今なら大炎上?の最終回


ポニーの丘から始まり、ポニーの丘で終わる。丘の上の王子さまとの出会いから始まり、再会で終わる。
このラストは連載開始当初から決まっていたようです。初志貫徹した素晴らしいラストでした。
連載を見続けてきた読者は、王子様の存在など最終回まで忘れていたと言って過言ではありません。


構図的にはアルバートさんとの未来を予感させるものでしたが、自分の足で歩き始めたキャンディの自立とも読み取れます。つまり読者の想像にその後を委ねる形のラストになっていました。
設定としては「赤毛のアン」と「あしながおじさん」をオマージュしたような世界観を持ちながら、常に読者の予想の裏をいく展開は、やはり原作者あっての物語だからでしょう。


前ページではロマンスの部分だけ要約しましたが、この作品はもちろん、それだけを描いた物語ではありません。
絵本の世界のようなレイクウッド編、王道学園ドラマのようなロンドン編までは確かにラブストーリーの要素が大きいですが、シカゴ編からは第一次世界大戦が始まり、同僚の看護婦が戦地に派遣されたり、仲の良かったステアが戦死したりと、さまざまな人の生きざまと死が描かれ、どうしょうもない三角関係と共に一気に大河ドラマの香りが強くなります。

アルバートさんは、包容力のある非の打ちどころのない青年で、後半の追い込みは本当に見事でした。
シカゴ編だけ見ればうっかり納得してしまいます。
―・・ん?この素晴らしいラストにどんなケチが付くのか?


そうです、テリィです。

 

テリィはあれでいいのか?真顔


テリィがあんな事態になってしまった根源は、連載が爆発的な人気を博してしまったために、当初予定になかったロンドン編が追加されたことに起因していると思われます。

丘の上の王子さまとの再会で終わることが当初の構想なので、テリィにはどこかで退場してもらう必要があります真顔真顔
熱い恋愛関係にある二人を破局させるには、誰が見ても「これじゃ、別れるしかないよねネガティブ」という理由を考えなければなりません。それが照明落下事故なのでしょう。

 

それにしても、急遽あつらえたキャラクター、結ばれない運命を背負って登場したロミオ的キャラクターにしては、テリィは強力過ぎました。
アンソニーもアルバートさんも凄くいい!!のですが、その二人を喰ってしまうほど、テリィは圧倒的です。
※テリィファンの意見です

 

両想いの二人が結ばれないという結末はいくらでもあるでしょう。恋人が自分を残して死んだ、二人で死を選んだ、そんな展開はいくらでもあります。しかし主役の二人が両想いのまま生き別れて終わるという結末はありそうでない。一旦別れても必ず戻ってくる。戻ってこなくても再会の希望を残していたり、いつまでも心の中で想っています、的な余韻が漂っているものです。
あの不朽の名作「ローマの休日」や「カサブランカ」が気持ちよく鑑賞できるのはそのせいでしょう。
愛を貫いたという意味では「ロミオとジュリエット」「タイタニック」でさえ、恋愛的には納得のハッピーエンドに見えます。


しかしこの漫画は違います。主役の二人は貫いたのではなく、やんごとなき事情を前に妥協したのです。
テリィは終盤、見るに堪えない姿で再登場します。キャンディを忘れられず自暴自棄になり、主演舞台が打ち切られ、失踪してしまいます。しかし幻のように現れたキャンディの涙の訴えで立ち直り、ブロードウェーへ戻る決心をします。

一見丸く収まったようにも見えますが、テリィが戻るのはスザナの所です。若干20歳前でスザナへのいけにえのような状態のまま漫画は終わってしまうのです。

そう、キャンディとの復縁の種など全くないまま。
一方キャンディはキャンディで、次の恋の予感を漂わせて終わる。それがキャンディ♡キャンディの最終回なのです。

なんというシュールリアリズム!滝汗

この作品が今もって多くの人々の心に残っている理由は、大河ロマンスの傑作だから―、と言うよりも、感動の最終回の陰にあるテリィの存在が、一周回ってどこか心にモヤモヤと燻っているからではないでしょうか。
少なくとも全て納得のラストであれば、ブログ主は今こんなことにはなっていません
あせる
とにかく、多くのテリィ難民が出てしまったのは間違いないでしょう。

原作者の水木先生も涙を滲ませながら別れのシーンをかき上げたようです。

 


©水木杏子/いがらしゆみこ 画像お借りしました

 

テリィとキャンディが別れるシーンは、何度見てもどうしようもなく切なく、もはや児童文学の域を超えています。トルストイの純文学「アンナカレーニナ」のような悲壮感さえ漂っています。
原作者に我ら難民と同じモヤモヤがあったかどうか分かりませんが、キャンディの物語の最後にFINAL STORYという小説を発表してくださいました。

30年以上放置されたままだった難民は、そこで初めて新大陸の光を見たのですキラキラ

 

 

  テリィ復活!? FINAL STORY

 

 

   ©水木杏子・いがらしゆみこ

 

1979年の連載終了から約30年の時を経て、2010年に発行された小説FINAL STORY(以下ファイナル)。

3カ国語(フランス、イタリア、スペイン)に翻訳されていますが、日本では既に絶版です。

 

復刻運動はこちら下矢印

 

オークションサイトなどで驚くほど高値がついているところを見ると、どうやら皆さん、キャンディのその後が気になるようです。
ファイナルの中で、30歳を過ぎたキャンディは愛する「あのひと」と祖国ではない国で暮らしています。

しかし「あのひと」の固有名詞は出ていません。

名木田先生(水木先生)が「物語としては、完全ではありません」下巻336と言うゆえんはその辺にあると思われます。

 

下矢印以下ネタバレ注意おーっ!


ファイナルは、それまでに刊行された「小説版キャンディ・キャンディ」を下地に全面的に書き直したもので、名木田先生の想い入れの深さを感じますが、往年ファンへの配慮ゆえに一定の曖昧さを意識して描かれています。
その為、「物語の続き」として加筆されたことは本筋的には多くありません。


役者として復活を遂げたテリィは、スザナと婚約し、一緒に住み、そして結婚しないままスザナが亡くなり(死因は不明)、キャンディに短い手紙を書いた、という程度です。
それが二人が別れてから何年後なのか、手紙を受け取ったキャンディがその後どうしたか、テリィは何を考えスザナと生活を共にしていたのか。それらは一切明らかにされていません。
唯一ハッキリしているのは、テリィの手紙に出てくる
ぼくは何も変わっていないという、キャンディに対する気持ちだけです。


テリィファンはこの一文だけでもう十分(大騒ぎ)です。

花火花火花火祭お祝いケーキ生ビール

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

拍手拍手拍手拍手拍手拍手拍手


テリィが「あのひと」かどうかはさておき、なりを潜めていたテリィが息を吹き返したのですから。
しかし次の瞬間、物語は30代のキャンディと「あのひと」の暮らしに跳んでしまうので、その間の物語はファンの数だけ妄想がある状態になります。
20代のキャンディの「私も何も変わっていません」という記述でもあれば、ファンの間で論争は生まれないのでしょうが、残念ながら別れたあとテリィへの気持ちがどうなったのか、直接的な言葉はありません。

それと同時に、アルバートさんとの関係がどう変わったのかも書かれていません。
しかしもちろん、ヒントはあります。このヒントをもとに読者は各々「あのひと」を導くことになります。

 

おそらく全ての読者は、感情的に論理的にあのひとが誰かを導くことは出来るでしょう。
ただしやはり、と言うべきか、答えは2つに分かれてしまいます。
そして読者は、自信はあっても永遠に答え合わせが出来ないという、足湯に片足だけ突っ込んだ状態に陥るのです。
正解は各々の胸の中にあればいい、と思いつつも、違う答えを導く人がいる以上、どこかスッキリしません
もやもや

原作者のお墨付きが欲しい、回答が無理なら参考書が欲しい、ちょっと隣の奥様、どう読んだ?
―とそんな状態の人は多いのではないでしょうか。
誰もが想像力の申し子、赤毛のアンの主人公アン・シャーリーのようになれればいいですが、読者が想像力を使わなければ完結しない物語というのは、時に厄介です悲しい

 

 

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