★★★8-18
黄金のオーラを身にまとい、本物のエレノア・ベーカーが目の前に座っている。
テリィはその大女優を『母さん』と呼び、キャンディは『ママ』と呼んでいる。
分かり過ぎる状況なのに、アーチーにはこの状況がてんで理解できない。
(こ、これは、・・いっ、いったい、・・どういうことだ――!?)
アーチーはまばゆいばかりの美しさを放つその人に恐る恐る目を向け、隣にいるキザな奴と見比べた。
何故今まで気づかなかったのか。二人が親子であることは一目瞭然だ。
(そのままの顔じゃないかっ、いったい今まで、僕はどこに目をつけて生きていた・・)
サインだ握手だという行動は、ある意味余裕があってこそ。
息を吸うのも精一杯なアーチーは、激しい動悸と目まいに襲われていた。
「知ってるかな、母さんは俺と同じような舞台やスクリーンの仕事をしているんだ。名前は―」
「――し、知らないわけがないだろっ・・!!彼女を誰だと思っている、失礼なっ!」
アーチーは声が裏返るほどの大声を上げた。
「あ、そうか。アーチーはママのファンだったわね。学院の寮にも大量の写真を隠し持っていたっけ」
キャンディの解説を聞いた瞬間テリィは
「へえ~・・そうだったのか。なら、もっと早く教えてやるんだった」
なぜか勝ち誇ったように口角を上げた。
一方でアーチーは謎の敗北感に襲われた。
(余計なことを・・!キャンディ―!!)
「・・もう隠すつもりはないのですが、公表するタイミングが難しくて・・。テリュースには昔からこの事で、随分嫌な思いをさせてしまって・・。・・本来なら、こんな場所ではなく披露宴に出席してご挨拶したかったのですが、テリュースが反対するものだから・・」
プライベートな話をしようとするエレノアに、テリィは若干の気まずさを覚えた。
「反対したのは、エレノア・ベーカーが理由じゃない。――母さん、今日はその話をしに来たわけじゃないだろ?アーチーとアニーに会いたいっていうから、二人にわざわざ来てもらったんだ」
「え・・!?僕たちに?」
アーチーの頭はパンク寸前だ。
「ああ、本当に。お呼び立てしてすみませんでした。信頼できる旧友がいると聞いたものですから、ぜひお目に掛かりたくて」
「・・・そう、、、ですか・・」
(ナイス、テリュース!!恩に切るぜ)
アーチーは思わずこぶしを握り締め、ローテーブルの下で密かにガッツポーズをしていた。
(・・ん?今、なんて言った?僕が信頼できる奴だって、こいつが言ったって・・?)
「アーチーとテリィは寮の部屋がお隣同士だったんですよ!」
キャンディが会話に割り込んだ。
「まあ、その頃から仲良くして頂いていたのね」
すっかり母親の顔になっているエレノアに、キャンディはニマっと笑いながら言った。
「確かに喧嘩するほど仲がいいって言いますけど、実際二人は喧嘩ばっかりしていたんです。それこそ真剣まで持ち出して」
「アーチーは宿敵だったんでね、恋の」
テリィが母親にアーチーとの関係を分かりやすく伝えていると、それを遮るように
「お、おい!!でたらめ言うなよ!」
アーチは身を乗り出して反論した。
ムキになって立ち上がってしまった自分を悔いるのに、時間は掛からなかった。
誤解されてはいないかと、真っ先に妻の方を見ると、アニーは嫌な顔一つせずクスクス笑いながら
「事実じゃない。皆知っている事よ」、と右手を軽やかに上下に動かしながら夫に着席を促した。
「・・だけどあの時は悪かったよ。侵入されたらまずかったから、反射的に叩いちまった」
だしぬけにテリィから反省の弁を向けられたアーチーは、一瞬何のことか分からなかったが、直ぐに忘れていた昔の出来事を思い出した。
あの時・・―
自分の部屋と間違えて開けてしまったドアの所でテリィと鉢合わせし、いきなり顔を叩かれた。
「テリィは無防備すぎよ。見られたら困るくせに、あんな物を出しっぱなしにするんだものっ」
キャンディの言葉で、アーチーは何となく当時の状況が呑み込めてきた。
(・・そうか、母親の事がバレる恐れがあったのか。そしてその事をキャンディは知っていた・・)
アーチーは叩かれた痛みが、今頃になって消えたように頬に手をあてた。
「キャンディ?俺の部屋に勝手に侵入して見ておいて、その言いぐさは無いだろう」
アーチーとアニーは殆ど同時に「えっ、テリィの部屋に侵入・・!?」と目を丸くした。
男女交際禁止の学院。まして女子が男子の部屋に行くなんてアニーの辞書には載っていない。
「・・いくらテリィが好きだからって、キャンディ・・それは積極的すぎよ、、」
アニーは真っ赤になった頬を隠すように両手をあてると、キャンディは慌てて言い訳をした。
「ち、ちが、ちがうわ、アニーっ」
「夜の男の部屋に忍び込むなんて、アメリカのレディは偉く大胆だな、って感心したよ」
にやっと笑うテリィに、キャンディは跳び上がって動揺する。
「ちょ、ちょっと!みんなが誤解するわ、部屋を間違えただけじゃない!レディに対して失礼よ」
「レディは突然窓から侵入してきたりしないさ」
「あ、あなただって夜中私の部屋に窓から侵入してきたじゃない!紳士とは程遠いわ」
それがハプニングなのか確信犯なのか分からないアーチーとアニーは、ただただ二人の言葉のラリーを、冷や汗をかきながら見守っている。
「そっちこそ誤解を与えるような発言はやめてくれないか?酔っぱらって部屋を間違えただけだろっ」
「学生が夜の町で酔っぱらって寮に戻っていいと思ってるの!?その上あんなに怪我してっ」
「君だってあの後、夜の町に繰り出したじゃないかっ、何をしていたんだか」
二人は喧嘩をしているのかじゃれ合っているのか、他人にはよく分からない。
しかし二人は結構な似た者同士で、その関係は入学と殆ど同時に始まっていた事がうかがい知れた。
誰にも入れそうにない二人の世界がいつ終わるのかと三人が傍観していると、エレノアがおもむろに言った。
「・・アーチーさん、叩いてしまってごめんなさいね。テリュースは人と接するのが苦手なの。私のせいで複雑な環境で育ってしまったから・・。だからこそ芝居の世界が好きなのかもしれないわ」
子供をかばってしまうのは母親の常だ。大女優とて例外ではない。
憧れの女性に言われたからなのか、アーチーは妙に納得し素直にその言葉を受け止めた。
(そうかもしれないな・・)
アーチーは初めてテリィの本質に触れた気がした。
「テリィ、手伝ってくれる?」
香ばしいバターの匂いが漂ってきた。その匂いに誘われるようにキャンディとテリィはキッチンへ向かった。
テリィが運んできたパイを見て「まあ、おいしそうなパイ!キャンディが作ったの?」
エレノアが感心していると「パイというより、ブルーベリーを食べてもらいたいみたいだよ、母さんに」と、テリィは慣れた手つきでブルーベリーのパイを取り分け始めた。
「夏に来ていただいた時、私ってばママにご賞味頂くの忘れちゃったから」
「じゃあ、このブルーベリーはあの庭の?」
「はい、たくさん獲れました!ジャムも作ったんです。後で持って帰ってくださいね!」
「・・そこのシュガーレディ?君は砂糖に漬けただけで、煮たのは俺だろ」
「ハハ、そうでした!」
キャンディは舌を出しておどけてみせる。
「あなたが・・・テリュース」
期待を込めたエレノアの熱い視線が、テリィには少しうしろめたい。
「いや、俺は煮詰めただけで―・・残りの作業をしたのは全てキャンディだ」
バツが悪そうに頭を掻いてる息子のしぐさが新鮮で、エレノアは思わず微笑んだ。
「・・二人で作ったのね」
その何気ない言葉が、なぜこうも照れ臭いのか。
テリィとキャンディは妙にくすぐったさを覚え、お互いの顔をチラッと見合わせた。
「あの、・・お父様に持って行った時は、収穫したばかりの生の実で焼き上げたんです。ブルーベリー、本当にお好きなようでした」
少しの緊張感を持ちながらエレノアに伝えると、テリィも後に続くように言った。
「・・父さん、同じ品種の苗をロンドンの庭にも植えてたよ。俺はろくに住んでなかったからキャンディに言われるまで気付かなかったけど。・・今年は自分で収穫するって意気込んでる、あの身体で。――母さんにもジャムを届けてやれって言ったのも父さんだ」
その言葉にエレノアの目じりがわずかに光ったように感じたが、二人は素知らぬふりをする。
「さぁ、アーチーもアニーもどうぞっ」
会話に口を挟めなかったアーチーだったが、グランチェスター家の真髄を見るような、デリケートな会話がなされていたことは、十分に伝わってきた。
独身で通っている美人女優に何故テリィのような隠し子がいるのか。
テリィは何を思い、父方のイギリスで育ったのか―
初めてその境遇に触れたアーチーには、無邪気にパイを頬張るテリィが、今までと全く違う人物に見えた。
「君のパイは相変わらずうまいな。次はアップルパイを頼むよ。帰ったら早速リンゴの収穫だな」
「ジャム用の皮剥きを手伝ってくれるなら、作ってあげてもいいわ」
「これだから人使いが荒いって言われるんだよ。うちのキューティパイは!」
恋人に使う愛称だけは普段から多用するテリィ。愛の言葉はろくに言わないくせに―
「――ねえ、わざと言ってるでしょ・・」
二人だけの時は大歓迎だが、こういう場で呼ばれるのは、ちょっと勘弁してほしい。
「ハハっ!モンキーでも照れて赤くなれば分かるものだな。ペチャパイと呼ばれるよりいいだろ?」
「も~っ!これ以上言ったら、リンゴの皮だけのパイを作っちゃうわよ!」
じゃれ合う二人を見て、エレノアは心底驚いていた。
キャンディの前では、息子はこんなに無邪気に笑うのだと初めて知ったからだ。
幼いころに別れた息子。手を掛けて育てた記憶など僅かしか残っていない。
特にこの十年は自分が代わってあげたいと思う程つらそうだった。
そんな姿ばかり見てきた母にとって、目の前の息子はでまるで別人のように幸せそうに見えた。
(・・・主よ・・、感謝します・・)
エレノアは思わず零れそうになる涙を堪えるように、パイを口にした。
「・・本当に、とってもおいしいわ。ありがとうキャンディ・・」
エレノアは噛みしめる様に、一口一口ゆっくりと味わう。
二十五年前、未完のまま終わってしまった自分の子育てが、ようやく実を結んだ気がして。
8-18 ブルーベリーパイ
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ワンポイントアドバイス
漫画を知らない方へ
作中に出てきた学生時代のエピソードは全て原作通りです。
テリィが母親の披露宴への出席を反対した理由について
「エレノア・ベーカーが理由ではない」
とだけしか答えていませんが、「じゃあ何が理由だ!?」とモヤっとした方は
コメント欄23,24をお読みください。