インド映画「Super Deluxe」人生哲学的??? | それゆけすずめちゃん

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北米山岳部に住んでいます。ブログを始めて10年以上経ちました。
おうちご飯を作っては食べ、天気が良ければウォーキング、夏の間は野菜作り、そして時々映画を観る。そんな毎日です。

おはこんばんちは~

 

今日のインド映画は、ちょっと面白い…

面白い、面白いのではなく、

興味深いという意味の面白い。

 

いつも参考にしているIMDbの評価は高いですが、好き嫌いがあるかもしれないです。

私は、悪くはなかったですが、1度観ればいいかなって感じでした。

でも、観ておいて良かった。

 

「Super Deluxe」(2019年)

テルグ語ということでトリウッドです。

日本のネトフリでは配信していないので、ネタバレです。

 

Vijay Sethupathi, Samantha, Ramya ...

 

ストーリーは関係なさそうでどこかでつながっている、3つの話からできています。

 

不倫妻:冒頭、結婚したばかりのヴァンブが、夫の留守中に大学時代に恋人だった男を家に招き入れ浮気をします。

ところが、相手の男がその最中に突然死してしまいます。

夫が帰ってきたので、死体を冷蔵庫に隠しますが、

隠しきれず、夫に打ち明けます。

ヴァンブは警察を呼ぼうと言いますが、夫は自分や家族の恥になるから、死体を事故に装って捨てようと言います。

 

TV&DVD:5人のティーンエージャーが集まって、こっそり成人映画のDVDを借り、1人の家で観始めます。ところが、主演女優が出て来た時5人の中1人スーリが叫び声を上げます。彼の母親リーラだったからです。彼はビンを投げつけてテレビを壊し、叫びながら部屋から飛び出すと、あてもなく走って行きました。友達の一人が追いかけ、落ち着かせようとしますが、スーリは母親を殺すしかない!と自宅に向かいます。ドライバーを片手に母親を刺そうとしますが、誤って階段を滑り落ち、自分を刺してしまいます。

母親は彼を病院に連れて行きますが、治療代が払えないなら診ないと言われ、必死に頼み込みます。

スーリの父親は怪しい宗教に凝っていて、その話を聞いてひたすら石の像を拝みます。

 

 

父帰る:ラシュクティは家のドアベルが鳴るたびに玄関に急ぎます。

7年前に家を出て行った父親が帰って来るからです。

父親がいないので、学校の友人から、お前は試験管ベイビーだとからかわれて辛い思いをしていました。

 

Why I Think 'Super Deluxe' Missed The ...

 

しかし、長い間待ち焦がれていた父親は…性転換していました。

 

それでもラシュクティは父親が帰って来たのが嬉しくてたまりません。

 

彼は本名ではなく、シルパと名乗っていました。

周りの彼に対する偏見は言うまでもありません。

 

いたるところで差別を受け、好き者の警察署長からは辱めを受けました。

 

Super Deluxe – Ashameera Aiyappan

 

 

 

さて、5人のうちの1人、家を提供した、トヤバンは困ってしまいます。テレビが壊れていることを父親が知ったらどうなるか分かりません。他の2人と一緒に何とか新しいテレビを手に入れようと…ついにはギャングの手先をして強盗までしようとしますが、押し入った先の家にはなんとエイリアンが住んでいました。エイリアンは5人のうちの1人ガージを気に入り(ガージもエイリアンが好きになり)彼のコピーを作って1人をとどまらせます(これはちょっとなんじゃいな、ですが 笑)。お陰で新しいテレビの購入資金が手に入ります。

 

 

一方、鉄道事故に見せかけようと死体を捨てに行ったヴァンブと夫ですが、

死体を運んでいることを質の悪い私服警官(実はシルパを辱めた警察署長)に見つかり、黙っている代わりにとヴァンブとの関係を迫ってきました。

 

これでもうだめか、という時に、屋根から壊れたテレビが落ちてきて(あのテレビです)警官の頭に当たり、即死。

ヴァンブと夫は、2人の死体を車に乗せ、2人に関係があるかのように装って、その場を離れます。

 

Super Deluxe Review {4/5}: There is ...

 

 

シルパは、ここは自分の居る場所ではないと、これまで過ごしていたムンバイに帰るべく切符を買います。

そんな折、市場で息子のラシュクティを見失ってしまいます。ムンバイで行方不明になった子供の行く末が臓器売買であることを知っているシルパは気が気ではありません。狂ったように探し回ります。

 

家に戻っているという知らせを聞いて帰ると、ラシュクティは怒っています。

「僕たちがどんなに辛いところを通って来たのか分かっているのか。(シルパが)ムンバイへの切符を買うのを見た、また自分たちを置いて行くのか!」と。

しめ切ったドアの向こうからラシュクティが叫びます「みんなが馬鹿にするのが辛いんだろう。それから逃げるために戻るんだね。でも僕とママはあるがままの父さんを受け入れる。男だろうが女だろうが、そのままでいい。一緒にいて欲しいんだ!」。

シルパは、もう二度と別れないと、ムンバイ行きへの切符を切ると、ドアの隙間から差し込みます。ドアが開きます。

(このシーンが一番好きかも)

 

治療を受けることができ、休んでいるスーリにリーラが話しかけます「私の出ている映画を観たのね。女優を目指していたので出演したの」。

「出演したら有名にしてやるとでも言われたのか!」とスーリ。

リーラは答えます「いいえ、自ら進んで出たの。キャリアの1つだから。何万という観たがる客がいるなら、何人かの演じる側は必要でしょ。成人映画を観る人たちは非難されることはないのに、なぜ演じる側だけ悪者になるの?『女神シャクティに信仰を』という映画知っている?あれでは女神を演じたの。ある人にとっては私は売春婦かもしれないけど、ある人にとっては女神なのよ。でも誰がどう思おうと、私は私でリーラ以外の何者でもないの」。

 

エピローグ、テレビに関係した男子3人が成人映画の劇場に行きます。そのイントロで白衣の博士風の男性が色々と話します。

命は地球上に留まらず壮大な宇宙の1エレメントととしてつながっている。知らないうちに何かの影響を与えている。

住んでいる場所によっても違い、時代の流れでも変わって行く価値観の中で、自分の短い人生の中で見聞きしたことで善悪を判断し、その正しさを振りかざす。昨日タブーだったことが今日は受け入れられる。それが世の中。そんな愚かな人生。でも人生は美しい。

 

 

 

こういう感じの映画って、南インド映画(テルグ、タミル)に多いような気がします。

 

 

 

ヴァンブ役は「マッキー」のサマンサ・ルース・プラブ

 

リーラ役は「バーフバリ」のシバガミ ラムヤ・クリシュナ 

      似ているけど違う人?と思うくらいすっきり?していて、若い。

 

 

 

画像は全てお借りしました。