【井上靖・『本覚坊遺文』】 | せのお・あまんの「斜塔からの眺め」

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幾夜幾冊、井上靖1907~91)の『本覚坊遺文』。元版は1981年の刊行だがこれは講談社文芸文庫版。1989年に「千利休」の題で映画化されたが、同じ年に野上弥生子原作の映画「利休」も公開されて話題になった。


本覚坊という人物は実在したらしい、なぜなら千利休の茶会に2回ほど裏方として動いていたことが記録に残っているからだ。しかしここに登場する坊はほぼ架空の人物だ。


1591年、千利休の突如の自刃。利休に仕えていた茶人の本覚坊はそれ以来修学院の小屋に隠れ住んでいた。そういう彼が導かれるままに利休の死の謎解きに深入りしてゆく。彼の前に現れる名だたる茶人たちが、利休賜死の謎解きをせがむからでもある。


東陽坊、岡野江雪、古田織部、織田有楽、みな利休やその一番弟子の山上宗二の身近にいた人ばかりだが、なぜ彼らは理不尽に殺されたのか、物語の途中で古田織部も理不尽な理由で自刃を遂げる。その死が理不尽なのも利休の後を追うようで不思議だ。


利休自刃はそれから400年を経た今でもナーバスな問題で、特に利休が何一つ申し開きをしなかったことと、豊臣秀吉が利休処刑をためらっていたらしいことが謎として尾を引いている。だからこそ今でも論議の種になるのだが、答えはない。


ただ登場する人々がみな“乱世の茶の湯”を懐かしがっている、新時代の茶の湯を牽引すると指摘された古田織部や織田有楽さえもがだ。誰もが利休と共有した時間を懐かしんでいる。といって帰りたい昔ではない、明けても暮れても戦争、下剋上、不興を買えば死刑、合い間合い間に茶を点てる。


作中、山上宗二らしき人物が「無ではなくならん、死ではなくなる」と叫ぶが、死とは与えられるもので、自分を身ぐるみが剥がされることなのだ。そこが分かるとこの作品は読みやすい。


与えられる死に向かった時にそれを受け入れるのが反抗であり自己の実現だった。織田有楽は「わしは腹を切らぬがそれでも茶人だよ」と言ったので、そこにある苦い思いを汲み取るには時間がかかる。そして利休から「入ってはならぬ」と諭された枯れじかけて寒い道を歩んだ本覚坊の思いも。


あと、『鞆ノ津茶会記』の場合に比べて、酒食に関しては恬淡としている。せいぜい焼鮭がいいところで、本覚坊と利休の茶会のメニューが「めし、くき汁、ごぼう黒煮。菓子は焼栗に麩の焼き」というそっけなさ。そのそっけなさはこの哲学小説に似合っている。