「大伯皇女の伊勢の相聞が架空ではないか」という疑惑?についてもう少し考えよう。大伯皇女の相聞歌に、大津皇子の返歌がないことに気が付いた。
「それがどうかした?」という万葉集読者はまさかいないと思うが、相聞は「問いかけの歌」が出されると「返しの歌」が必ず付いてくる。その典型はいずれお目にかけるだろう。
ならば大伯皇女の切ない思いの吐露に、なぜ大津皇子は答えないのだろう。そういうのも私の疑惑を深めさせる一因だ。
思うに私たちはこのエピソードを、『伊勢物語』第69段「狩の使」の物語ひ引きつけて読んでいるのではないか、というのがある。
その「狩の使」の段だが、要約するとこのような話だ。
昔、ある男が"狩の使”に選ばれて伊勢に下る。伊勢斎宮の許には母親から「特別にもてなすのですよ」と予め手紙が来ていたので、彼を歓待した。二日目、男から「会いましょう」とささやかれ、さあどうしようと悩んだが、そこは何食わぬ顔をして、夜更け、自分の寝所に近い男の寝所に忍び寄った。男の喜ぶまいことか、朧月に照らされた縁側で語らい続けたが夜明け前に逃げられた。朝になって斎宮から
君や来しわれや行きけむおもほえず夢かうつつか寝てか覚めてか
と来た。男からは
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ
という返歌。しかし周りの監視は厳しい。宴席で斎宮が差し出された盃と一緒に色紙が来て
かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
とある、男は
また逢坂の関はこえなむ
と返して寄越した。男は伊勢での使の勤めを終え尾張へ旅立った。
この男が在原業平で斎宮が恬子内親王だという暗黙の了解があるが、今そこは関係ない。斎宮の許を皇子か貴人が訪ねた、という部分が大切だ。
『伊勢物語』の作者にすれば、在原業平が起こした不品行の話をしているのはもちろんだが、その時に『万葉集』巻ニの相聞が頭をよぎらなかったとは言えない。
しかしそれが逆に、『伊勢物語』にあああったのだから、『万葉集』のあれだってそうかもしれないじゃないか、という認識が生まれたのではないか、という気もしてくる。
何しろ鎌倉時代になると『万葉集』の分からないところを、『源氏物語』の記述を引いて説き明かすこともあったが、時代錯誤だ。
クロスオーバーというのか、古典読解も相当融通無碍で、作品を年代順に読むことに慣れた私たちには想像できないことだ。
それでは大伯皇女を大津皇子が訪ねた、というのもどこかきな臭くなって、進めばこの姉弟が近親相姦になってしまう。この二人が十数年音信不通だったことすら忘れがちになってしまっている。
私たちは数多くの古典に囲まれていて、それらは私たちの預かり知らぬところで、どう絡んでいるが知れたものではない。『万葉集』をそれだけで読むというのは無謀なのだ。それは21世紀でも同じではないか。

