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前回までのお話はこちら




4日目の朝。 

私は新東名高速道路のサービスエリア、

ネオパーサ駿河湾沼津で車中泊を

しました。

昨夜降り出した雨は、

朝には止んでいましたが、

空はどんよりと曇っていました。

そんな天気の中、

沼津から静岡に移動して、

久能山東照宮に行こうと思いました。



久能山東照宮は全国の東照宮の創祀です。

徳川家康公が生前、家臣に


「自分が死んだら遺体は久能山に葬り、

 一周忌が過ぎてから日光山に移して

 祀るように。」


と遺言を残したとのこと。

だから、現在は家康公の亡骸は

日光東照宮に納められていると、

誰もが思っていることでしょう。

しかし、数年前に出版された與津諦さんの

「余ハ此處ニ居ル 家康公は久能にあり」

という著書によると、

今でも家康公の亡骸はそのまま久能山に

眠っているのだとか。

果たしてどちらなのか、

先ずは自分の目で、久能山の家康公の

神廟宝塔を見てみたいと思いました。



久能山東照宮には

日本平からロープウェイで行く方法と、

久能山の下から石段を1159段登って行く

2つの方法があります。

私は勿論、迷わずロープウェイを選択。

愛犬2匹は顔が出ないカートなら

同伴可能ということでしたが、

結局楼門をくぐってからも

階段を何段も登るということなので、

今回はキャンピングカーの中で

お留守番をして貰うことにしました。



ロープウェイを降りると

すぐに受付があり、

御朱印を希望する人はこの時点で

申し込みをするように言われたので、

お願いしました。



先に進み階段を登ると



楼門が見えてきました。



扁額には、家康公の神様としての

お名前である「東照大権現」と

書かれています。



楼門をくぐると、目についたのは

「家康梅」という梅の木。

色濃いピンクの花が、

とても美しかったです。

さらに進むと、今度は家康公が

自ら育てられた実割梅(奥の梅の木)も

ありました。

こちらはまだ、蕾の状態でした。



その向かい側には神楽殿があり





開けられた窓の奥には、

家康公の肖像画が見えました。


更に進むといよいよ唐門が現れ、



唐門をくぐると国宝の御社殿です。



お参りを済ませ、

周りを1周してみました。






日光東照宮にも劣らぬ鮮やかな色彩美と

彫刻の素晴らしさに、

見入ってしまいました。



ところでここにも、

日光東照宮の唐門と同じようなものが

ありました。

それは社殿の屋根のところの葵の御紋が

逆さになっていることです。

これは未完成であることを表し、

更なる発展への願いが込められていると

いうことです。



御社殿を通り階段を登ると、

そこにはようやく私が見たかった、

家康公の神廟がありました。




またここで手を合わせ、

家康公が望んだ平和な世の中が

どうか壊れませんようにと

お願い致しました。



帰りに楼門をくぐる時に、

ふと誰かの手形がある事に

気がつきました。



見ると、38歳の時の家康公の手形。

レプリカとはいえ、紙に直接触れぬよう

注意をしながら手を重ねてみました。



実は私は手がとても小さく、

私より小さな手の大人の方にまだ一度も

出会ったことがないくらい小さいのです。

それでも、そんな私より少しだけ

大きい手形で、身長が160cmも

なかったらしいので

当然かもしれませんが、

家康公もかなり小さな手だったようです。



最後に博物館を見学しました。

中には、重要文化財に指定されている

世界的に珍しく貴重な日本最古の洋時計や

具足などが展示されていて、

とても興味深く見学させていただきました。



そして何より心に残ったのは、

博物館で放映されていた動画でした。

家康公の亡骸が、日光ではなく

今も久能山で眠り続けているのだと

いうことが、とても説得力のある理由で

語られていました。

日光東照宮か久能山東照宮か。

どちらを信じるか、

それはあなた次第です!

是非とも行かれた際には、

動画をご覧くださいね。

おすすめします!!



最後に御朱印を受け取り、



久能山東照宮を後にしました。


本当に来て良かった、

また訪ねて来よう。


そう思えた神社でした。