ハニーちゃんがゆく!

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ひたすら寝てる人 たまに遠くへ行く

ブログ内容に関係ないコメントは消去します。
何かあればTwitterのDMまで。

令和5年12月15日参拝

69番から歩いてたら御嶽山の道場がありまして、

常滑で御嶽信仰の寺社が結構あったのを思い出してチラッと入ってみたら大きな霊神碑が建ってました。



そこから鳥の観察してたので70番さんまで何分かかったか覚えてないんだな。

いつまでも田んぼ眺めてられるから困っちゃう。



地蔵寺の看板を曲がった突き当たりが津島神社。

「定・境内において神社の尊厳を冒す一切の行為を禁ずる(昭和52年)」

由緒板に結構厳しいこと書いてるじゃん。

でもこれすべての神社に掲げてほしいね。



その隣が地蔵寺でした。



冬桜がちょぼちょぼ咲いてたんですね。



弘法堂はどこでしょうか。

手前のお堂から覗いていきます。



|д゚) 大日さんと薬師さん!

作風は全く異なるけどどちらもいい仏像さん。



足が立ってる〜。

いろんなパターンあっておもろ。

(そんで弘法堂は本堂の右側だった)



すんごいでかい弘法大師だったような記憶よ。



奥は何があるのかしら〜。

工事中なの?どゆこと〜?

とりあえず行ってみる。



急いでないからたまたま気づいたけど通り過ぎるとこでした。



地蔵尊出現の井戸とは。



このお地蔵さまのことかな〜と思ったけどこちらはお寺本尊の地蔵菩薩のようです。

キンキラキンのお厨子にナム🙏



〝井戸からあがったお地蔵さん〟

辺りは結構なボリュームのお経が流れてて読んでも頭に入ってこなかったです。



あ、こちらが井戸からあがったお地蔵さま!

お水をかけさしていただきました🙏



外に出たらずらっと水子さん。

ぞわぞわするのは集合体として認識してしまうのか?



そんなわけで70番さんの御朱印です。




◾️70番 地蔵寺

愛知県知多市大草東屋敷43-1


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

結構いろんなとこ行ってるのにブログが進まなくて困った。すっ飛ばし気味で書いていくか。

令和5年12月15日参拝

名鉄常滑線の大野町駅ってとこで下車。

土地勘なくてここがどこだかよく分かってなかったのですが駅は常滑市なんですね。

今回は知多市と東海市を電車と歩きでうろうろします。



まずは大野町駅から歩く。

この辺りは市の境目が入り組んでいて、だいたい川の向こうが常滑です。

前に友達が「常滑の巡礼はえらい(大変)」と言ってたのは実はこの辺りだったんじゃないかと思う。



あれ大草城っていって信長の弟で有楽斎が築城してたのが途中で本能寺の変が起きて、未完の城な割に土塁とかしっかり残っててなかなかお勉強になるらしい。

※御城印は慈光寺でもらえます


さあ、到着しました。



お地蔵さまが身を寄せる入り口のすぐうしろは名鉄の線路。



駐車場が広〜い。



応永元年(1394)大野城主一色満範が菩提寺として創建したってことでお城っぽくしてるのでしょうか。



慈光寺は臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は聖観音菩薩です。



天神様と秋葉様の合殿か。

ありそうでなさそうな筆とロウソクw



本堂の前に陰石かと思って走り寄ったら願い石とは。

違うんかい、違うんかい。



手水使うことがほぼなくなりましたが。

手を洗うのが好きなのでお水は出るようにしておいていただけると助かります。



本尊の聖観音、お隣に子安観音🙏

ねぇ、やっぱり陰石なんじゃない???



わからないことは聞いた方がいいですね気づき

弘法大師さまを覗くありがた〜い穴でした🙏

なるほど左側に安置される弘法大師がよく見えた(まずはお堂の戸を開けてからだね)。



夫婦のように寄り添うシイノキは開山様と開基様お手植えのシイということです。

  開山 鎌倉円覚寺 清源大和尚

  開基 大野城主 一色満範公

さりげなく樹齢630年!



いただいた御朱印。

おおお、達筆ですね。

  本尊聖観世音 弘法大師 大草 慈光寺

分かってるから読めるけど!(゜д゜)




◾️慈光寺

愛知県知多市大草字西屋敷3

令和5年11月15日参拝

愛知たび2日目。

前日のうちに上横須賀駅から尾張横須賀駅へ移動してきたわけですが、宿泊は知多四国の札所に行きやすいとこに泊まろう〜程度の軽い気持ちだったもんで朝になって町並みを見てびっくり。

北町組山車(東海市指定有形民俗文化財)


大きな山車庫の近くに神社があったのでこれは寄ってみた方がいいよね。

雨上がりの朝8時半、静か〜な愛宕神社です。



横須賀まつり、愛宕神社の例祭だって。

黒×金のギラギラ感が尾張っぽくて(偏見?w)かっこいい山車じゃないですか(n´∀`n)



横須賀町は江戸初期の寛文6年(1666)、尾張藩2代藩主の徳川光友が臨江亭(横須賀御殿)という別荘を建てたことで素朴な漁村は城下町バリに商業・海運業が発展していったそうなんです。

光友さんの没後に別荘は取り壊されますが跡地に尾張藩の代官屋敷が建てられるなど行政の中心地として機能してきたエリアなのです。




愛宕神社の創建は徳川光友がやって来る少し前。

坂甚右衛門(奉公人)の妻が京都愛宕山の神霊により病気平癒したと聞きつけた坂三郎太夫正家(地元の大家)は婿の徳兵衛を京都へ向かわせ玉林寺南に分霊を請ける。

現在地へ移転したのは寛保3年(1743)のこと。

徳川光友もお詣りにみえたそうです。



そんですんごい立派な狛犬がいて、

阿形さんの顔がおもしろいね。



大正2年(1913)6月に奉納された狛犬です。

片仮名の「ヨコスカ町」がモダン。



拝殿の中をチラ見したらなんかすごい天井画。

てか、中で御祈祷の方が控えてるんですけど!



あわてて授与所へ行きました。

時間がないので直書きできないが、とそれでも日付けを入れていただけた御朱印がこちら。

こうして普段から祭の御朱印を頒布するのとっても大事ですね〜!



散策を再開。



天神さまがあって、



恵比寿社と英霊社。



金比羅社・誠柳社・稲荷社・津島社・秋葉社。



酒樽奉賛会の祭も月イチであるみたいなんです。



名残惜しいけど帰りましょ。

知多四国の徒歩巡礼があるのだよ( ´︵` )



境内の隅で見つけた貼り紙 👀

この時は名古屋場所で錣山部屋が滞在するんだな、と錣山親方(寺尾関)は元気かしら‥って思ったのよ、



その2日後に亡くなったというニュース‥。

寺尾さん大好きだったよ(;へ;)

部屋の方は豊真将関が錣山親方を継いだんだって。

立ち振る舞いの美しさを若い子に伝えて🙏



工事現場の仮囲いに横須賀まつりのパネル♡

よくある環境がなんちゃら〜みたいなつまんない電子看板よりよっぽど環境に優しくて最高です。

本町組山車(東海市指定有形民俗文化財)


興味を持った横須賀まつりは9月だそうで、そんなに待てないから7月は違う山車祭を見物に行くことにしました。



◆愛宕神社(尾張横須賀愛宕神社)

愛知県東海市横須賀町四ノ割23-1

話は前後します(`Д`)ノ

もしかしたら前に書いたかも‥(深刻な記憶喪失)。


令和5年11月20日参拝

華蔵寺①のあとお隣の花岳寺に行ったのです。

「東条吉良氏墓所」の文字にわくわくしながら(東条とは?)分かってなかったんですけど。



よく吉良さんは足利一門といいますが‥、

足利氏3代義氏の三男長氏が吉良荘を譲り受けて吉良氏を名乗るようになり、本流の西条吉良氏から東条吉良氏に養子入りしたのが義安で、東条城の落城後に天下を取った家康から吉良家は再興していいよーってことになったのが高家吉良家みたいです(ざっくり過ぎる)。



赤馬に乗った吉良さん像がここにも。

台座のプレートに尾崎士郎「吉良の男」から吉良さんを讃える一節が刻まれてるんだけど、像ごとにそれぞれ違う内容で量産とはいえ実は凝ってることを知った。



花岳寺は臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は薬師如来。

元は金星山という真言寺院でしたが貞和3年(1347)西尾実相寺より仏海禅師が入山して臨済宗に転じました。



薬師堂は金星山と称していた頃の奥の院で、

薬師・日・月・十二神将を安置してるそうです。

覗いたが暗くて何も見えず。



境内奥の階段を上れば東条吉良家の墓所‥と書かれた案内板のとおり奥に進むと!

きれいな宝篋印塔が並んでいました (゜д゜)

初代吉良義貴(尊義)と満義(父)、年代開いて7代持広の墓ということです🙏

(どーでもいいけどお名前がもろ足利氏すね )

松平清康(家康の祖父)が家臣に暗殺された時に子の広忠を保護したのが持広さんみたいよ✨



古墳をぶった斬ったような丘の白い柵の中にも宝篋印塔が見えたけど、夕暮れ時に無住のお寺にいるってだけで不審者なので遠目に見ただけ。



とはいえもっと散策したい‥。

そんな帰り道、参道の草むらに埋もれそうな看板がありました。

|д゚) これは!

  ▷花岳寺塔頭 霊源寺跡 

  ▷東条吉良氏の祖 吉良尊義公開基 



霊源寺の基壇なのかなぁ。

建物は跡形もないけどお墓が建っています。



向かって右から。

  松平右京亮義春公

  松平甚太郎家次公

はてはて、どちらの松平さんなのか‥(`Д`)

東条吉良氏と関連あるのか?



真ん中は戒名が刻まれたお墓でした。

  「空閑院殿厳誉豊月崇輝大居士」

‥ググった。

  >松平康親=松井忠次。松井忠直の子。

    詳しくは→ 西尾市岩瀬文庫

友達の顔色が変わる。

「大名や🙏なんでこんなとこに‥」



一番左は顕彰碑みたいなのです。

綺麗な字で細かく略歴が綴ってあります。

〝将撃大破之七月東照廟渉大井川‥〟

頑張れば全部読めそうだけど頑張れない😇



もうひとつ塔頭跡。

  ▷花岳寺塔頭 広国寺

  ▷東条吉良氏に関する寺伝不詳

なるほど✨



この日は金蓮寺に寄って東京へ帰りました。



令和5年12月14日再訪

毎歳忌法要の華蔵寺②のあとも花岳寺へ。

お隣だからわざわざ門まで行かなくても抜けられそう!と地元の人しか通らなそうな道から失礼しますw



黄色いじゅうたんを楽しめたのはこの日までだったかもしれません w(*゚o゚*)w



あとでお会いしたお寺の方が、掃こうと思ってるんだけど忙しくて‥とおっしゃってましたが、

掃かないでくださってありがとうございます。



前に来た時は気づかなかった本堂の布袋さん。

いい顔。



その後も塔頭跡に行ってみました。

あら、明るいから側面の刻銘がよく見える。

   「明治25年5月子爵松井康義建立」

ヒマだからググりました。

>旧武州川越藩主 子爵



廃藩置県を川越藩で迎えて貴族になった方がご先祖供養したのかな、と思いました。

  松平右京亮義春公(東条松平家の祖)

  松平甚太郎家次公(東条松平3代)



で、

友達の顔色を変えた松井忠次のお墓。

東条松平3代の伯父にあたり、城代として幼い家忠を補佐して武功を挙げた‥という方なんだって。



あきらめないハートが自慢のわたし、

吉良町を発つ前にもう一度花岳寺へ寄りました。



3度目にして住職とお会いできました( ;∀;)

「御朱印は御本尊で」とお願いして薬師如来でした。



兼業だから基本的に土日しかいなくて法務で外出が多くとてもお忙しいお坊さんなんだって。

この日は華蔵寺の毎歳忌法要に参列したあと講演会に行って‥と、一日わたしと同じスケジュールだったことを聞いて笑ってしまった。



東条松平氏のお墓については、管理してたお寺が移転することになって墓じまいするわけにもいかないから花岳寺に改葬したそうです。

ふーん、って聞いてたけど改めて歴史を見ると、東条城を巡って吉良氏と争った人たちのお墓を受け入れたことになるんですよね。



◾️花岳寺

愛知県西尾市吉良町岡山山王山67


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

徒歩で吉良町を観光するの大変‥(´;ω;`)ブワッ

バスないんですか‥。


上横須賀駅→(徒歩5分)→春日神社→(徒歩30分)→華蔵寺→(徒歩5分)→花岳寺→(徒歩30分)→ふれあいセンター→(徒歩20分)→東角園→(徒歩10分)→吉良仁吉墓所→(徒歩40分)→華蔵寺→(徒歩5分)→花岳寺→(徒歩35分)→上横須賀駅→(電車90分)→尾張横須賀駅


そして上横須賀駅から90分かけて電車移動したこの日の宿の最寄り駅が尾張横須賀駅って、もう何がなんだか。

令和5年12月14日

14:50 再びの華蔵寺。

毎歳忌法要で混雑してたのは夢だったのか!ってくらい誰もいないよ〜。

令和5年の毎歳忌は平日木曜にもかかわらず300人以上の参列者がつめかけたそうです。



ところで確認していただいてるもうひとつの御開帳、経蔵の白衣観音さまはどうなったのかしら。

ほら!〝毎年12月14日に公開します〟って、

そのために戻ってきたのよ。



お姉さまに聞いたら「ごめんねぇ、今年はやらないんだって。あ、もう一回吉良さん見とく?」ということで、じっくり吉良さんの木像と向き合ってきました🙏
(そんなこともあるさね)



「閉めちゃうよ〜」の瞬間まで。

さよなら〜🙏



みんなの吉良さんと最後の最後まで一緒でした✨

またいつかお会いしたいものですバイバイ



続いておじゃまします🙏



玄関から‥中庭を抜けて‥

方丈はめいっぱい展示物が並んでました。



 |ω' ) ついに庭園へ!



(n´∀`n)小堀遠州ですっ。

そんで結構広いんだよね、すぐに写真はあきらめ縁側に座って静かな時間をいただきました。

風で木がわさわさ揺れてるけどしずかなお庭。



帰りに饗庭塩をいただきました!

わ♡ ほしかったのです。

「にがりを飛ばしてから使ってね」

実はもったいなくてまだ使ってないのです。



やっぱり経堂の白衣観音さまを拝みたいなぁ。

「このお堂を仰ぎ見る結縁の人々みんな速やかに極楽浄土へ」という吉良さんのやさしさをわたしにも分けていただきたいです✨



最後に鐘の音動画でも貼っとくか‥と思ったら、マイクで「‥経蔵におまつりする白衣観音さまもぜひお参りください」ってハッキリ言ってる!ヽ(;´Д`)ノ 

いつか‥、いつか必ずね!



◾️華蔵寺

愛知県西尾市吉良町岡山山王山59


ーーーーーー✂︎ーーーーーー

・どーでもいいはなし
歩いてたら偶然にも東角園の前を通りがかりまして。
華蔵寺の駐車場から野立て看板を見てたので迷わず入りましたよ。
銘菓「吉良の赤馬」を買うことができました(箱ぎっしり)。



最中の原版なる型が展示されてたりして、やっぱ本店でお買い物すると違うわぁ。



令和5年12月14日参拝

歩く気になれたのは穏やかな冬晴れのおかげか。

華蔵寺から30分歩いて横須賀ふれあいセンターで講演会見て、華蔵寺にまた戻るつもりではいるけど、せっかく駅の近くまで来たのにただ戻るのイヤじゃん☹️



そんでGoogleマップを見たら吉良三人衆(吉良町ゆかりの3人)のひとり、吉良の仁吉の墓がまあまあ近いと分かりました。

到着した頃は足引きずってましたワ。



吉良史跡保存会だって。

吉良史跡保存会と吉良史跡保存会ってのもあるけどそれぞれ違う団体なのでしょうか‥。



源徳寺は浄土真宗大谷派の寺院です。

源徳寺9世了純に深く帰依した吉良若狭守義冬(義央の父)が山門と鐘楼堂を建立し、吉良家の岡山陣屋を移築して庫裏を寄進するなどしましたが昭和20年の三河地震で倒壊してしまったそうです。



この顔出しパネルはやりたかった‥(;ω;)

ひとり旅のつらいところよ。



かなり見応えのある墓じまいコーナーがあって、



その横が仁吉の一周忌に清水次郎長が建立したと伝えられる大きな墓でした。



吉良仁吉とはひと言で言えば清水次郎長の舎弟なんですけど、それだけじゃ墓は建ちません。

飛び入り相撲で大関を投げ飛ばし興行主から命を狙われた仁吉はその腕っぷしを買われ近隣の寺津間之助に匿われてやくざの道へ足を踏み入れることになります。

その後、間之助の兄貴分である清水次郎長に預けられ部屋住みをして数年後に地元で吉良一家を興します。

同じく次郎長傘下で兄弟分の神戸長吉が穴太徳次郎に縄張りを奪われ抗争に発展した際に、仁吉は長吉の頼みに応じて子分らと共に戦い穴太徳に大勝するが28歳の若さで命を落とした、

これが幕末の博徒史における最後の大事件といわれる「荒神山の喧嘩」です(ざっくり)。

 

江戸時代に賭場の開帳は違法だが、荒神山観音寺では例祭にあたる4月6日前後の6日間のみ「神事」として盛大な賭博が開かれていて大事なシノギだったわけです。



見逃してしまいそうな小さな墓石は、仁吉の跡目を継いだ吉良一家二代目吉良勘蔵と三代目米津兵太郎、そして次郎長一家28人衆の鳥羽一家二代目子安伝四郎の墓だそうです✨



手ぶらでも安心のお参りセットあります。

お線香10円、勝々石100円。



勝々石(必勝かち勝石)とは仁吉の墓石のカケラが入ってるんだと思います。

ギャンブル仲間にぴったりのお土産ではないか。




義理と人情を貫いた仁吉の生き様に感動。

競輪でドカンと当てたい気持ちもありますが人生ギャンブルですから、多方面に幅広〜くお守りいただけるよう、なもあみだ🙏

本堂の一部が仁吉ギャラリーになってるという立て札があったのでさっそく本堂へ。



貴闘力関の手形♡

引退後の写真もあるし、お寺とお付き合いがあるのかしら。



五木ひろし‥?

墓前祭でもあるのでしょうね。



源徳寺といえばこの人形☆

老人ホームの皆さま手づくりだったのね。



こちらはホンモノの遺品?



次郎長一家 荒神山の喧嘩手打ち式‥!?

ほんとなの?(゚Д゚≡゚д゚)

集合写真が残ってるとかすごくないw



こちらも興味深い番付です☆

吉良仁吉の名前を前頭に発見 👀

自分のルーツが分からないなんて人も、割とこの番付表で簡単に判明したりして〜🤣



表に『義理と人情 吉良町』と彫られてた御影石。

裏側には‥

これほど わが吉良荘にぴったりの言葉はない

任侠太田仁吉の墓前にその真を捧げる

昭和55年4月8日 吉良町長 〇〇〇〇

(゜д゜)公費で建立とは景気いいね!



たっぷりと見学した後に御朱印をいただきました。

三州吉良 吉良仁吉墓所、真宗のお寺でいただく観光御朱印てすごく好きです。



お寺の隣がいい感じの喫茶店でやっと食事できた。

ゆっくりしたらまた出発です (*´Д`)y-~~~ウマー!




◾️源徳寺

愛知県西尾市吉良町上横須賀寒破池127

ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

東京に帰ってからお土産の酒蒸しまんじゅう食べようとしたら三度笠に仁吉の焼き印があるじゃない!

仁吉の人柄をイメージさせるようなふんわり優しい酒の香りとさっぱりしたこしあん。

御菓子所東角園:仁吉ほろ酔い饅頭 ★★★★★



関連:華蔵寺① 高家吉良家墓所


令和5年12月14日参拝

上横須賀駅(名鉄西尾線)からひたすらまっすぐ30分、華蔵寺を目指します‥😇

歩いてても意外に退屈しなかったんです。

歩道のタイルに吉良三人衆(吉良ゆかりの3人)を表すイラストが描かれていました。

ペンは作家の尾崎士郎、三度笠は清水次郎長の兄弟分で吉良一家の親分吉良の仁吉、そして赤馬が吉良上野介義央(よしひさ)公です。



普段は江戸の藩邸で暮らしていた吉良上野介義央公(以下、「吉良さん」 )は、領地の吉良を訪れると農馬にまたがり領民を激励してまわったそうですわ。

声かけ大事ね気づき



昭和の耕地整理に伴う調査で領内の土木技術が高く評価されたことで「吉良さんはすごい!」ってことになって吉良公史跡保存会が発足したそうです。

『忠臣蔵』で描かれた役と違い、善政の名君と語り継がれている吉良さんです✨



正面に見える丘は古墳らしいんですよ手

あの丘の麓に目的地の華蔵寺があります。

遠いな〜。



再びやってきた華蔵寺!( ゚∀゚)o彡゚

到着はちょっと早めの7:55。

法要の前にゆっくり散策できるじゃん。



軽くおじぎしながら受付を通り過ぎようとしたら見知らぬ顔とすぐばれたので「あ、東京から来ました」なんて言いながら、



すると「保存会の会長さんですよ〜」となって歩きながら吉良さんのいい話をお聞かせいただきました。

第321回 吉良公毎歳忌


「吉良さんは地元では名君‥(中略)芝居はおもしろくやらないかんで、おかげさんで名が残っている、こりゃ余計なこと言いました///// 」と笑いながら去っていかれました。

お話上手だし去り方がプロ!



青空に吹き流しが映えてます✨



華蔵寺は臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は釈迦牟尼仏。

慶長5年(1600)吉良上野介義央の曽祖父にあたる義定が父義安の菩提を弔うため創建しました。

家督を相続した吉良さんは京都妙心寺から天英和尚を招き伽藍造営・枯山水庭園を築くなど、寺の整備に務めたといわれています。



御影堂は吉良さんの命日にあたる12月14日の毎歳忌に御開帳ということで、11月に来た時は閉まってたけど扉がばっちり開いてます 👀



13代義安、14代義定と並び17代義央(吉良さん)は一番左にいらっしゃいます。



制作の段階からイメージをリクエストして出来栄えをとても気に入って吉良さんが自ら筆を取り彩色したと伝えられています🙏

あまりに有名な木像だけに初めてお会いした気がしません (n´∀`n)



そうめんのお供え物という風習をわたしは知らなかったのですが、精霊馬の手綱という考え方だそうです。

武家ならではのお供え、おしゃれですね。



法要が始まる前にサッとお参り🙏



落ち着いて墓石案内図を見れたことで発見がいくつかありました。



経蔵の手前にある十三重石塔は義周(よしちか)の供養塔だったのです🙏

義周の墓は吉良さんの隣です。



そしてキリシタン灯籠。

個人的にはお地蔵さまと思いたいですが。



8:45 

合図の鐘がゴーンと鳴って墓前祭が始まりました。

華蔵寺住職による読経の中、参列者の焼香が行われました。



関係者たちが本堂に揃い法要が始まった頃、ようやく一般参列者にもお焼香がまわってきました。



境内でお蕎麦が振舞われている!

ずっと支度してる方がいて気になってました!



落ち着いた頃にわたしも一杯いただきました。

とても美味しかったような気がします✨



落ち着きついでにもうひとつ、御朱印はご奉仕の檀家さんらしきお姉さまによる直書きでいただくことができました。

住職の字もステキだったけどお姉さまも合格



法要は9:30頃までの予定が押して9:45になったそうですが初参加なのでどの辺りが長引いたのかは不明。


お姉さまに「経蔵の白衣観音さまの御開帳はまだですか」と訊ねたら「あとでまた来て〜」とのこと。


来ます!!


‥とは言ったものの、ここからが大変なの。


11:00 に横須賀ふれあいセンターで「吉良側からの元禄赤穂事件」という講演会があったのです。


みなさんマイカーだからスッと行けるけどわたし歩きだからさ。

(間に合うかしら...、席あるのかしら...)

会場の規模もわかってないからとにかく不安な気持ちで田んぼ道をひたすら歩きました。

目の前を白鳥が飛んでたりして結構楽しみながら歩けたけど徒歩30分キチィ。



講演では〝吉良側から見た‥〟というタイトル通りスカッとした話が聞けるのかと思ったら、

お招きの多摩大学の先生ったら冒頭で「なんでわたしが呼ばれたかわからない(そりゃテレビ出てるからじゃないの)」から始まり元禄赤穂事件を時系列で解説してくださったけど特に真新しい情報もなく終わりモヤモヤしてたとこに、毎歳忌法要にもいらしてた米沢上杉家17代当主が〆のご挨拶で壇上へ!ヘ(゚▽゚ヘ)

上杉鷹山が吉良さんの血縁である根拠をおもしろおかしく語り「吉良さんが悪い人なわけがないでしょう!」と、まさに吉良側のご意見で会場は拍手喝采!

講演会はお開きとなりました拍手



これは義周の墓にあった案内板(泥だらけだった!)を書き起こしたものです。

吉良家と米沢上杉家との深い絆がよくわかる。


‥というわけで、いったん華蔵寺を離れて吉良町を歩きます。

華蔵寺③はあるかもないかも。



◾️華蔵寺

愛知県西尾市吉良町岡山山王山59

2023年12月14日参拝

6:00 東岡崎駅。

吉良町のお寺で行われる8時半の法要に間に合うよう、深夜バスでの愛知県入りでした。

ここから1時間ほど名鉄に乗りますグー



乗り換えの新安城駅で見た朝焼けで車体の輝きが揺れてるのきれいだった。

写真では伝わらないの残念。



7:24 上横須賀駅(西尾市)に到着。

東岡崎→新安城/新安城→上横須賀、と移動してきてここから目的地のお寺まで30分歩くことになるし一旦ここで休憩しておいてもいいんじゃないか。



‥とか言ってなんだかんだ早くどこかお参りしたくて高まる気持ちを抑えるためには第一発見神社に行くのが一番。



春日神社だけに神使の石像は鹿。



高く空を仰ぎ見る神々しい姿です。



春日大社参道を思わせる間隔の石灯籠。

どこか新しさを感じるのは昭和20年(1945)1月の三河地震で全社殿が倒壊し、昭和43(1968)年10月にようやく再建できたということなのです。



御祭神は天児屋根命です。

社伝によると、天正12年(1584)徳川家の土木係を勤めた鈴木善右エ門憲善(※)が矢作川の付け替えで新地開発した際に勧請したと伝えられています。

案内板に綿打ちの郷についての記述があり、ここから天竹神社が近いことを知りました。

※ 寺部城主鈴木日向守藤原胤善の子にあたるそうな



社務所の建物がかっこいい✨



境内神社も見ていきます。



シャグジさま!!!(n´∀`n)

中部・東海にはよくあるそうでいつかお詣りしたいと思ってました。

もっと小さな祠を想定していたけど初めてのシャグジさまは結構立派。



三社合殿のようです。

社口社の御祭神は神御産霊神と高御産霊神。



小さな岡崎狛犬 👀



もう一棟は忠魂社です。



実はかなり大〜きな社殿なのです。



現地ではどのような神が祀られてるか不明ながら、灯明台があることから祖霊社か忠魂社か、と考えていました。



こちらの狛犬は昭和10年(1935)建立。

阿形の造形から岡崎を原型としていることがわかりますが、吽形は角がある狛犬。



そろそろ出発しましょう。



◆春日神社

愛知県西尾市吉良町上横須賀宮腰50番地

令和6年6月9日参拝

今年から通ってるネイルサロンが浅草橋なのです。

浅草橋に着いたら担ぎ手さんがうろちょろしてたので鳥越まつりだと気づいた.:*☆

今年の鳥越まつりは6月7〜9日で最終日でした。



ネイル直してもらいながらソワソワ〜。

終わってダッシュで鳥越神社へ。

神社まで北にまっすぐ徒歩5分なんですよ。



御祭神は日本武尊、相殿に天児屋根命東照宮公

もともと白鳥明神として日本武尊が祀られていたそうで、源頼義・義家父子が前九年の役で奥州平定に向かうときに白い鳥に導かれて浅瀬を渡ることができたので鳥越神社と称されるようになったと伝えられています。



すごい人。



鳥越神社といえば もっこり狛犬 ですが、

この通りお行儀よく並んでる方がいるとこで写真撮る勇気なかったので過去投稿のリンクを。



せっかくの鳥越まつりだけどお神輿探しに行く時間もないしなぁ拍手



御朱印帳持ってなかったし大祭の御朱印なら書き置きでちょうどいいや、と思ったら、巫女さんによると数年前から御朱印は書き置きでしか頒布していないそうです。

大祭の御朱印は初穂料1,000円でした。

8年前は鳥越祭の副印(もちろん直書き)で大喜びしてましたが、最近じゃ毎年のようにカラーコピー作ってるみたいです。



境内神社もお祭りの御朱印なのね。

こちらは1体500円ずつ、本社と合わせて2,000円お納めしました(たまにだからいいけど高っ)。



志志岐社の御祭神は豊玉姫命ということになってるようです(肥前国の式内社だと日本武尊の子で八幡さま一族)。

福寿社は正面鳥居の近くにあるお稲荷さんで御祭神は倉稲魂命・大黒天・恵比寿・菅原道真公です。

志志岐社(西側鳥居内)


志志岐社の前にある祖霊社は祭礼の幕が付けられてかっこいい✨(無くてもかっこいいのだ)

この日はヤボ用あってここから神社を出て浅草通りのバス停に行くことにしました‥。



ウゲェ (›´ω`‹ ) ゲロ混みだったむかっ

違う筋から来ればよかったむかっ

テキ屋が出てるとこがっつり歩いてしまった。



担ぎ手の皆さんお神輿が来るの待ってるみたい。

鳥越明神通り 台東三筋郵便局前


むむっ(゜д゜)

この半纏は町火消し一番組ってこと?

なんかよく分からんけど一番てすごい。



浅草通りに出ると左がバス停。

ちょうどお囃子さんがいて視線は右〜の方。



あ〜、お神輿がいました (゚∀゚)ラッキー。

でけぇ!

これが東京最大級☆鳥越神社の千貫神輿です。



遠くから見た神馬さんはメンコ付けてるように見えたけど太めの頭絡と耳カバーだった。



あ〜、わたしが乗りたいバスがいるぅ。
見物してると見送ることになるけどまいっか。



脚の毛がフサフサでギャルっぽい神馬さんだね。

宮司さんかっこいい🤣



また調子に乗って交差点まで出てます〜。



手締めまで見ていこうと思ってるんだけど神酒所がすぐそこなのに神輿が進まない‥w

盛り上がる担ぎ手さん、

飛び交う罵声。

どーゆう状況ww



このあと警察車両が続くと交通規制が解かれて次のバスが来ちゃった。

ヤボ用あって見物はここまででしたが、夜も神輿渡御があるのですよ。

いつか見たいと思ってるんだけどねグー



帰って合計2,000円の書き置きたちに糊付けしながらさすがに情けなくなったわ。

これからはお絵描き・カラフルに加えて印刷の紙もいただくのやめます(版画はOK)。



◆鳥越神社

東京都台東区鳥越2-4-1

秩父夜祭⑴のつづき


令和5年12月3日参拝

わたしってこんなひ弱だったかな、なんと日が暮れる前に歩けなくなりまして‥w

疲れた足を休めるためWi-Fi完備の喫茶店でIQOS吸ってウトウトしたら回復 (*´Д`)y-~~

休憩大事ね〜!

外に出たらすっかり暗くなってたので急いで秩父神社へ行きました。



神社の真ん前に止まってた夜祭仕様の下郷。

昼間の下郷と全然違う w(*゚o゚*)w



御神幸を前に不安気な表情の神馬さん。

人が多くてお疲れなのかも。

そんなときに恐縮ながら煮豆を一皿お供えしてお下がりの肌守をいただきました。



相変わらずおまいりの列が出来てるとこ、略儀ながらこの位置で「二拍手一礼」拍手



境内あわただしく、いつでも出発できそうな様子。



外に出るとすごい数の高張提灯が集合してた。

ムードに酔ってぽわんとしてたから100個くらいあるような気がしてたけど、高張のご奉仕は26〜7町会とのことです。



高張は天神地祇社(全国一之宮)に並んでいたお供物に随行します。

秩父中から集まった高張と、諸国66にちなみ66本の鉾を立てたという京都祇園祭の起源がかぶります。

 

神幸行列:先導大麻.大榊.猿田彦.楽人.錦旗.御手箱.太刀箱.各町会の高張提灯と供物.神社神饌.大幣.神輿.宮司.総代2頭の神馬
→6台の屋台が続く



社務所の前に何台か集まってるけど他の屋台はまだ市内曳きやってるようで、ギリ廻しを見ようと本町の交差点へ行ってみることにしました。



昼間一番に見た上町屋台きた。

雪洞に明かりを入れて、囃子手さんも扇子を提灯に持ち替えてます。



Oh 考えてることは皆同じだったようで、沿道は見物人でごっちゃごちゃ。

ギリ廻し見物なんてとんでもない、

立ち止まることすらできないのでもう少し先へ行き行列を待ち構えることにしました。

中町きた。



囃子手さんに手を振ったら提灯ぐるぐる反応してくれた!

ノリいい \( ˆoˆ )/



歳だわ〜。座りたくて飲みテントに避難。

もちろんタダじゃ休めませんから生くださいッ(‥とか言って全然飲みたくないんですけど〜!)。



神社の行列がきましたっ。

先頭はふさふさのクヌギに藁の蛇。

令和元年の宵宮で氏子さんが一生懸命準備してるのを額殿で見学したことありました。

蛇とは今夜から冬眠に入り春になったら現れるという、秩父に水をもたらす龍神さま。



御旅所に向けてお神輿そろりそろり‥

こうして妙見さんは諏訪神社(本妻)の側を通過して武甲山(男神)を遥拝する御旅所へお出かけします。



ディアドラ号かな!

警戒するから夜の馬には近づかない方がよい。

二人がかりで馬を引くのはそれだけ危険な状態が予想されるからなのです。



中近笠鉾(屋台スタイル)

古くは中村だったのが、いつからか中近の町名が成立して中村・近戸の両町合同奉曳になりました。

電線が張られるようになった大正時代から花笠で飾った姿はなかなかお目にかかれない。



中近見返り。

白く浮き上がる三基の御幣が尊い✨



下郷笠鉾(屋台スタイル)は6町会の集合体ということで、ただでさえカッコいい囃子手さんが6人もいて豪華さが増してます👀

(下郷のファンになっちゃいましたw)



うっとり下郷を見送ったとこで飲みテントに戻りビールを飲み干しました。

そろそろわたしらも動こうじゃないか。



宮地屋台を見ていた19時30分ごろ。

激しく打ち鳴らす拍子木の合図で賑やかだったワッショイの声とお囃子の演奏が一斉に止んだ。



花火の音が鳴り響く中、静かに屋台が進む。

これが本妻のお諏訪さんに気づかって前を通るときは静かにするってやつなのですね🥺

曳き回しルートの変更があって番場町を通らなくなった今も風習が続いてることに感動✨



聖人通りの十字路でギリ廻しを見物 ヘ(゚▽゚ヘ)

てこで屋台を持ち上げて、



てこ棒を抜いたら、



準備はよろしいかしら?と声を掛け合い、



ゆっくり屋台の向きを変えますよっと、

とっとっとっと‥、



ぐるぐる〜‥っと廻ってます〜‥、



「ちょっとアナタ!」

夢中で見物してたら近すぎて怒られました。

ごめんなさ〜い(´・ω・`)



反省しながら人混みへ‥。

屋台と花火、これが見たかったのよ〜 (゚∀゚)

巡行と花火は同時にやってるので開けた場所に来ればよく見えるのですね。



ああっ、

屋台の後ろ姿と花火に思わず涙が‥(´;ω;`)



涙を拭きながら団子坂へ移動します。

秩父まつりが一番盛り上がる場面は引き続き宮地屋台に見せていただきました。

ここは場所を確保するのが大変でした‥。



登りきって屋台の角度が変わった瞬間、囃し手さんはもちろん、屋根の上で舵取りをする方達が大きく提灯を揺らす姿に感動しました(泣きっぱなしw)。



御旅所への立ち入りは規制が敷かれ、飲みテントで飲食する場合は入れるけどその隙に写真撮影はNGです。

知らずに買い物しながら撮って叱られた一枚


落ち着くまで花火鑑賞しましょう ٩( "ω" )و 

人気の場所はいくつかありますが、打ち上げ会場が羊山公園なので割とどこからでも見れることが分かりました。

昼間だと目立つ電線や建物も夜になると気になりませんし。

ここ市役所の駐車場なんだけど、用意された折りたたみ椅子に空きが多くて余裕で座れました✨



斎場祭が終わると有料ゾーンだったはずの御旅所が開放されました。

堂々と写真を撮れるぜぇグー



神馬さんたちお疲れさま🙏

昼間ずっと煮豆食べてたのに今度は飼葉もぐもぐで全然お顔を見せてくれません。

お元気でなりより。



うろちょろしてる間にシンガリの本町が入ってきてました(本町が動いてるとこ見てないんだよね)。



そういえば、秩父まつりは屋台が6台出てるはずなのに御旅所に集合しているのは5台だけ。

(一台トラブルで動かなくなったらしい)

(6台そろわないのは残念)

(事故でなければいいけど)

道ゆく人々の会話が聞こえてくる。



どうしたんでしょうねぇ、なんて話しながら帰りの駐車場へ向かっているとウワサ通り立ち往生している屋台を発見。



下郷でした(゜д゜)

白木が美しい姿そのままに、囃し手6人が降りて華を失った感。

一生に一度の晴れ姿で御旅所へ入れなかったのは本当に残念😢



ハマが壊れたそうでもぐって作業する方が‥。

屋台は動けず翌日に撤去されたようです。

文化財を道路にひと晩放置できないから道路使用許可とか警備とか大変だったでしょうね。



わたしたちは日付けが変わる前に秩父を出ましたが、このあと未明に屋台は各町へ戻り、神社神輿も還御となりました。

さすがに最後までは見れなかったw

屋台と花火もきれいだったけど、帰りの駐車場から見た夜空が心に残っています。

花火に照らされて気づかなかったけど、令和5年の秩父夜祭は雲ひとつなく晴れた満天の星空の下に行われていたのでした。


ーーーーーー✂︎ーーーーーー


・どーでもいいはなし

秩父神社でいつもいただこうと思って忘れていた念願のお札をいただいてきました!

いつだか番場町の民家に貼ってあるのを見てずっと気になってたのです。

六根清浄+北斗七星+出雲神と軽く情報量が多いこのお札は魔除けとして出入り口に貼るんだって。

日御碕宮は秩父宮さまお手植えのイチョウの近くにありますよ。

見かけたのが白いお札だったので授与所で

「日御碕宮の白いお札ください」

「え、白いのですか‥ちょっと待ってて‥確認したら今も昔も赤いのしかないそうです」

わたしが見たのは日焼けで色が抜けた いにしえのお札 だったことが判明しましたw

秩父の信仰がギュッと詰まったお札、みなさんも授与所でいただいて。