2006年2月初旬、無菌室に入った息子はいよいよ移植当日を迎えた。           

骨髄バンクのドナーさんからの移植で、ドナーさんが関東在住の方だったので当日

研修医の先生が東京の病院まで受け取りに行って下さった。


朝から息子の命を救って下さるドナーさんのことを思い東に向かって手を合わせた。

危険がないとは言えない骨髄の提供を承諾して下さったのだから、どうか無事に移植が出来ますようにと祈りながら、その時を待った。                                           


研修医の先生が病院に戻って来られたのは夜になってからだった。ドナーさんと息子は血液型が違うので処理が必要とのことで移植が始まったのは8時半を過ぎていた。血液型が同じ場合は処理なしで移植するため量が多く点滴で時間をかけて移植となるが、息子の場合は太めの注射器2本だった。点滴のルートの途中から主治医が少しずつ注入していった。息子の命がかかっているのだけれど、注射器2本の注入は、ほんの5分程度だったように記憶している。臓器移植のように身体にメスを入れることもなく、息子の様子にも変化も無く、不思議な気さえした。


しかし、この後40日間、息子は何も食べられず、高熱が続いた。

昨年の8月30日の朝・・・息子が意識を失った。8月11日に退院したものの、その1週間前に夫と私は主治医から再々発ということを聞かされていた。とりあえず予定通りに退院し1ヶ月ほど家族で濃い時間を過ごして息子にも話すという主治医の考えだった。私は目もほとんど開けられず、呼吸も苦しく何より精神的に相当参っている息子に再々発を告げ、3度目の移植の話をして息子は精神的に耐えられるのか疑問だった。しかし、8月11日に退院して家に帰っても呼吸が苦しくトイレに行くのも大変な状態だった。2階への階段を上がるには何度も休み休み、苦しさに泣きそうな状態でトイレ以外は食事もベッドで取ったが、ほとんど食べられなかった。退院翌日から「入院したい」と言い出した。苦しくて苦しくて、せっかく帰りたい帰りたいと言っていた自宅だったけれど、このままでは無理だと思ったのだろう。8月16日が退院後初めての診察日だったので入院の準備をして病院へ向かった。


そして主治医に自ら「入院させて」と言った。主治医は「もう少し頑張って欲しかったけど無理かな・・」と言って、そのまま入院することになった。


意識を失った8月30日までの15日間、「生きて家に帰りたい」「お母さん、ごめんね。こんな息子を持ったばっかりに・・」「お母さんにしてあげたいこと、いっぱいやのに迷惑ばかりかける・・」と言って泣く日々だった。


3度目の移植には体力をつけなくてはならず、看護師さんからも少しずつでも身体を動かして体力をつけるように言われていた。8月29日の夜、病室の洗面台で歯を磨こうと私が言うと「お願い、今日は勘弁して」と言った。私は体力をつけないと移植が出来ないという思いから「ベッドから2,3歩なんだから頑張ろう」と言って息子を支えて洗面台の前の椅子に座らせた。本当はどんなに苦しかったのか・・・


そして翌朝、息子は意識がなくなっていた。私は「私が無理に歯磨きをさせたから・・」と言って看護師さんの前で泣いた。何もわかっていなかったんだ・・・

息子の苦しさを・・・


この病院は「標準的な医療では対応困難な病気を克服するため、基礎医学の研究成果を臨床に応用する橋渡し研究を行う診療・研究施設」なのでICUが無く、主治医と看護師さんがついて救急車で近くの移植前の検査で入院していた市民病院に搬送された。


かなりの時間が経ってICUに運ばれて来た息子は人工呼吸器がつけられていた。

主治医から「全力で治療にあたっているけれど2,3日の内かも知れません」と言われた。この時から10月12日まで息子の苦しい苦しい最後の日々が始まった。

私の携帯のメール履歴、送信も受信も2009年秋からのものが残っている。            

                                                      

今日、仕事の帰りに電車の中でそれを見ていた。                                    

                                                      

息子が辛くて苦しくて精神的にも参っていた2010年8月から10月のメール。             

                                                     

病院にずっと泊り込みだった私と夫とのメール。息子が言った事、主治医から聞かされた、絶望的な話・・・私自身も普通の精神状態ではなかった。看護師の言葉や対応にストレスがいっぱいいっぱいになって・・・また、同居している私の親との事で私はどうにかなりそうだった。息子の事だけを考えていたいのに、他の問題を持って来るなー!!と泣き叫びたかった。そんな去年のメールを見て電車の中で涙がこぼれて仕方がなかった。                                            

                                                        

ねぇ・・・・息子がいないのに何で私が存在してるんだろう・・・・・