★★★8-17
「どうされましたか?ウィリアム様」
運転席のジョルジュは、笑いをこらえているようなアルバートの声に気付き、後部座席にちらっと目を向けた。
「いやぁ~、この設定はすごいよ。キャンディは住み込みの看護婦で、テリィがマーロウ家に入り浸っていたのはそのせいだって。ゴシップのプロの発想はすごいな。そんな筋書き、僕には思いつかない」
ニューヨークで調達した新聞を見て、アルバートはしきりに感心していた。
「グランチェスター様はインタビューに応じたようですね。その記事、どうなさるおつもりです?」
「う~ん、嘘っぽい内容ではあるが、シカゴニューズエクスプレスの記事の邪魔はしていない。僕の小細工など必要なかったみたいだ。二人に事情を説明しようと思ったが、今日はこのまま財団の方へ向かおう」
「アーチーボルド様だけにして宜しいのでしょうか。お二人は水と油なのでは?」
「水と油と言っても、夫婦じゃないんだ。混じり合う必要なんてないさ。隣り合っているだけで構わない。お互いの陣地に立ち入らない事は、認め合うことでもある。さぁ、仕事だジョルジュ」
アルバートは新聞をアタッシュケースにしまうと、緩んだネクタイを締め直し摩天楼の街へと消えて行った。

 



列車でニューヨークへ到着したコ-ンウェル夫妻は、いきなり出鼻をくじかれた。
駅員からアルバートが同行できなくなったと聞いたからだ。当然のことながらジョルジュもいない。
仕方なく丘陵地の中腹にあるというテリィの家へはタクシーで向かった。
「・・アニーは知ってたか?あいつの本当の母親はアメリカ人だって」
貴族の子息として学院では傍若無人に振る舞っていたあいつ。出生など疑う余地もないはずだった。
「・・キャンディから聞いたこともないわ」
アニーも戸惑いを隠せない。
「・・そうだよな」

門に刻まれた番地を確認しタクシーを降りると、ゆっくりと敷地内に足を踏み入れる。
門扉に絡まったアイビーの長いツタがこの家の年月を物語る。
「素敵な所ね。別荘みたいだわ」
「・・あいつが建てたとは思えないな・・母親の実家か?」



「テリィー、戻ってる?皆そろそろ到着するわよー。テリィ、いないの?」
修理に出していた愛車を朝一番で引き取りに出掛けたきり、まだ戻っていないようだ。
ロンドンで修理することもできたのに、ニューヨークで買ったからという理由でわざわざイギリスから持ち込んだのだ。テリィの律儀な性格が見え隠れする。

ふいに来客の到着を告げるベルが鳴った。
仕方なくテリィのことは諦め、玄関へ向かった。

「そう。アルバートさんは急用ね。残念だけどよくあることだわ。さ、寒いから早く中に入って!」
キャンディがコーンウェル夫妻を家の中へ招き入れようとした時、丁度赤い車が滑り込んできて、玄関先に勢いよく停止した。
「テリィ、遅いわ!なにもこんな日に引き取りに行かなくてもいいじゃないっ」
キャンディが角を出しながら車に走り寄ると、テリィはキャンディにハグをしようと手を伸ばした。
「ただいまハニー、今日もご機嫌斜めだね。俺と離れるのがそんなに寂し―・・あれ?」
来客に気付いたテリィは、少し驚いたようにアーチーを見た後、
「・・これはこれはコーンウェル夫妻。遠路お越し頂きまして。お疲れでしょう?どうぞ中へ」
伸ばした腕の目的地を瞬時に玄関に変え、まるで芝居のセリフを言うようにお辞儀をする。
アーチーは一瞬それが誰だか分からなかった。
もちろん頭では、この家に『ただいま』と言って無遠慮に入ってくる奴など、一人しかいないと分かっていたが、自分の知るあいつとは大分かけ離れた格好をしていたからだ。
カジュアルな普段着、MacGregorのショート丈のジャケットにリーバイスのジーンズ。斜めにかぶったハンチングに、丸いフレームの小さなメガネ。髪は一つに結んでいる。
変装なのだろうが、かえって目立っているのではと思えるほど、ある意味洗練されていた。
(・・ちっ)
アーチーはのっけから面白くなさそうに舌を打った。
しかも目の前に止まったピカピカに磨かれた赤のイタリア車には見覚えがあった。
(・・本宅で見た車だ。あの時のアルバートさんの来客はこいつだったのか)
仲間外れにされたようで、ますます面白くない。
「ボディの凹みなんて運転には何の支障もないのに、なにも今日行かなくてもっ」
キャンディの小言はまだ続いていた。

「でも今日はメガネを掛けたのね?やっと言いつけを守ってくれたわ」
「今日は単独行動だったからね。心配しなくても君が一緒の時は外すよ」
投げキスをしながら言うテリィに、キャンディは動揺した。
「もう、皆の前で不謹慎なこと言わないでちょうだいっ」
それの何が不謹慎なのか、コーンウェル夫妻には分からない。

部屋に案内されると、テリィの家族の姿はなかった。
「お母様の家とは少し離れているの。こっちに向かっている頃だと思うわ」
キャンディから説明があると、アーチーは急にリラックスしたようにソファに両腕を伸ばし、長旅で固くなった体をほぐし始めた。
遅れて部屋に入ってきたテリィが、変装を解くように着ていたジャケットを脱いだ時、夫妻は目を疑った。
テリィがキャンディとお揃いのセーターを着ている。
「なんだよ、ペアなんてあいつのイメージじゃないだろ・・・」
小声でつぶやきながら、アーチーは面白くなさそうに舌を鳴らした。
「きっとキャンディの趣味よ。シカゴでアルバートさんと暮らしていた時も、ペアの物が多かったもの」
アニーは別々の場所にいる二人を交互に目で追いながら羨ましそうに微笑んだ。
白いセーターはテリィの長い脚に収まる501デニムとの相性が抜群で、普段着にも関わらず、まるでファッション雑誌の中からそのまま抜け出てきたようだ。
キャンディは同じセーターにデニムのスカートとスウェードの温かそうな茶色のブーツを合わせている。

活発なイメージがキャンディに合っていて、とてもキュートだった。
そんなアニーの視線に気付いたキャンディは、キッチンでお茶の準備をしながら声を掛けた。
「・・このセーターすごく温かくて軽いの。冬服はかさばるでしょ?今回の旅では最低限しか持ってこなかったから重宝しているわっ」
「フフ、言い訳なんかしなくていいわ。仲がいいのね」
「初めはテリィも嫌がったんだけど、家の中だけならいいか、って諦めたみたい」
それを聞いたテリィはあきれたように息をつき、
「・・君ね、家の中だけってのは他の誰にも見られない、っていう意味だって分かってるか?客がいたら元も子もないんだよ」
テリィはキッチンのキャンディの所へ歩み寄ると、キャンディの頭を軽くコツンと叩いた。
「今日皆が来ることは伝えたわよ、聞いてなかったの!?あー、だから朝から出掛けちゃったのねっ」
「あ、だから朝からパイを仕込んでたのか。悪い・・いろいろ用事が溜まっていて上の空だった」
「いろいろ・・?車の他に何か有った?」
不思議に思ってきき返すが、紅茶をいれるキャンディの手元が気になったのか、テリィは慌てて口を挟む。
「まだ早い、もう少し待て・・!」
「もう平気よ。待たせるのはよくないわ」
「おい、そんなに一気に注ぐなよ。紅茶は最後の一滴が一番うまいんだって」
「同じ味よ。そんなに言うならあなたに最後の一滴だけをあげるわ」
まるで小鳥のようにじゃれ合っている二人 の姿は、新婚ほやほやのカップルのようであり、金婚式を迎えた夫婦のようにも見える。
「・・誰も二人の間に入れないわね」
アニーはクスクス笑いながら二人の姿を見つめたが、アーチーはフンっ、と顔をそむけた。
「ねえキャンディ、駅にこんな雑誌が・・。これあなた達よね?」
お茶を運んできたキャンディに、アニーが顔を赤らめながら雑誌を見せた。


 テリュース・グレアム ブロードウェーでお姫様キス!
 マーロウ家で密かに育んだ愛  スザナ専属の看護婦  学生時代に愛の逃避行 何度も求婚

 彼女は太陽!裸足の天使!  頭のてっぺんから足の先まで全てが好き!

キャンディの手の甲にテリィがキスをしている写真が掲載されていた。
人ごみに紛れ、マフラーと帽子で殆ど顔は映ってないが、間違いなく自分達。
「ち、違うわ!傷の消毒をしていただけなの!!・・もう、この記事もでたらめばかり」
キャンディは顔を真っ赤にしながら大きなため息をつく。
「キャンディのこと、裸足の天使ですって。きっと白衣の天使と掛けたのよ」
アニーはふふっ・・と笑った。
「・・でもこの写真、どうして私達だってバレちゃったのかしら、顔も殆ど隠れているのに―」
どれどれとテリィも雑誌を覗き込む。
「ああ、やっぱり。俺のスターのオーラと君の赤いピンは隠せてないな、ハハ・・!――僕の太陽?それを言ったのは俺じゃなくてロミオだろ。相変わらず適当な事を書いてくれる。・・あー?なんで何度も求婚して振られたことになっているんだ?あの時そんなこと言ったかな。足の先まで好きだって?ハハっ、素足が小さくてかわいいって言ったつもりだけどな」
「テ、テリュースっ、、!そんなこと言ったの!?」
キャンディが絶叫するように言った時、
「――振られたのは事実じゃないか」

アーチーが冷ややかに口を挟んだ。
テリィは瞬間無表情になり、「・・君もね」と一言返した。
その場が一瞬凍りつく。
「あ、こ、これ、この前まで公演していたっていうロミオとジュリエットのポスター?素敵だわ」
アニーがその場を取り繕おうと、コンソールの上に貼ってあるポスターに話題を移した。
「これは昔のポスターよ。テリィがこんなに若いはずないわ」
「ああ、昔不評で打ち切られたって演目か?」
アーチーはわざと棘のある言い方をする。
(・・ふん、事実を言って何が悪い)
「・・よく知っているじゃないか。ある意味、今回のロミオより見応えがあったと思うぜ、特に君には―」
二人の会話はあいも変わらず、食うか食われるかの様相を呈している。
キャンディがどうしたものかと腕を組んだ時、外からエンジン音が聞こえた。
「あら、ママが着いたのかしら」
その声にテリィが反応し立ちあがると、キャンディも続くようにもリビングから出て行った。

「・・いちいち、腹の立つ奴だな」
思わずアーチーは歯ぎしりをする。
「アーチー、あなたの方が失礼よ。今日は何しに来たと思ってるの?」
「あいつに会いに来たわけじゃない。家族を紹介したいって言うから来てやったんだ!」
プイッと顔をそむけた時、数々のトロフィーや盾、写真が目に留まった。
コンソールの上にこれ見よがしに飾られた栄光の品を見て、「自慢かよ」とまたしても不機嫌になる。
しかしよく見ると、写真に写っているのはテリィではなく殆どが女性のようだ。
「同じ女性ね・・。お母様かしら?」
母親の顔に興味がわいてアーチーものぞくと、それはアーチーのよく知る人物だった。
「あ?違うよアニー、これ女優のエレノア・べーカーだ。
あいつも彼女のファンだったのか。・・なんだ、もっと早く知っていれば、色々有意義な話が出来たのに」
(・・・有意義な話?)

自分で言って失笑する。
「・・女優さんなの?でも、テリィとよく似ているわよ」
率直な感想を言うアニーに、「まさか、似ても似つかないね」アーチーはとり合わない。
昔から大ファンなのだ。実家にはステアと競うように集めたブロマイドが山のようにある。
永遠のマドンナが、あんなキザな奴に似ていてたまるか。
そう思いながら、写真を眺めている内にアーチーは違和感を持ち始めた。

自分が持っているブロマイドとは明らかに違う、日常を切り取ったような数々の生写真。
「・・『ナナ』の時のキャスト達・・、こっちは噂になった監督と写ってる・・・」
テリュース・グレアムと撮った写真の一枚でもあるかと思いきや、そんな写真は見当たらない。
ふと隣に置かれたトロフィーを見ると、刻まれている名はテリュース・グレアムではなくエレノア・ベーカーとなっている。
「え、、どういう事だ――」
アーチーの頭が一瞬真っ白になった時、廊下から声が聞こえてきた。
「ママ、今日は特別寒いですね。夜から雪になるかも」キャンディの声。
「降り出す前に帰った方がいい。タイヤが滑ると厄介だ」これはテリィの声だ。
「まあテリュース、今着いたのにもう追い出そうとするの?私はお邪魔なようね」
そしてこの声は――
アーチーにはもう分かった。間もなくドアの向こうから誰が姿を現すのか―



8-17  来客

 

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ワンポイントアドバイス

 

「振られたのは事実じゃないか」というアーチーのセリフについて

アーチーとアニーは、10年前にテリィとキャンディが別れた経緯を、キャンディから聞いていません。

「いろいろあってテリィとはもう会わないことにした」下巻P231と説明されたにとどまります。

アニーはスザナの怪我が原因という事は雑誌などで付きとめていましたが、どちらが切り出した別れ話なのかは知りません。

よってアーチーの発言は、つい身内の味方をしてしまう気持ちや、嫌味を言う目的で発せられたものと解釈してください。

 

ジーンズの歴史

作中で出てきた「リーバイス社」は1853年アメリカで設立され、ロット・ナンバー501は1890年に誕生しています。

ジーンズは鉱山で働く鉱夫や農夫の作業着で、1920年代にカウボーイファッションの象徴になりました。

ジーンズを大衆ファッションに代えたのは、1955年映画「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンが着用してからです。

この小説内では『テリュース・グレアムが広めた』という裏設定にさせて頂きました♡

日本では倉敷がジーンズの産地として有名ですね♪

 

 

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