一言一会 (IchigonIchie)

一言一会 (IchigonIchie)

これまで、じつにさまざまな言葉を聞き、読み、そして発してきました。

このまま、忘れられてしまうというのは、もったいないような 気がし、
思いつくまま、書きとめていきたいと思います。 2012.10.3



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青い蝶                                  

                蝶々


     

                                                       

     
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            更新は曜日( AM 7:00 )







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みどり2  アリ先頭アリが9


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・・・・ふと懐かしく、昔のことを思い出しながら、こんな「数え唄」を作ってみましたが。・・・

 

 

 

 

            数え唄

 

 

 

 

一つ、日向に咲く花の

二つ、不思議な香に噎せて

三つ、みんなで輪になって

四つ、夜まで遊んでた。

五つ、幾つの時だろか

六つ、昔のあの日々を

七つ、懐かしく思い出し、

八つ、山まで行ってみた。

九つ、子供が遊んでた。

十で、トンビも飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

                                        替えがたい幸せ

 

 

 

 

    「富」と「健康」は、その価値は十二分にわかりますが、「睡る」というのは、何で?と思う人が
あんがい多いのではないでしょうか?

少しくらい眠れなくとも、別にどうということもないからです。
しかし、いざ眠れなくなって、その状態が延々と続く苦しみを体験して、始めて、・・・眠るということの大切さ、その幸せ度がよく理解できます。

ストレスが溜まり、それが脳内と心中を占領し、溢れかえれば、とても心地よい眠りというわけにはいかない。今まで一体どのようにして眠っていたのかといぶかりながら、何度も寝返りをうつが、少しも眠気は起こらない。そして、明け方の光が白々と窓から差し込んで来るというその苦痛は、これを経験した者でなくてはとてもわからないのでしょう。

どのようにして眠っていたのか?・・・などと思うこともなく、寝床に横になれば、そのまま眠りに誘われ、たちまち夢の世界に入って、・・・つかのまそこに滞在し、憩い、安らぐことのできる幸せは、何ものにも替えがたいものなのでしょう。

このような、何でもないことに、無上の幸せを感じるということこそ 大切なのでは?・・・

最近 やっと、こんなことが分かるようになって来ました。

 

 

 

                                


 

 

 

 

                      

                      偶     感

 

 

 

   タクシも、80歳になりました。

これほどの高みにまで登って来たかという深い感慨と共に、遥か下方を望んで、その高さに驚き、ひるむような思いもします。

そして、懼れるのは「認知症」ですが、自分ではまだまだ大丈夫とは思いながら、他人からみればずいぶん進んでいるのではないかと、時に危惧します。

ひととの対話に際しても、以前とは違い、慎重になります。少しでも「呆け」ているとわからぬように、(自分ではそうではないと思ってはいても)、一語一語気を遣います。

あまりに気を遣うことで、かえってミスすることもあり、最近ではありのままでいいと思うようになりましたが、我ながら呆けてしまったなと、思うこともしばしばです。

「老いる」ということは、それだけ人生の経験を積んだということでもあり、むしろそれを誇りにすべきであると、前向きに考えるようにしていますが、さて、どうなのでしょうか?・・・

日本も、高齢者の比率のほうがいよいよ多くなって行くわけで、若い人たちも大変でしょう。
若い人たちに迷惑のかからぬよう、せいぜい頑張っていきたいとは思っています。

そして、これはワタクシだけではなく、高齢の一人一人が誰もが思い、危惧し、頑張っているのではと思っていますが?・・・・

 

 

         

 

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

                           締切 (604回)

 

 

 



 切」とも書きます。ある小説家が、「締切」というものがなかったら、自分はこれほどの作品を書けなかったであろうと、しみじみ述懐していました。

プロの作家と比較するのはおこがましく、なんとも僭越ですが、このワタクシもその通りと思います。

こんな短いちっぽけなブログ一つでさえ、ワタクシにはしばしば重荷で、四苦八苦します。職業ではなく、まして頼まれて書いているわけではないのですから、いつ休んでも、いつやめてもいいわけです。しかし、自分自身で〆切を設け、何とか書き上げようと努力しています。そして、〆切をもうけたからこそ、これほどに続いたのであろうと、自分では思っています。

どんなことも、考えてみればそうで、「締切」をもうけることが、長続きの秘訣と思っています。ただ漫然とやるのではなく、何としても締め切りまでにやり遂げることを自分自身に課す、・・・そして、やり遂げるべく努力をする!

書くということだけではなく、どんな小さなひとつひとつにも、「締切」を設け、それをこつこつ一つ一つこなしていく。・・・人生なべて、その積み重ねが大切なのではと、最近は思うようになりましたが。

 

 

                                                          

                今回も何とか締切に間に合った・・・!

 

 

 

 

 

                            一杯の酒

 




   性は、アルコールなしで何でもズバズバ言えるが、男性はアルコールが入らないと言いたいことも言えない。哀しきかな男性!、と言った人がいました.。確かにそういうところもあるのでしょう。

しかし、そんなことはともかく、日が落ちてからの夕食前の一杯は、やはり格別のものがあります。

一杯呑めば、何となく物足りなく、もう一杯欲しいところですが、そこをぐっとこらえる。・・・その我慢するというのが、またいい!と言った友がいました。ちょっとマゾっぽいところがありますが、欲求をぐっと抑える、「克己心」の達成という自己満足も働くのでしょう。

「酒」は、人類が発明したもののベストスリーと、絶賛していた友もいました。

「酒は涙か溜息か、心の憂さの捨て所」の歌もあります。ともあれ、日が落ちた黄昏どき、日本中に、一斉に酒をそそぐ音が響き渡るというのは、なんとも微笑ましいというか、愉しいというか、哀しいものがありますね。

そんな御託を並べながら、今日もまた一杯のお酒というわけです。

 

 

 

 

 

                        子どもの詩

 




   子どもというのは、素晴らしい詩を書きます。

上手い詩を書こうなどという野心も、技巧もなく、ただただ素直に思ったままを書く、・・・その純な心が、期せずして傑作となり、ひとの心を打つのでしょう。

下の詩は、今から25年ほど前に、読売新聞の「子どもの詩」欄に載っていたものです。

思わず書きとめておいたのですが、四半世紀たった今でも、読むたびに感動します。掲載に当たっては、本来ならば作者の了解が得るべきなのでしょうが、小さな投稿欄、そして昔のこと故、無断転載も許してくれるだろうと勝手に思い込み、下に書き写しました。

今では30歳をとうに超えている作者は、どんなお姉さんになっている
のだろうかと、想像し、微笑みながら、ときどき読み返します。

その感動を、皆さんにもお分けしないのは勿体ないような気がし、今回転載としました。

 

 

 



わたしのからだのけらい

 

 



わたしのからだには
いっぱい けらいがいます
あしや てや くちや めや
はなや ゆびが
すごいかつやくをしてくれます
くちはパッパしゃべってくれます
あしはいろいろなところに
あるいてくれます
てはいろいろなひとと
てをつないでくれます
めはテレビをみせてくれます
はなは
ケーキなどのにおいをかぎます
からださん どうもありがとう


 

 

           千葉県 成東小1年 鈴木知加子
 

 

 

 

 

 

 

             躊   躇

 

 

 

 

  「兄貴のブログは模倣が多い」と友人から言われたと、自分がけなされでもしたように、弟は、いささかご機嫌斜めです。

原稿料を貰っているわけではなく、気楽に書いているわけです。
ただ、模倣だけは避けるべく、また、少しでもましなものをと、毎回努力はしているつもりです。それを、頭から「模倣」「物真似」、「駄文」と言われると、さすがにガックリします。やはり着実に進行しているのではと、

認知症を疑ったりもするのでした。


短気なワタクシは、それならいっそ止めてしまおうかとも思うわけです。
しかし、ついこの間600回を迎えたばかりです。・・・ボケ防止も兼ねて書いているわけで、止めることでいっきに進行するのではという憂いもあります。・・・

・・・というわけで、何とも迷ってしまうわけですが、熟慮熟考の末、やはり続けていくことといたしました。

ご意見 ご質問などありましたら、何なりとご投稿ください。
今後ともよろしくお願い申し上げます。




親にそっくり

 

 

 

 

 

 

 

 

10代の詩

 

 

 

 

  ワタクシの10代の頃の詩が、本箱の隅から出て来ました。

 

  そのまま、また仕舞い込んでしまう、というのは、何とも

 

    もったいないような気がして、この欄に載せることにしました。

 

 

絵は、内藤ルネです。

 

 

 

 

 

初夏

 

 

 

いやいやをする少女の

夏は Chemise を剥ぎとった。

 

少女は泣き伏し

少年は怒って夏に飛びつき

振り落とされて海に落ちた。

 

まっ白のしぶきは空におどって

泣き濡れてる少女の

気を失っている少年の

静かに性(セクス)を押しかくした。

 

ー夕立はふいに起る

ふたりの気づかぬ間に

激しく しめやかに

 それはひととき 地上を洗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            眠     り





   「富」や「健康」というのは、その価値の十分によく分かりますが、「眠る」ということが何で?と、思う人も少なくないのでしょう。

これは、いざ眠れなくなってみないと、その大切さのよくわからないようです。ストレスが溜まり、それが脳内や心中を占領し、溢れ、渦巻いて、とても眠るどころではない!・・・いつもはどのようにして眠っていたのかといぶかりながら、寝返りを繰り返し、やがて、また明け方の光がしらじらと入って来る。・・・たまにならいいのですが、これが毎晩というのではたまったものではありませんね。

金はなく、富はなくとも、
安らかなこの眠りと共に。・・・
私は果報者、
人生の富者。

と歌った人がいましたが、普通の人にとっては当たり前のこれを、とれずに苦労しているという人も多いようです。いわゆる「睡眠障害」というやつですが、昼間、おだやかな気分で過ごさないと、夜、ストレスが眠りを妨害するというわけなのでしょう。

しかし、別にストレスでなくとも、眠れない人も多いようです。眠るということがこれほどに大切で、豪奢な、掛け替えのないものであったかと思いながら、いつもの眠りへと、さて今宵も向かうといたしましょうか・・・

 

 

 

 

ピカソ

 

 

 

 

 

 

 

 

数え唄






一つ、日向に咲く花の
       二つ、不思議な香にむせて
     三つ、みんなで輪になって
 四つ、夜まで遊んでた。
 五つ、いくつの時だろか
六つ、昔のあの日々を
     七つ、なつかしく思い出し、
   八つ、山まで行ってみた。
 九つ、子供が遊んでた。
    十で、トンビも翔んでいた。

 

 

 

                                                                                    (2021.1)