よく「取り返しのつかない事」とか言うが、人が亡くなるということほど取り返しのつかない事はないと思う。誰の力をもってもどうにも出来ないことだし、時間を戻すこともできない。誰かと喧嘩をしたり、家族がバラバラになったり、いろんな事はあるけれど生きていれば、それは取り返しのつかない事ではないと思う。喧嘩別れをしても心から詫びれば、また元に戻ることだってできるもの。                       


暗い、後ろ向きな話ばかりだけれど、1年が過ぎても悲しみは癒えず、形を変えてさらに後悔も悲しみも増す。                                      


今まで生きて来て、つらいと思うこともあったし、悲しいと思うこともあった。後悔も数え切れないくらいして来た。でも今までのそんなことは何でもない事。             

今、本当に取り返しのつかない事が起きたのだ。                        


朝、起きた時と夜眠る時、そして仕事が終わった時がつらい。                 

朝は、「ああ、拓也は隣にいないんだ。」と現実を思い知らされる。              

夜眠る時は拓也と過ごした日々、闘病中の拓也の苦しみ悲しみ、そして最後の時を思い出す。                                               

そして仕事が終わった時、帰っても拓也はいないんだ。『お母さん、今日の晩ご飯なに?手伝うよ。』と言ってくれた声は聞けないんだ。と思う。


ほんと、どうしてこんな取り返しのつかない事が起きてしまったのだろう・・・・・・

手の指先から足の指先まで悲しくて、胸といっしょにきゅ~んと痛む。

世の中の人は多かれ少なかれ悩みや問題を抱えているのかもしれない。また、世界に目を向ければ、戦争や飢餓、災害など多くの苦しみを抱えている人も少なくはない。でも、順調な人生、大きな成功、小さな成功を収める人もいる。そんな事はなくても家族みんな仲良く平凡だが笑顔で暮してる人となれば本当にたくさんいるだろう。私は息子が発病するまでは「宝くじが当たるといいな」とか「大金持ちにはならなくてもいいけど余裕のある暮らしができればいいな」とかは思っていた。息子が発病してからは、ただ、息子の病気が治ることだけが望みだった。正直、余裕のある暮らしとは言えなかったので息子には親らしい事をあまりしてやれなかった。旅行など、ほとんど連れて行っていない。ただ1度小学校1年の時に家族で東京ディズニーランドへ行った。息子は病気の為、身体の状態も悪くなって精神的にも参ってしまって来た時に「今までで1番楽しかった事は東京ディズニーランドに行ったこと」と言った。それぐらいしか大きな思い出はなかったのかもしれない。病室でディズニーランドで見た「アラジン」のCDをかけて、泣いた。「幸せだったなぁ・・」と言って泣いた。            


不公平だよ!不公平だよね!ただ、ただ家族でいっしょに生きて行ければ、それでよかったのに!もしも、これが罰ならば息子は私の罪を背負ったのだ。あの子は本当に優しくて天使の様だったんだから・・・

ブログ内容が前後して分かり難くて申し訳ありません。


2006年2月、骨髄バンクから提供して頂いた最初の移植が無事に行われた。

その後2週間くらいで無菌室からクリーン病棟に移れた。

しかし、口内炎、高熱に苦しめられ40日間、口からは何も食べることができなかった。40度を超える発熱は何日も続き、息子は「夜もいて欲しい」と言った。           

付き添いベッドを借りて夜も付き添うことにした。夜中に寒気にガタガタ震える日を乗り越えて、少しずつ落ち着いて来た。退院に向けて看護師さんから病院内を歩くように言われた。入院生活が長く、移植という大きな治療をし、体力が落ちてしまっているので少しずつ歩いて体力をつけないと退院してから困ると聞いた。次男の足は後ろから見ると筋肉がすっかり落ちて老人のようだった。



移植から3ヶ月半、無事に退院の日を迎えられ、再発の不安は残るものの、この頃の私たち家族は明るい希望に満ちていた。