気管切開するまでの経緯 | Route 9  西へ東へ

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難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患し気管切開した ポンコツおやじのブログです。
自分では 視線入力で意思伝達装置のmiyasukuを操作することしかできません。
ベッドの上で天井を見つめながら あれこれと思いを巡らせる毎日です。

【最初に感じたこと】
確定診断を受けて 2ヶ月後にALS患者の家族会に参加し、3人の患者の方を紹介してもらいました。皆さん気管切開をして人工呼吸器を装着されており、全身不動でした。
一人の方は『伝の心』を使われており 会話ができましたが、二人の方は意思の疎通ができないTLSに近い状態でした。初めて会うALS患者に将来の自分を見たようで、かなり衝撃を受けました。
気管切開するのは『ALS患者として生きる覚悟』がなければできないと思いました。

【最初から決めていたのか】
答えはNOです。いくら考えても気管切開の決心がつかないまま時間だけが過ぎました。
やがて病気が進行し息苦しさが出てきたので、マスク型の人工呼吸器を装着しました。でもまだ気切する決心はつきません。
嚥下障害も進み、誤嚥して「ヤバい、死ぬかもしれない」という経験が何度かあります。でもその度に「よかった、助かった」とホッとしている自分がいて「やっぱり俺ってまだ死にたくないんだ」と気づきました。
そして迷った時はいつもアントニオ猪木が引退する時に語った「この道を行けばどうなるものか・・・ 迷わず行けよ、行けばわかるさ」という声が頭をよぎっていました。
そうやって少しずつ気持ちが固まっていったんだと思います。

【気管切開することになったきっかけ】
私は2年前の京都・ALS患者嘱託殺人事件の後から 地元のテレビ局(TSK さんいん中央テレビ)の取材を受けています。今年の春「吉岡さんは気管切開されるんですか」と聞かれ、つい「すると思います」と答えてしまいました。
初めての意思表示がテレビ取材でした。妻にも伝えてなかったので「へー、するんだ」と驚いてました。
でもそれが放送されたのがきっかけとなり「吉岡は気管切開すると決めた」という流れで ケアマネ、訪看、ヘルパーの『チーム吉岡』が動き始めました。



気管切開するのは勇気と覚悟が必要です。しない決断はそれ以上の勇気と覚悟が必要だと思います。
私には気切してでも何かをしようという確固たる決意があったわけではありません、いろいろなことがあって たまたまこうなっただけなのです。
でも あの取材のおかげで「大きな一歩」を踏み出すことができ、こうしてブログを始めたりもしてるんですよね。
取材してくれたTSKの藤谷さんと野田さん、そしてアントニオ猪木に感謝します。

「ありがとう、ダーッ‼」