、中国に伝来した時期については、文献上では前漢の哀帝の紀元前2年に大月氏国の使者が伝えたのが最初とされます。そして最初の信者となったのが後漢の明帝(在位57年~75年)の異母弟楚王英であり、皇帝としての最初の信者は後漢の桓帝(在位147~167年)でした。後漢での仏教は道教の仙人である黄帝と一緒に仏陀が祀られており、不老長寿の霊力のあるものとして信じられます。仏教は現世的な功利を目的とする信仰の形で後漢の社会に受け入れられたのでした。そして『西遊記』のモチーフにもなった玄奘(げんじょう)(602-664年)は、仏教教学を研究中、特に唯識学をインドの原典にもとづいて研究せんとの志を立て、 629年からインドへの求法の旅へと出かけます。そして、中インドのナーランダー僧院において唯識学を学んだ後、経典を持ち帰り(645年)、朝廷の庇護の下に原典に忠実に翻訳し、 新しい仏教思想を世に伝えたことで、諸宗・諸学派の研究もすすみ、中国仏教の最盛期ともいえる時代が訪れます。 なお、玄奘以外の中国仏教の翻訳者たちが翻訳した経典の総量が469部1222巻であるのに対し、玄奘はひとりで76部1347巻を翻訳しました。 また、彼の旅行記『大唐西域記(だいとうさいいきき)』は、7世紀前半の中央アジアやインドの地理・風俗・文化・宗教などを知る上で貴重な文献です。 この時代には、法相宗(ほっそうしゅう)の基(き)(632-682年)、華厳宗(けごんしゅう)の法蔵(ほうぞう)(643-712年)、 浄土教の善導(ぜんどう)(613-681年)、 北宗禅(ほくしゅうぜん)の神秀(じんしゅう)(606-706年)など、様々な人物が活躍し、多くの著作を著しました。 

骨董品買取の福岡玄燈舎では古い仏像を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定致します。

福岡市で中国の陶磁器や家具を買取りました。先日は福岡市中央区で掛軸や花瓶、壷などの陶磁器や 中国絵画、家具や模型など多数お買取いたしました。ありがとうございました。

 

 この大きな花瓶は中国陶磁で元箱には大清道光官窯とあるとある70cmほどの大花瓶でした。 この大清道光窯は中国清朝の宣宗在位三十年間道光年代(一八二I-50)の官窯です。 清朝磁器の最後の盛代といえ、たくさんの作品に見るべきものがあります。 康煕・雍正(1662-1735)の渋味のある単彩釉と染付ものに着目し、単彩のものにおいては虹豆紅などは乾隆(1736-95)のそれを遥かに凌駕し雍正の御物を彷彿させ、染付においては康煕の成化写しのような黒味のある雲南呉須の太い線描のものと、雍正の宣徳写しのような回青の細い線の唐草模様のあるものとが注目されます。緑五彩や染付や赤絵にも傑出した名品を多く残されています。 なお道光年間の特色とみるべきものに、王佐廷作・王炳栄作と作者の款のある瓶鉢皿などが代表的な作品ですね。 密画の景色を描き、もしくは赤漆器の製にみられるような緻密な彫刻を深く器面に施してあります。 その表面は一般に不透明の緑色あるいは黄色の単彩釉を施すのを常としますが、時として白壌の素焼のままのものもあります。 ありがとうございました。 骨董品買取の福岡玄燈舎では陶磁器を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定いたします。

この花入れは健軍窯で修行した長木 實さんが、1998年に宇城市松橋町に開窯して作ったものです。  白小代、黄小代と呼ばれる、釉薬で変化する色味の美しさが魅力の小代焼の特徴を守りながら、毎日の生活に楽しく使ってもらえる作品を作り続けている方です。小代焼とは、熊本県玉名郡南関町や荒尾市など、熊本県北部で約400年前から焼き続けられてきた陶器です。荒尾市の東に位置する小岱山 (しょうだいさん) の麓から採れる陶土を原料としていることから、小岱焼と言われることもあります。

 

色により青小代、黄小代、白小代と分けられ、どれも素朴かつ力強い味わいがあります。肥後藩の御用窯として茶陶器が作られたほか、日用の雑器も作られ、その芸術性が高く評価されている焼物です。ありがとうございました。 骨董品買取の福岡玄燈舎では陶磁器の花瓶や壺を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定致します。

先日は福岡市南区で掛軸や茶道具、鉄瓶や尺八を買取りました。 この鉄瓶は 南部盛岡 仁左衛門釜 ・九代『小泉 仁左衛門』作とありました。 

 

 釜師小泉仁左衛門の歴史は、其のまま南部鉄器の歴史と重なります。初代仁左衛門清行が万治2年(1659年)南部藩主重直公に釜師として召抱えられ、城下町盛岡の地で 制作した茶の湯釜が南部釜の始まり、さらに、宝暦年間(1750年頃)使い勝手の良い湯沸しと言う考えから三代仁左衛門清尊が創作したのが 南部鉄瓶の始まりです。小泉家は代々、釜師仁左衛門を継承し、現在十代になります。ありがとうございました。 骨董品買取の福岡玄燈舎では鉄瓶や南部鉄器を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定致します。

先日は仏画や曼荼羅や書画や般若心経など多彩な買取ができました。ありがとうございました。 特に書は鎌倉時代の書があり高価買取させて頂きました。 呉晶碩の書です。呉 昌碩(ご しょうせき 、1844年9月12日 - 1927年11月29日)は、中国清朝末期から近代にかけて活躍した画家・書家・篆刻家です。清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家と評価が高いかたです。もとの名は俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)、字をはじめ香圃。1912年(民国元年)、69歳から昌碩となります。別字に蒼石・倉石・倉碩。号に缶廬・苦鉄・破荷・大聾・老蒼・石尊者・石人子・石敢当・破荷亭長・蕪青亭長・五湖印丐などが記されております。 骨董品買取の福岡玄燈舎では中国の掛軸や書を買取致します。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡市内県内は無料出張査定致します。

おはようございます。先日は福岡県宗像市にて茶道具や掛軸、仏像や勲章、模型など買取いたしました。

この茶器は茶合と言って茶席に使用するものですね。

 

煎茶道の道具は大半が中国に起源が求められますが、 茶合は 日本独自 の起源の道具で、大陸が起源のものが多い煎茶道の中では珍しい存在です。江戸時代の中期に 茶頭 の売茶翁が茶葉の量と投入の便宜のためにこの道具を考案したというのが定説です。質素清貧を良しとする売茶翁考案のため、竹を2つか3つ、適当な大きさに割っただけの簡素な造りでした。この形状が現在も受け継がれています。その後、中国美術の古書画を好む文人趣味により、裏面に漢詩を書いたり、中国風の 彫刻 を施したりするのが流行しました。 素材で最も多いのは煤竹で、縦に半分に割った形をしています。 木彫り は日本の 伝統技術 が生かされており、のみや小刀、錐などを使って手作業で彫り込こんでいきます。 丸彫り や浮彫などの 技法 があり、味わい深い作品に仕上がります。竹のほかには、金属・象牙・大理石・ 漆塗 などがあります。松や杉、南天などで造られているものも見られ、天然の 木味 を生かした 名品 などもあります、ありがとうございました。 骨董品買取の福岡玄燈舎では茶道具を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定いたします

福岡県宗像市より日本刀の鍔や掛軸、甲冑等買取り致しました。

鍔は古いもので江戸中期から幕末の物まで多種ありました。

その中の「後藤光永作」とある脇差用の鍔を紹介いたします。

 

京後藤とは、むかしは脇後藤とも呼ばれており、後藤本家の作品より一格下にみられていたが、在銘品には本家に見紛う作品も多く見受けられる。それは京後藤は本家の次男:三男などが別家を創設し、本家のよき協力者として活躍し、力量を充分兼ね備えた名工たちが多かったからである。京後藤は本家から最初に分家したのが喜兵衛家であり、喜兵衛家の初代:元乗は本家三代乗真の次男であり、本家四代光常の弟である。二代:琢乗は本家五代徳乗の三男である。四代が伝乗で光良は伝乗の長男である。この様に別家と言えども本家とは非常に関係の深い人々ばかりで、喜兵衛家以外にも理兵衛家・権兵衛家・半左衛門家・治左衛門家など十五家があり、江戸期を通じて京の都において活躍した。 京後藤という名称に改められた理由の一つは本家八代即乗が寛永2年(1625)に幕府より京から江戸詰めの命を受け江戸に下り、その後、本家は江戸在住になったことに反し、分家した十五家は代々京に住し活躍したことや、技量の点においても決して劣らず、さらに本家の格式張った作風ばかりでなく京の雅さを感じさせる作風を加えた点などが大きい。さらに「京後藤の研究」の発刊を期に脇後藤から京後藤という名称に改められたといわれている。八郎兵衛家の二代:俊乗光永は寛乗の嫡子で寛永11年に生まれ、享和6年88歳にて没す。長銘であったために作品は多く遺されている。 骨董品買取の福岡玄燈舎では鍔や甲冑を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定致します。

 

 

福岡市西区にて茶道具や掛軸、中国陶磁や壺、花瓶など買取りさせて頂きました。 この茶道具は野点用の茶籠や棗など一式入っておりました。 特に竹籠はとても古くて上等ななもので中には純銀製の器もありましたので高価買取致しました。 ありがとうございました。  

野点は、主に気温や天気の面から屋外で過ごしやすい春または秋の、天気が良くさりとて日差しが強すぎない時期に行われる催し物です。地面に毛氈というマットをひき、この上に座って茶を楽しむ茶会です。 骨董品買取の福岡玄燈舎では野点の茶道具を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。 福岡市内県内は無料出張査定致します