気管切開する前のドタバタ劇 | Route 9  西へ東へ

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難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患し気管切開した ポンコツおやじのブログです。
自分では 視線入力で意思伝達装置のmiyasukuを操作することしかできません。
ベッドの上で天井を見つめながら あれこれと思いを巡らせる毎日です。

実は私、7月にもこちらの大学病院に緊急入院してました。

先月受けた誤嚥防止術の説明を聞くため、妻と娘に付き添われ耳鼻咽喉科を外来受診したんですが、受診が終わったので昼食にしようと院内の食堂に行ったんです。

テーブルに着き食べていたら(私は胃瘻から栄養剤を注入)、NPPV(マスク型人工呼吸器)が突然止まってしまったのです。原因はバッテリー切れでした。

妻が直ぐに予備バッテリーに交換しましたが作動しません。コンセントに繋いでもダメです。
※後で知ったのですが、スマホと同じでバッテリーが切れると電源に繋いでも直ぐには作動しないそうです。

慌てる妻と娘、その間 なすすべもなく我慢する私。「早く何とかしてくれー!」

やがて唇と足の指先が痺れ 手が震えてきました。 「ヤバい、ウンチが出そう」
声をかける娘の顔は見えていましたが、直ぐに目の前が真っ暗になり、何も聞こえなくなりました。 「おー神よ、もはやこれまでか…」
生まれて初めて意識を失ないました・・・


その後は二人で車椅子を押して救急外来に向かったそうです。

救外に着くまでの間 6~7分は呼吸が止まっていたので、チアノーゼも出ていたようです。

処置が始まってから 1時間半が過ぎて意識が戻りました。

気がつくと服を脱がされ病衣を着ていました。どうやら生きているようです。
妻と娘が部屋に呼ばれて声をかけてくれましたが ぼーっとしていてあまり覚えていません。

血圧が70前後と低く頭痛がします。水分補給と血圧を上げる薬を点滴で投与していると言われました。

低酸素脳症の疑いがあるということで しばらく入院して様子を見ることになりました。
ICU(集中治療室)で一晩を過ごし 翌日 HCU(高次集中治療室)に移されました。

妻が意思伝達装置の miyasukuとカフアシスト(排痰補助装置)を持って来てくれたので、意思の疎通が取れるようになりました。


後遺症も見られなかったので直ぐに退院できると思っていたのですが、今度は病棟でコロナ感染が発生し 私も濃厚接触者になりました。「何でこうなるの?」
PCR検査をして陰性でしたが、1週間は様子見です。


その後はこの地域でもコロナの市中感染が拡がり、市の要請で HCU病棟はコロナ専用病棟になり、私は一般病棟へ移されます。 結局 15日間入院しました。

退院時の体重は39.4kg‼ 69kg前後あった体重が遂に40kgを切ってしまい さすがに凹みました。 「どこまで落ちるんだ、いい加減にしろよ ALS!」

 



先月は手術室と第二 ICUにも入ったので、短期間でいろいろな病棟を周りました。

これもいい経験です。
でもストレッチャーに乗せられたり、ベッドごと移動するのは病人みたいで嫌ですね 笑

呼吸器が止まったのが病院内だったので助かりましたが、違う場所だったら結果も違ったでしょうね。
たとえ助かっても後遺症が残ったかもしれません。
たまたま 運が良かっただけです。

妻も人工呼吸器のバッテリー表示が残り20%は確認していたようですが、いきなりゼロになるとは思わなかったそうです。
・外出時の人工呼吸器は予備バッテリーから使うこと。
・コンセントがあればこまめに充電させてもらうこと。
を学びました。

尚、ドタバタ劇は もうひとつあります。続きは次回ということで・・・・