ハニーちゃんがゆく!

ハニーちゃんがゆく!

ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

ブログ内容に関係ないコメントは消去します。
何かあればTwitterのDMまで。
令和6年3月16日参拝
坂東観音をまわってる方から「出流観音の奥之院行ったのー?」って聞かれて、そういえばずっと愛知県に行ってて全然忘れてたよね手
わたしも坂東に連れてってくださいな!ってなわけで、4年ぶりの出流観音です。



坂東のお寺って豪華よね〜。

次いつ来れるかわからないからたくさん写真撮ったけどコレが一番好き。



入山料300円を納めて奥之院へ行きます。



1.5kmのゆるい山道を20分くらいだったか、

案内図ほどややこしい参道ではないと感じたのはわたしが空間認識能力ゼロだからでしょうか!



山歩きって最初の30分だけがキツいのに、山に体が慣れてないとこで到着なのです (;´Д`)ヒィー



すんごいとこにあるけど‥w



近づいてみるとちゃんと石段があって安全に上まで上がることができます。



建物が薄っぺらいのはこの中が鍾乳洞だからなのですよ。



床下の柱部分は改修されてるね(安全確認)。



奥の棚に祀られるのは、

  ㊥十一面観音

  ㊨開山勝道上人

  ㊧三面六臂の大黒天

ここで帰っちゃダメよ〜🙏



賽銭箱の奥が鍾乳洞です〜。



なんだあれはっ (゜д゜)



十一面観音(うしろ姿)、開山勝道上人、三面六臂の大黒天‥って先ほどの御三方が自然につくられたという🙏




それだけじゃない、

四十八海の島々に白龍と黒滝 👀

「観音のお宝袋」ってちょっとわからなかったんですけどw



「子育て延命地蔵尊」はこれかな!?

感性を磨いたらいろいろ見えてきそう🤣



どーでもいいけど結構巨大だよ。



途中にナントカ霊窟(大日とか大師とか)があって、入っていいのか不安になるというか多分立ち入り禁止だと思うんだけど、そっちも仏さまの形した鍾乳石があるらしいんですよ。

帰りは小石でつるっと滑りながらも無事に下山いたしました〜。



御朱印は重ね㊞でいただきました。

重ね㊞で500円って坂東さん強気〜 (゜д゜)

(比べたらいけないけど秩父の重ねは200円です)


お参りのあとは名物出流そば。

盆ざる発祥の いづるや ではもちろん盆ざる(2〜3人前)を注文しました。

このほかにゆず巻き大根と季節の天ぷら盛りでお腹いっぱい‥*(๑¯◡¯๑)

きれいなおそば!


そういえば、「今日は法螺貝のお坊さんいますか」って聞いたら「大御堂(本堂)から聞こえてくる祈祷太鼓の方がそうですよ」と!!
歩きながら「この太鼓の方うまい」って話してたもんでお会いできなかったけどなんか嬉しかった。
いつかまた法螺貝を聞かせていただきたい✨


◾️出流山満願寺
栃木県栃木市出流町288

令和6年2月12日参拝

竹島入口交差点のWelcome竹島ゲートから仕切り直しです。

ここから竹島へ渡る橋までが徒歩10分てとこかな、結構遠いんよね。

休憩がてら永向寺で寄り道しといて正解。



突然ですが蒲郡市で見かけたマンホール。

図案は竹島と竹島橋。

ここです、ここ行きますよ〜グー


蒲郡市で見かけたマンホール 図案は竹島橋


8年前に行った竹島がすごくきれいだったの。

それからもヤボ用で蒲郡を通ることあったけど時間なくてなかなか寄れないからさー。



竹島橋の手前に遥拝所がありまして、

ここに立ったとき、向こう側に観光客の団体が見えてしまったんだよね。

(静かな竹島を期待してたのに!)



同時に美しい海と竹島が見えた。



混んでるのはイヤだけどやっぱ行こっかーって気合い入れた(`Д`)



歩いて島に行けるってのがいいよね。

長さは江の島大橋と同じくらいだけどあっちは車道もあるでしょ。



風が強くてポケットに避難させてたiPhoneを鳥居の手前で出してみたけどやっぱり持っていられないー。

鳥居を抜けると風はぴたっと治ります。



期待していた椿のアーチは見れなくて、落ち椿も傷みきってるのでとっくに時期は過ぎてるのでしょう。

石段を横切る枝が切られてたのはちょっと残念だけど、最近は倒木・落枝の事故が多いからね。



手前が大黒さん、先に宇賀さま。



こちらが八百富神社です。

養和元年(1181)三河守藤原俊成(藤原道長の玄孫)が竹谷・蒲形両庄(現在の蒲郡)の開拓にあたり、近江竹生島から弁財天を勧請しました。

藤原俊成は開拓の神として摂社千歳神社に祀られています。

たしかに境内の雰囲気が竹生島弁天ぽい!


八百富神社の御朱印です(๑´▽`๑)

うれしい直書きです!✨



そうそう、わたしは龍神岬に行きたいのです。

景色をひとりじめしたいから拝殿の脇をぞろぞろ歩いてる人たちとは距離を置いて海辺へ向かいました。



まじ?

あの日と同じ景色で感動なんですけど!

岩場に座って風に吹かれたら疲れが取れてすっきりしたような気がしました。



外周を歩ける遊歩道へは行かず拝殿の方向に引き返します。

疲れが取れたのに疲れたくない。



ちらっと見える海がきれい。



横枝がなくなったから見晴らし良くなって鳥居が橋を跨いでるのがよく見えます。



島から出る前にiPhoneしまわなきゃ。

モバイルSuicaに帰りの新幹線チケットでしょ、航空会社のアプリに4月に乗る航空チケットがあるし!

QUICPayとPayPayがないと現金なんて持ち歩いてないんだから。



鳥居の向こうはすげー風だけどここで鳥居の写真撮っておきたい🤳〻〻



蒲郡駅あっちの方でしょうか〜。



そんなわけで無事に橋を渡りました。

さらば竹島パー



多分そのうちまた来るんじゃないかな、

そんな気がする。



最後に蒲郡市で見かけたもう一つのマンホール。

図案は市の花ツツジと海の風景。

マリンメディアポリスなんのこっちゃ。




◆八百富神社(竹島弁財天)

愛知県蒲郡市竹島町3-15

令和6年2月12日参拝

宿の送迎バス(蒲郡駅ゆき)で西尾を出てしまったので、残りの観光は蒲郡になりました。

JR蒲郡駅の南口から徒歩15分、

〝竹島入口〟に永向寺がありました。



立ち寄る予定はなかったのに信号待ちでチラ見した掲示板がぐっさり刺さったバイキンくん

初めて見た言葉ではないですよ、当然。

素晴らしい一日の始まりにお参りしよう✧\\ ٩( 'ω' )و //✧



永向寺は浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来です。

創建年代など詳らかではない、とのことですが、歴史に応じて支配者がめまぐるしく変わってきた三河のお寺だから細かいことはどうでもいいっ。

とは言えすぐ近くの不相城址とか竹島は無関係ではないんじゃないかと思ってしまう。

不相城は鵜殿氏の分家筋の支城で、本城の上ノ郷城とともにはじめは今川に支えたけど松平元康なんちゃら〜で廃城しています。



本堂の前に三十三観音の半分。

観音堂の前にも三十三観音の半分。



三十三観音は手前から1・3・5・7・9...、

元は両側向かい合わせに置かれてたのですね。

すてき。



大好き27・29・31ゾーン。



9・11・13

この辺は着色されてるんです。

13番石山寺だけ光背が岩みたいなのオシャレ。



観音堂の本尊は青銅製の聖観音で、正月8日が御開帳なんだって。
その秘仏聖観音を中心とした百体観音は三河三十三観音の15番さんです。



そのお向かいに十王堂なのか地蔵堂なのか、まあどちらでもいいんだけど。
下り藤紋があるのは未開の蒲郡地区を開拓した藤原俊成と関係ある?



中央のお地蔵さまのスラっとしてるようで丸っこいフォルムがたまらなく好き。



隅っこに弘法大師が!

改宗前は真言宗だったとか廃れた八十八ヶ所巡礼があったみたいな話があったりして(あくまでも妄想)。



写真の順番的に、御朱印をいただいてから 本堂よろしいですか〜 のパターンだったと思うんだけど、



この愛染さんすごいんだよ‥。

制作年代は作風から鎌倉〜南北朝時代とみられていて、男山に祀られてたのが神仏分離で京都誓願寺に移って昭和6年から永向寺にいらっしゃったというね。


石清水八幡宮旧蔵の愛染明王像


梅の花も愛に染まってるような気がしちゃう。



いただいた御朱印は百体観音でした。

六観音の梵字とお経の御朱印🙏

若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」




■青峰院南海山永向寺

愛知県蒲郡市丸山町6-19

令和6年2月11日鳥羽神明社(2)から)

禊の見学で神社を3時間ほど離れたけど朝に確保した場所は撤去されてなかったε-(´∀`*)ホッ 

ただし隙間にカメラ持ちが入ってきてやな感じ。

三脚禁止なのに脚立に跨いでた迷惑バカが「ここはネコ(奉仕者)がたまるから撮れないかも」って木陰に移動してたけど延焼防止の水撒きでカメラ無事だったのかしら!


16:57 点火まであと3時間。

この空間にいれることが幸せすぎていつまでも待ってられる‥♡ なんてこの時は思ってた。



17:40  だいぶ陽が落ちてきました。

ちょっと冷えてきたかも〻〻



17:50  ねぇ、寒い‥ 2月の夜祭りナメてた‥。

家出るときインナーダウン着るか悩んだ結果、晴れるから暑いと思って玄関に置いてきたの‥。

持ってるホッカイロ全部貼ったけど効かない。

震え止まらん 助けて‥:;(∩´﹏`∩);:



18:54 辺りはすっかり真っ暗です。

人が増えて慌ただしい雰囲気‥。

本番を前に梯子の調整でしょうか、大きな松明によじ登るなんて勇敢な祭‥、いやいや、普通にクレイジー!スター



そんな時‥焚き火が始まった(´;ω;`)ブワッ

わたしもあたっていいですか‥🙌



焚き火の癒やし効果ヤバすぎた。

心と身体が温まって揺らぐ炎に優しさを感じる‥なにこの安らぎは‥( ˘ω˘ )

そして火祭り奉仕者の皆さん焚き火が上手。



19:45  そろそろです‥。



花道に突然ワーッと人が増えてきた。

自分の前に人が入り込むなんて予測してなかったし押されるから倒れそうで椅子を畳む人、倒される人、静かで混乱してる様子に見えない地獄⚡️

前から3列目に椅子置いたのにこの状況w

⚠️有料桟敷席の復活お願いします‥。



火打石の音が響き渡り、ついに点火🔥!



火種はすぐに広がり、さっきまで冷え切ってた境内が一気に暖かくなった!



炎をゆすってるのは中にある神木を取り出したいのです。

揺さぶりながら藁をむしってる‥〻〻



見物人も油断してられないのよ手

見えない角度からA4サイズの火の粉がハラハラ〜って飛んでくるんだから。



入れ替わり立ち替わり炎に向かっていくネコさんたちかっこいいぃ‥🔥



あ、ほっかむりの形が猫みたいだからネコって呼ぶそうなんです。



すずみ(松明)が激しく燃えてたのは15〜20分間ほどでした。



ワーっとすごい拍手が起こってネコさん(神男?)が抱き合う感動シーンもあったりして。



祭の終わるタイミングがわからないし、突っ立ってると危ないので人の流れとともにわたしも移動しました。
そういえば福地と乾地の勝敗はどちらに‥🤔
炎で脳みそがギラギラしちゃってもはやそんなことどうでもよくなってましたけど。



梯子が真っ黒!(゜д゜)




みんな縁起物として持ち帰れそうな燃えかすを探しているようです👀

靴が燃えたらヤバイのでわたしは下から見物。

煙の中に立って大丈夫なのかなぁ、

危ない気がするなぁ。



その燃え残りの竹で作られた箸をお料理の菜箸に使っています。

社務所で買ったのー。

大きなフライパン使うとき長さがちょうどいい。



まだまだおさまらない煙を神社の外から見てたら救急車が来たけど!!!



このあとは街灯のない暗闇を50分かけて宿まで歩きました (`Д`)

到着した時はボロボロで、フロントの方に鳥羽の火祭りから歩いてきたって話したらめちゃくちゃ驚いてた。

すんげーレトロなお部屋で寝る前はナニコレだったけど、たまたま見れた朝焼けのきれいなこと!



幡豆神社(吉良町宮崎)の近くだったんだよね。

また泊まりにきたいけど暗やみ徒歩50分はきちー😢

朝は蒲郡駅まで送迎バスがありました。



◆鳥羽神明社

愛知県西尾市鳥羽町西迫8

令和6年2月11日 (鳥羽神明社(1)から)

禊会場がどこなのか氏子さんに聞いたら「駅の向こうだよ〜」ってざっくりすぎんですか😆
光の速さで迷子になるから見てて🤘
まあとりあえず駅の向こうまで行ってみるね。
さもい


13:15神社を出発しました。

海の禊は15:00頃ですが、あらゆるトラブル(主に迷子)を予測してかなり早めの出発バイバイ
つっても朝から動いて疲れてるからとりあえず喫茶店に入ろうとしたらどこも営業してません!
祭ガイド掲載店がやってないってどゆこと!
この日は三河鳥羽駅の物産展で買い込んだ天むす・赤飯・手づくりういろうなどで食いつなぐことになります(;へ;)



稲荷より数あるんじゃないかという秋葉さん。
そこかしこにあります。



とりあえず海まで来たけど禊会場ってどこだ。

惜しいとこにいるとは思うの。

@幡豆魚市場らへん


なんか潮干狩りできそうなとこでしょう、

ここは〝西はず鳥羽海岸潮干狩り場〟です。



時間がくるまで防波堤に腰かけようとしたとこで‥!!!!!



|д゚) 視力1.5、見えます。

神社で場所取りしてた人が砂浜にいる。

きっとあそこが会場✨

行ってみよう!



ここか‥!

斎竹が建ってる、間違いない。



15:00 潮が満ちてきた。

沖の方に船がいたりして、ぼーっとしてる間に準備が進んでいたようです( ˘ω˘ )



ワッショイ ワッショイ‥

奉仕者たちキター。



神男を先頭にしっかり肩組む若者の姿、これだけで泣けてくるのでわたしも長くないなぁ。



いってらっしゃーい。



「首まで浸かるのよ〜」
何も知らずに来てるから通りすがりにちょいちょい情報くれる人がいて助かります(゜д゜)



見てる方は風除ける服装さえしてればお日さまがあったかいもんで、2月の海の厳しさは全くわかりません。



なにやらワーワー気合い入れた皆さんが海に入っていかれたのは15:20ってとこだと思います。



大きな焚き火が男たちの帰りを待っています。



15分程で戻ってきた。

沖の方で何かやってたみたいだけど見えなかったなぁ。

海水からあがると一気に冷えるよね‥。

早く焚き火にあたってー。



皆さん頑張って‥
焚き火が待ってますよ〜。



しばらく大騒ぎでした。

乾いたらかゆそう。



さらしが乾いたらみんな神社へ走っていくんだって。

先に神社へ戻ってお迎えしなきゃ。
急げー💨



次に来る時は望遠レンズカメラが必要ね。


早め行動した割にちゃんと迷いました。

なぜかファミマ西幡豆上大坪店でホッカイロを買って、どこからか聞こえるワッショイワッショイの声を聞きながら悲しくなった😢

方向音痴って治療できないんだろうか!
 
サムネイル


16:10 神社に着いたらすでに奉仕者さんいた。

すずみ(松明)の点火は20:00予定。



つづく


◆鳥羽神明社

愛知県西尾市鳥羽町西迫8

令和6年2月11日参拝

鳥羽の火祭りを知ったのは一昨年の夏。

大提灯まつりで行った西尾市一色学びの館資料館の片隅にミニチュア松明とポスターが貼られた程度の展示コーナーがあったんですワ。



そん時は(いつか行きたい)程度だったけど、年明けて日程調べたら2月と知ってあまり悩むこともなく予定入れちゃいました。

出発はいつもよりゆっくりめ〜(夜の祭りでも早朝から出かける)。

@品川駅から乗っているという恐怖w


この日の富士山、最高だった!🙌

のぞみから富士山が見えたかどうかで旅の1/3は決まると思ってる☆



三河鳥羽駅到着は8:32でしたOK

さっそく火祭りの看板!👀

松明にしがみつくってどーゆう状況なのって感じなんだけど、西(福地)と東(乾地)に分かれた氏子たちがすずみ(松明)の中から神木と十二縄を取り出す早さを競いその年を占う神事なんだって。



祭奉仕者たちが海で禊をするのにまとまって移動する時間帯がありますが特別な交通規制はなくて、

『祭会場へは公共交通機関で来てください!』が基本でしょうが当日はあっちもこっちも臨時駐車場となるのでマイカーでもまあまあ大丈夫のようです。



ここで神社の放送が聞こえてきた。

境内に向けて「三脚だめですよ〜」とかいった内容の注意喚起でした。

もう観客がいるってことは早すぎる到着でもないようです ε-(´∀`*)ホッ

おや、幟が立ってる?



道端の秋葉さんで火祭りの無事を祈願するお祭りがあったんじゃないかと思ってます(未確認)。
町内諸祭のスケジュールまで把握するのは難しいけどできるだけ見たい!という気持ちはある。



少し歩くとまた秋葉さんの幟が。

こんな感じで秋葉社が点々点々とあるのって東海ならではじゃない?



思いっきり寄り道しながら鳥羽神明社に到着したのは9:30頃だったと思います。

一応、最寄り駅から徒歩10分なんですけどネ。



神男は専用の駐車場まで用意されるんですね!



幟は古くなると祭奉仕者の装束になるそうで、反物っていうから幟一本で一着よね。

もしや秋葉さんのも使われるのかもね〜。



天下の奇祭が開催されるのにとても静か。

まだ準備できてないんじゃない?( ˙◡・)



‥んなわけなかった。

こんな大きな松明を見たことないよ。

平年と比較はできないけど閏年は特に大きな松明になると聞きました。

令和6年は閏年でした ✧\\ ٩( 'ω' )و //✧



参道左側はいつもなら桟敷席(有料)となるエリアで、すでに20人程が場所取りされてました。

まだ自粛期間だったのか(?)今年は桟敷席の販売が無くて、観光協会に問い合わせても「(観客席ある無しも含めて)当日行ってみないとわからない」ということでしたが一か八か来てみて正解でした‥。



鳥羽神明社の御祭神は天照大御神です。

創建は第51代平城天皇の大同年間(806-810)と伝えられています。

貞観年間(859-877)阿保親王(平城帝皇子)の五男にあたる在原業平の三河路下向に同行した身重の女性が神明社に仕える社家へ身を寄せて出産、嗣子として養育して職を継がせたそうです。

さらに案内板によると、草笹を集めて篝火を焚く(=鳥羽の火祭り)は国内神名帳に記載される〝従五位上 草佐天神〟の神号と関連するのではないかと考えられています。



拝殿の西側に稲荷。



幟によると宇子花稲荷大明神🙏



神明社の本殿西側。

  西社⑴ 熱田社

  西社⑵ 春日社

  西社⑶ 白山社 金比羅社



神明社の本殿東側。

  東社⑴ 秋葉社 古濱社 八幡社

  東社⑵ 津島社 砥鹿社

  東社⑶ 熊野社 御鍬社



神男が参籠で使った桶だと思います。

真冬に水かぶるのきちーw



木が置いてあったのね。



祭直前に奉仕者が纏のように持ってた‥までは知ってるんだけど、祭が始まると観客に押されて立ってるのがやっとだったので結局なにかわからないのです(´;ω;`)ブワッ



御幣が4体。



すずみを見つめてた方は若い頃に神男を務めたことがあって昔のことを思い起こしてる‥ホントのとこ分かりませんけどね、そういうことにしておきたいですw



|д゚) 子ども神輿の宮入りです。



あたしゃ祭のあとのお下がりとか参加賞ってのは袋にまとめたものを均等に配布される地域で育ってるので、こういった餅まきというのは初めて見た。

袋一枚渡されて自分でお菓子を取りに行く。

こんな子たちが大人になって都会に出てきたらわたしたち勝てるわけないよ‥。

みんな将来は立派になって西尾に貢献するのだよ☆


意外に海が近いんだね。

歩いて移動だから不安だったけど希望が湧いた。

火祭りの前に禊ぎの儀式があるのであとで行ってみますよ٩(๑′∀ ‵๑)۶•*¨*•.¸¸♪



なんか西尾の大提灯まつりみたい。

これがだんだんあの大きさになってしまったのなら幕府が「ちょっと待ってデカすぎん?」ってなるかも。



せっかく早くから来てるので場所取りする。

  ※場所取りは朝7時からOK

祭は夜だから前に人がいても気にならないと考えて、とにかく入場シーンを見るため通路側を押さえました(桟敷席の方ではないです)。



御朱印は書置きで。

いただいときながら内心(御朱印あるんかい!)と驚きました。



早めに禊会場へ向かいます。

食事したいし寄り道もあると思うし(土地勘ないのでどーせ迷子になるしw)。



つづく(刻んでいきます!)



◆鳥羽神明社

愛知県西尾市鳥羽町西迫8

令和6年6月30日参拝

東大島神社から徒歩15分でした。

近くにいるならこちらの茅の輪もくぐらなきゃもったいないのでハシゴしました。



前回は平成30年6月だった。

そんなに久しぶりな気がしないけど〝夏詣〟というもの自体を忘れてたのでそうなのかも。

派手な御朱印が激化してからソレ系は行ってない。



亀戸浅間神社の茅の輪は関東最大級!
高さ365cm、太さ30cm、外周12m、
使用されている茅の量はなんと4tです。



大きさがピンとこない?



比較対象として身長163cmのわたしが通りまーす。

デカッ。



亀戸浅間神社の辺りは高貝洲(こうがいす)と呼ばれていて、日本武尊の東征で走水の暴風雨を鎮めるために入水した弟橘姫の身の回り品で笄という髪飾りが流れ着いた場所と伝えられています。
神社の裏手に笄塚があります。



創建は大永7年(1527)富士信仰が盛んになった室町時代に笄塚に祠を建てて木花咲耶比売命の御分霊が勧請されました。



わたしが初めて笄塚に来た時は草ぼーぼーの中に富士講碑が建つ山だったのですが、

平成25年(2013)12月になって富士山世界遺産登録を記念して御本殿跡地を整備して「亀戸の富士塚~御本殿跡地~」の碑が建立されました。

おまいりしやすくなりました!


さてさて、普段は富士講の紋「山に不二」がかっこいい御朱印ですが、夏詣期間は特別なものが頒布されます。

夏越大祓と七夕で2種類の見本が並んでいるうちの夏越大祓を選びましたが紙が2枚とは?

(1枚でいいのにな〜)なんて思いながらいただいて帰って袋から出したらその2枚が糊付けされて一体となっていました。

*動画です


場所取らないし大きな紙よりよっぽどいいです✨

薄紙を使った二枚仕立ての御朱印といえば、

阿佐谷神明宮でいただいて気に入ってた観月祭の御朱印を思い出しました。



◆亀戸浅間神社

東京都江東区亀戸9-15-7

令和6年6月30日参拝

都営新宿線 東大島から徒歩10分でした。

上半期もこの日で終わり、残り半年も何となくふわっと生きていけるように夏越大祓は神社に行こう。



お目当ては茅の輪くぐり。



見て!三連なの。



ただまたいで通り抜けただけですがこれで作法は合ってるでしょうか、どこかひとつだけ八の字するとかあるー?



出口から見た三連。

ぐるぐるかわいいじゃん。



こんな角度からも。

めずらしいから写真撮りまくってうざいよね。



横から‥、あ!

棒で支えてるから八の字はナシですね、

確信しました✨



そんな輪くぐりしててお詣りするの忘れそうでした。
御祭神は天照皇大神牛島大神稲荷大神
戦災で焼失してしまった鎮守さん五社が戦後になって合祀されたという神社です。



サムネイル
 

そういえば川沿いに牛島神社(南本所)の石碑があったっけ。屋敷稲荷に牛嶋神社(向島)の分霊を併せてたのが戦禍で‥とかなんとか。



石ものコーナー。

天明7年(1787)の庚申塔に、小名木神社にあったという豊栄社の石祠と六角石塔。

どれもいいものです。



大黒さんの福こづち。

三宝に名刺入れを置いてパワーアップ!

あんま言いたくないけどバッチリ御利益あったので御礼参りしないといけないんだな〜👌



神社用の御朱印帳を忘れて紙でいただきました。

御朱印代のお支払いはなんとPayPay✨



PayPay払いとても助かります✨



◆東大島神社

東京都江東区大島7-24-1


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

毎日大量に届くカタコトの迷惑メールイライラします。

昔はハガキできてたんですよね。

通販とか利用してたのでそういうとこから住所が漏れてるんだなーとは思ってはいました。

当時はむしろそれしかない。

初めての注文は電話なのでオペレーターの聞き間違いで住所が登録されちゃうこともありまして、

ヨコソーレインボータワーハイツが〝ヨコソ〟とか〝レインー〟とかなってたわけ。

同じ間違え方はないから業者別で判断しやすかったんだけど、驚いたのがある時期から〝レインー〟であやしいハガキが届くことが増えたの。

その住所で登録してるのは ディノス でした。

「(こういうわけで)住所が漏洩してるから調査してほしい」って連絡したけど、電話口の人は「うちは顧客リストを漏らすことはしていない」の一点張り。

‥ってゆーのは20年ぐらい前の話ですけど、ディノス使うのやめましたね。

今でも元気な企業のようで喜ばしい限りです。

令和6年4月27日参拝

今日から通常モード。

いろんなとこ行ってるから何から書いていいやら‥なんだがぼちぼち再開します。

この日はちょっとしたヤボ用で芝浦運河の辺りを歩いていたら、東京倉庫運輸さんとこに鳥居があるのを発見👀



宝塔みたいの見えますけど!?👀



金の仏像まで〜。

やだ、急いでるのに‥寄り道します。



案内板によると、

昭和7年(1932)東京倉庫運輸株式会社が進出した地に柘榴の木と小さな祠が建っていました。

縁起不明・管理者不在の稲荷ではありますが、これもご縁として法華経をお唱えして供養したところ参拝者が絶えず訪れるようになりました。

その後は竹芝橋の拡張に伴う倉庫の改修で稲荷を遷座した際に〝芝浦妙法稲荷〟と名付けられると、神じまいした稲荷から石ものを譲り受けるなど近隣との交流を深めて芝浦地区の氏神となりました。

釈尊が祀られるようになったのは昭和58年(1983)、

昭和62年(1987)にはネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートから仏舎利が贈られたということです(!)。



屋根の反りがかわいい祠。



上を見上げるとお釈迦さま!🙏

まさかの仏舎利塔だったとは。



ズーム!



さらにズーム!

え、やばいイケメンじゃない‥?

ウインクしてる‥(๑´▽`๑)



真下からだと全身が見えないので離れてみた。



道の反対側からもよく見えるもんですね。



旧海岸通りと芝浦運河通りの角っこにある稲荷なんだけど、海岸三丁目に住んでた頃は車でよく通ってたはずなのにド近眼だったせいか全然気づかなかった。

今のうちの近くにも小さなナントカ左衛門稲荷ってあったんだけど何年か前に芝大神宮の兼務稲荷に合祀されて、社地にはビルが建ってしまった。

そんな地域だから芝浦妙法稲荷の未来が心配。

東京倉庫運輸のHPを見たら会社のシンボルマークが蓮の花だったので無くなることはないですね。




◾️芝浦妙法稲荷神社

東京都港区芝浦1丁目13番地


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

今日の投稿はすべてピクセル携帯で撮影した写真を貼っています。

今年の初めだったか、ちょっと興味あってピクセル携帯を買ったのです。

ある方のブログの写真がとてもキレイなもんで、ちゃんとしたカメラ使ってるかと思ったらピクセル携帯だというからすぐマネして買っちゃったんだけど、

カメラ以外の操作性が合わなくてひと通りカスタムしてほったらかしなってます。

2台目の携帯とか持ったことないから出かけるのに持ってくの忘れちゃうんだよね。

最近見かけないけどどこにあるんだろう。

2023年12月16日参拝

87番さんで聞きました。

「88番まで歩いてどのくらいですか」

「3kmくらいだから‥30分てとこかなあ?」

よっしゃ、30分なら余裕で歩けそうね。

お坊さんはわたしを落胆させないようちょっと優しい言い方をしてくれたのかもしれません。

(`Д`)しっかり45分かかりましたw



さすがに30分すぎるとキツイってぇ‥。

歩きすぎで膝が痛い‥( ノД`)



『使っている鍬は光る』

たしかに!キラキラ

わたしの膝は光っているか。

たくさん歩いて磨かないといかんね。



深呼吸したらふんわり木の香りがした?

本堂は竣工して間もないのかもよ。



円通寺は曹洞宗の寺院で本尊は馬頭観音です。

開創は天平元年(729)62歳の行基菩薩が馬頭観音と准胝観音を彫刻し伽藍を建立、

平将門の乱、建武の兵乱などで焼失と再建を繰り返し、長い歴史の中で法相宗・真言宗・臨済宗・曹洞宗と改宗しながら法灯を継承されてこられました。



続いて弘法堂へ。



古そうな柱は平成30年(2018)の「知多四国霊場開創210年記念」のものでした。



初めての八十八ヶ所巡礼をやり切って今まで以上に根気強くなったのは確実。

何かしらの人生に大きく影響するはずと信じてます。



えぇ〜(`Д`)!

最後の最後なのにライトで空海さんのお姿が見えないなんて。

まぁここまでたくさん拝んできたのでね‥。

南無大師遍照金剛🙏



暗やみの中目を凝らすと「馬頭観音は本堂に遷座いたしました」って元はここが本堂だったのね。



知多四国の納経所を訪ねるのも最後となるとさみしさもあります。



記念印は本堂!👀

弘法大師御誕生1250年の記念事業として令和5年落慶を目指してこられたのではないでしょうか。

未確認ではありますがそういうことにしておきましょう。



結願証のようなものはあるのかお聞きしたら、

「希望される方には出している」とのことでいただくことにしました(強く希望)。

「お名前はご自分で書きます〜?」って言われたのは断固として拒みました。

自分で書いたらせっかくの結願証が台無しw



ところで、霊場会公認のガイド本に結願寺として名古屋の八事山興正寺が札所同様に紹介されてたんです。

一応、この次に行こうと考えてはいましたが、結願寺は興正寺だけなの?という疑問。

「興正寺は尾張高野といって名古屋の人になじみのある高野山のお寺です、岡崎なら桜井寺、〇〇なら〇〇寺とかあるので、ご自分で行きやすいお寺に行けばいいです。」

なるほどー、高野山に行けたらいいけど難しいから東京高輪の高野山東京別院に行こうっと(そういえば御府内八十八ヶ所ほったらかしだった🙇)。

ご教示ありがとうございました。




円通寺の近くにバス停がありまして、帰りのことを考えるともう歩きたくなくて震えてました。

そんなわたしを大府市ふれあいバス(右まわり)が6駅で共和駅まで連れてってくれました😢

※右まわりも左まわりもバス停が同じです!

名古屋駅に着いたら山本屋本店の煮込みうどんより先に百均へ向かいました。

結願証がデカいもんでA3がすっぽり収まるクリアファイルを買わないと無事に持ち帰れないもんね。



そんなわけで、発心から73日間、①2泊3日 ②1泊2日 ③1泊2日 ④1泊2日 と遠征4回の9日間で満願となりました🙏

東京から知多四国というのに驚かれたり笑われたりしましたが、割と通いやすかったのと知多半島の魅力を知ってから遠征が楽しみでしかなく、なんなら満願してからも知多半島に出没しています‥w



◾️瑞木山円通寺

愛知県大府市共和町小仏67番地


知多四国八十八ヶ所霊場