栃木県佐野市の「唐沢山城跡」の続きです。
いよいよ、「本丸」に進みます。
現在本丸には神社が置かれています。
「唐沢山城跡」は、今や「唐沢山神社」としての方が広く知られているようです。
参拝客も多いのだとか。
正面が唐沢山城本丸跡「唐沢山神社」です。

お城の本丸という雰囲気ではないですね。やはり神社ですね~。

神社の手前に「南局跡(みなみつぼねあと)」の案内板を見付けました。

古地図によっては、「二の丸」と記されているものもあるようです。
奥女中の詰め所であったとも言われています。
「南局跡」から見下ろした「高石垣」です。

先程は下から見上げましたね~。
門をくぐります。

頂いたパンフレットによりますと、唐沢山一帯は、佐野家改易後、彦根藩の御林山となり、明治維新を
迎えました。
明治時代になると新政府の管理下に置かれました。
「佐野家」は幕末には表高3500石の「旗本」として存続していましたが、明治の始め、旧家臣に迎えられ、
故郷に戻りました。
明治13年(1880)、「佐野家」ゆかりの人々は戦国時代に佐野家の菩提寺だった「本光寺」に集います。
そして、唐沢山の古城跡に「藤原秀郷」公を祀る神社を創建することを決議しました。
この念願を相談された大蔵卿「佐野常民」は、志に深く感動し、国や県への働きかけを同志と共に積極的に
行い、ついに神社設立と広大な官有林払い下げが許可されました。
そして、明治16年(1883)10月、大祭を施行し神社創建が実現しました。
更に、23年(1890)11月には、別格官弊社に加わりました。
「拝殿」でお参りしますね。


「本丸跡」の案内板がありますね。

こちらの神社の場所には、かつては「奥御殿」がありました。
西側が大手虎口だったそうです。
横に行ってみましょうね。

「拝殿」と「本殿」です。


神社のある「本丸」は「二の丸」に繋がっています。
こちらの鳥居をくぐると「二の丸」です。

くぐった所から、神社側を見ますね。

鳥居の近くから下を見下ろすと~


「高石垣」ですね。
外側に行ってみますね。

紅葉が綺麗です。

神社の南側、少し低い場所、「南城跡(なんじょうあと)」に進みます。

正面は「南城館」です。
写真左手に写っていないのですが、社務所があります。
新しい御朱印帳が出来たと書いてあります。
紺地に「揚羽」の絵が描かれ、金、銀、ピンクの3色があります。
ピンクが可愛い~

御朱印をお願いして南城跡を歩きます。
「南城跡」はかつて、「蔵屋敷」や「武者詰め」があった所なのですね。
「南城跡」は、南北18m、東西36mあり、周囲は石垣をめぐらせ堀を設けてあります。
あらあら、また、ネコちゃん~


大きな石がテーブルになっていますね。

わぁ~




富士山が見えるので、拡大しますね~


スカイツリーが見えるという声がします。

私は新宿方面と池袋方面は分かるのですが、スカイツリーは良く分からない~。

「南城館」を横から見たところです。

「南城館」が何かは良く分からないのですが、神社の施設だと思います。
また、ネコにゃん~


こちらの紅葉も綺麗です。

垣根の外にも、ネコちゃん~


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前のブログに書いたのですが、「唐沢山城」の別名は「根古屋城」~

だから、置いて行ってしまうのかな~

御朱印を受け取りに再び社務所に伺います。
こちらが、御朱印帳です。

「祝い揚羽」だそうです。

「揚羽蝶紋」は、唐沢山城主「佐野房綱」の家紋だそうです。
やっぱり、ピンクが可愛い~。
御朱印はこちらです。

こちらも、ピンクです。
御朱印帳は表と裏を合わせると完成します。

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つづく