鉄幹の凋落を支えた晶子 | せのお・あまんの「斜塔からの眺め」

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Eテレの「偉人の年収ハウマッチ」は近頃見るようになったけど、相変わらず攻めるEテレ。以前からEテレこそバラエティの先端だと思っていたが。


8日は与謝野晶子の年収だったが、それは置いといて。与謝野晶子と与謝野鉄幹の凸凹夫婦ぶりもちゃんと話題になっていた。


鉄幹という歌人は正岡子規と人気を二分した歌人で病人の子規と違って健康でマメだったからよくモテた、晶子が鉄幹の三度目の妻で、同時進行で別の女歌人とも恋愛していたことも、言わないでいいね。


『与謝野鉄幹の詩と歌と』3月26日は、歌人の与謝野鉄幹の命日でした。夫人の晶子の命日(5月29日)は季語に登録されているのに、夫の命日が季語から漏れているのは不公平ではないでしょうか…リンクameblo.jp


鉄幹は「文壇照魔鏡事件」という怪文書騒動で失脚してからは見る影もなくて、番組内のドラマでも、編集者は「先生、晶子先生」で、あなたじゃありませんと鉄幹を追い払う場面があったが。


それがガチで起きたことがある、大正年間、慶應大学が文学部の創設にあたり教授人事で森鴎外に伺いを立てたところ、鴎外曰く、「与謝野にしろ、いいか晶子の方だぞ、亭主に聞きたいことは何もないからな」


これは相当有名だったらしく、慶應大学の講演会で久保田万太郎、佐藤春夫、小島政次郎の三人が期せずしてしゃべったというからよくよくのことだ。


にもかかわらず鉄幹は教授となり、後押ししたのはむろん晶子だろう。いったいこの人はどれだけ夫にベタ惚れだったのか、そうでなければ都合12人も出産はできないだろう、と。


その影で晶子は有島武郎と関係を持っていたというし、それでなくとも文化学院という学校を経営していたのだから。お金が足りないと言いながら夫婦の外遊の費用を工面したのだから、まさに女傑。


しかも火の車と言いながら毎年1,800万円(現在の価値でね)を稼いでいたのはただただ沈黙。


5月29日は晶子忌として記憶されているが、3月26日が鉄幹忌にはなっていない。これは草葉の陰での晶子最後の悩みか。


初花の幹にも出ずる鉄幹忌