平成30年10月3日参拝
道の駅しもつけのすぐ近くです。
その気があればこの辺だけで一日遊べちゃうほど社寺が多い地域だと思います ◡̈
「次はねぇ〜、道鏡のお墓があるお寺だよ」
「道鏡って宇佐八幡宮神託事件の!?」
そんな事聞いちゃったからお寺の全景を見ながらワクワクしたよね〜。
龍興寺は下野薬師寺の別院と位置づけられる真言宗智山派の寺院で開基は鑑真です。
\\\鑑真////
鑑真とは天平勝宝5年(753)戒壇の設立と授戒を目的に唐から招かれた高僧です。
〝下野薬師寺別院〟に関してはいろいろ論争があったらしく、
お話し合いの結果、
安国寺(現下野薬師寺)は戒壇、
龍興寺は鑑真墓所(供養墓)、
という事にまとまっているそうです 🤔
下野薬師寺のことはまた後日触れるとして、
ここでは道鏡について。
道鏡は河内出身の僧侶で、
中国伝来の密教宿曜秘法を用いて孝謙上皇(第46代孝謙天皇のちの第48代称徳天皇)の病を平癒したとして一気にお気に入りとなり、
重祚で再び皇位に就いた天皇は道鏡に太政大臣禅師、
加えて法王の称号を与えてしまうのです。
道鏡の事どんだけ愛しとん!!
そして神護景雲3年(769)、
太宰の長官をしていた道鏡の弟が宇佐八幡宮の神託として「道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる」と天皇にウソの奏上をする事件が起きました。
和気清麻呂はこれを確かめるべく宇佐八幡宮に勅使として出向き『皇位継承者は帝の血族じゃないとダメ!道鏡を追放するべし!』との神託を持ち帰り、
称徳天皇が『道鏡に皇位を継がせる事はない』と詔を発したことで騒ぎは収束を迎えたのでした。
称徳天皇崩御で失脚した道鏡は配流された下野国で薬師寺別当に任じられ、
2年後に入定し現在の龍興寺に葬られた、
というわけです。
道鏡塚はシラカシの木の横にありました。
さまざまな供養塔が並んでいます。
その供養塔のウラに道鏡が埋葬されている直径およそ38mの円墳があるみたいです🤔
木がモサモサ茂っててよくわからん。
では御朱印をいただきに講堂へ。
「お参りは初めてということで、こちらをご用意しましたので、次は違うの差し上げますね◡̈」
‥といただいた御朱印を見てビックリ Ꙭ
このテの御朱印をいただいたのは初めて〻〻
次こそは普通の御朱印をいただきたいです‥ 🌚
御朱印と一緒にいただいた肌身守りを持って道鏡塚の前にある一字近輪塔へ。
ここで梵字をなぞり呪文を唱える!
これで道鏡の霊力が込もる御守りになるそうな?
わたしはこういうのやると速攻で願いが叶ってしまう。
御守りは早くも翌日に役目を果たしこのようなお姿になってしまいました‥<(_ _)>
身代わりになってくれてありがとう。
おかげで今は穏やかな日々を過ごしています。
ありがたくお焚き上げします〜
ところで御朱印なのかな、コレ。
こーゆう写真よく見るw
こーゆう写真よく見るw
ただのイラストにしか見えず帳面に貼るまでかなり時間かかりました。
■舎那殿壇 龍興寺
栃木県下野市薬師寺1416