令和4年6月4日参拝
「岡崎の運慶仏を見るかい」
いつだか友達が〝あまり教えたくないお気に入りだけどよかったら案内してもいいぜ〟的な匂わせ方してきたのが瀧山寺の聖観音でした (๑´▽`๑)ノ
瀧山寺の由緒書き
そんな会話もすっかり忘れてて、
到着直前にぽそっと「次は運慶ね〜」と言ったのでひそかに探してました。
|ω・) 内陣が見えない真っ暗な本堂はそもそも拝観受付がなかった。
運慶どっこ〜 (゚Д゚≡゚д゚)
聞けば運慶は宝物殿だと言う。
そうだったのか ◟꒰◍´Д‵◍꒱◞ モォ
というわけで瀧山寺の本坊へ。
まず運慶のことが頭にあったので、
拝観料をお支払いしてから左奥に置かれた聖観音に走り寄りしゃがんで聖観音を見上げた。
高さ174cmの聖観音がわたしを見下ろした。
「!!!!!!!」
この感じ、運慶展ぶりでした (๑⃙⃘’﹏’๑⃙⃘)
それにしても仏像との距離が近い。
運慶展図録p.128-129
案内役の方は自作の資料片手に流行り言葉を乗せた語り口なのがジワるw
しかも終わった若者言葉ではないあたりアンテナ高い方だな!と思いました。
運慶展図録p.130-131
運慶展(国立博物館)と違い普段の観音さまは飾らないノーアクセでした。
仏像はわずかな自然光が差す薄暗いお堂で見るのが一番美しいと思っているのですが、
このクラスになると陰影で盛る必要ない。
明るく照らしてすべて見て👀
信仰の対象を美術品として見る後ろめたさも吹っ飛んでいく。
運慶展図録p.132-133
ほぼ360°から見学できます (◍´◡`◍)
観音さまの後ろ姿にうっとりしていると横から案内役のおじさんが、
「運慶仏の特徴って何だと思いますか」
「ふっくらしてる」
「艶めかしい」
聖観音(宝物殿でいただいた版画)
この聖観音立像は正治元年(1199)に急逝した源頼朝の三回忌に合わせて瀧山寺住職の寛伝上人が京都の仏師 運慶・潭慶父子に制作を依頼したものです。
東大寺で出家した鑁阿寺2世足利義兼が発注を取り持ったとする見解もあり、
頼朝と同じく母方の出自が熱田大宮司家という従兄弟たちが建立に関わっているとみられています。
頼朝等身の胎内(頭部)には歯と鬚が針金で吊るされていることがX線写真で確認されていて、
聖観音の姿をしていながら頼朝そのものに寄り添った像なのでした。
帝釈天(宝物殿でいただいた版画)
聖観音のことばかり書いてますが、
脇立ちには帝釈天と梵天が控えていて三尊仏すべてが運慶・潭慶父子の作品で国重文です。
梵天(宝物殿でいただいた版画)
宝物館では御朱印もいただきました。
「自己流です。気分のままに書いていますよ。練習はしません。」
仏像の世界に魅せられてお勤め勇退のタイミングで自ら瀧山寺の門戸を叩いたというおじさんはボランティアという立場でお寺に入っているので記念にお配りする版画に対してお気持ちいただけると嬉しい、とのこと。
写真立て付きでいただいてしまった‥ε(๑´▽`๑)ɜ
「じゃあ、あとは頼みます、この人わたしより上手だから がははは 」とお出かけになったのはなんと瀧山寺住職でしたw
すごいww
瀧山寺の由緒書きより
ほかにもいろいろ展示されてますが鬼まつり(!)の鬼面が気になりました。
実際の鬼まつりではレプリカの鬼面を使い本物はこうして宝物殿に保管されています。
( 'ノω')これも運慶(伝)らしいのですよ。
言われてみれば灯籠を抱えた鬼立像(興福寺だっけ?)と表情筋の彫りが似ているような気がします。
■吉祥陀羅尼山薬樹王院 瀧山寺(滝山寺)
愛知県岡崎市瀧町字山籠107