「13回忌・311内なる平和の祈り」をご一緒しませんか? | 斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

12年目の3月11日。この日は東日本大震災から13回忌に当たります。

 

生きている私たちにとって、時間が経つのはとても早いものです。

 

しかし亡くなった人たちはどうなのでしょうか?

 

私たちが思い出すのは、亡くなったときの姿のままのその人です。

 

けれど私はよく追善供養の法要式のときに、こんな話をします。

 

供養というのは、「共に養う」と書きます。

 

これは亡くなった人と生きている人、あの世とこの世の双方向のコミュニケーションを表す言葉です。

 

生きている人たちが、亡くなった人に思いを送ることが供養だと思われるかもしれません。

 

けれど実際には、亡くなった人たちもまた向こう側で成長し、成熟していく時間のなかにいる。

 

そして私たちが日々変わっていくように、亡くなった人たちもまた変わっていく。

 

その変わっていくお互いが、法要式という場を通じて、お互いに思いを通わせ、交流をする。

 

その双方向のコミュニケーションが供養の本質なのです。

 

自分が亡くなった人に対して思う気持ちは、年を追うごとに変化していきます。

 

そのとき、自分だけではなく、亡くなったあちら側もまた変化しているのだなと理解することができます。

 

 

 

何の話をしたいかと言えば、311から12年経っているということについて、なのです。

 

12年経っているということは、私たちのなかでは事実なのですが、亡くなった人たちのなかでもまた事実なのだ、という理解を持ってみると視点が少し変わるのではないでしょうか?

 

もちろん311で亡くなった方々の痛ましさや、家族の苦しみがすべて消えてしまうというわけではありません。

 

しかしその痛みや苦しみの「質」は時間を追うごとに変化を続けていることもまた事実でしょう。

 

記憶は消えてしまうことはありません。

 

そして痛みも苦しみも完全には消えないでしょう。

 

けれど、生きている私たちのなかでその痛みや苦しみの質が変化しているということは

 

亡くなった方々の痛みや苦しみもまた、変化しているのだと受け取ることができるのではないか。

 

そう言いたいのです。

 

日本の伝統的な仏教では、13仏という考え方があり、これは49日から33回忌までの期間、それぞれの死者のプロセスに合わせて、13の仏たちによるサポートがあるよ、というものです。

 

つい先日行われた先祖供養セラピーのテキストから、13仏について抜粋します。

 

 

 

 

十三仏によるそれぞれの供養のプロセスと死者の意識の変容

 

・初七日忌 「不動明王」

死の最初の段階では、仏・菩薩ではなく、恐ろしい形相の明王が登場します。

恐怖により、弱い心を捨て、強い心へ転換させる役割を果たし、死者を導きます。

 

・二七日忌 「釈迦牟尼仏」

心のマスターであるブッダの説法により、やり残し、後悔、苦悩ではなく、目を向けるべきものは自分自身の内側の仏であるという気づきがもたらされます。

 

・三七日忌 「文殊菩薩」

智恵の菩薩である文殊菩薩は男性性を司ります。利剣という叡知の剣を右手に持ち、これで切られた死者は、真の明晰性が内側に目覚めるのです。

 

・四七日忌 「普賢菩薩」

白いゾウがブッダの母親の夢にあらわれ、受胎を告知した話によって知られる普賢菩薩は、あらゆる覚醒者を生む女性性を司る菩薩。六道に迷う心を慈悲で包み、優しく死者を導きます。

 

・五七日忌 「地蔵菩薩」

お地蔵さまとして知られる地蔵菩薩は、大地の叡知を司っています。死者のあらゆる悲しみと苦しみと痛みをありのままに受け止め、地獄(苦しみ)の一番底にまで自ら降りていき、死者を救うと言われています。

 

・六七日忌 「弥勒菩薩」

 釈迦牟尼仏より、次のブッタ(目覚めた人)としての役割を与えられた弥勒菩薩。兜率天と呼ばれる須弥山の頂上に住まう弥勒菩薩の元に死者が訪れることは、人類の集合意識の領域を離れる直前の段階を表しています。

 

・四十九日忌「薬師如来」

この世のあらゆる病と不安や恐怖を取り除くとされる薬師如来は、四十九日の重要な関門を導く偉大なマスターです。

死者は通常通りにプロセスを経過した場合、この領域で生前の後悔や葛藤を手放し、完全に生者の属する集合意識の領域を超え、死者の住まう場所へと移行すると言われています。

 

・一周忌 「観世音菩薩」

観音様として有名な観世音菩薩はあらゆるものに姿を変え、無限の手法で人々に本当の自分とは何者なのかを教え、諭す存在です。

このため、ここでは餓鬼道と呼ばれる領域(貪りの欲を捨てることができない心の状態)に誤って入ってしまった死者を救うとされます。

 

・三回忌 「勢至(せいし)菩薩」

阿弥陀如来の右脇に座する勢至菩薩は、仏の智恵の門を司り、死者に菩提心を植え付けます。

 

・七回忌 「阿弥陀如来」

未来と過去を遍く照らす如来である阿弥陀仏。空間と時間の制限から死者を解き放ち、極楽浄土(永遠の心の安らぎ)へ、いかに参入していくのかという方法を伝えます。

 

・十三回忌 「阿閦(あしゅく)如来」

阿閦如来は密教における金剛界五仏の一であり、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置します。「大円鏡智(だいえんきょうち)」(完全な明晰性により、叡知を体現した状態)を具現化したものとされ、死者の旅路が総仕上げの段階に入ったことを表しています。

 

・十七回忌 「大日如来」

宇宙の中心のエネルギーの現れである大日如来。この如来と合一化を果たすことにより、長い旅路を渡ってきた死者の意識は、あらゆるものを生み出す「空なる光」に溶け合い、純粋なエネルギーそのものへと変容を遂げます。

 

・三十三回忌「虚空蔵菩薩」

 アカシックレコードの擬人化した名称である虚空蔵菩薩。純粋なエネルギーそのものへと帰結した個人の肉体意識は、ここでもう一度地球のアカシックレコードとつながり、これまでの転生の記録を再認識し、新たな肉体で転生を開始するために下降を開始します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このリストをみると、12年目の311はちょうど13回忌に当たります(回忌は3周忌から、マイナス1年で計算します)。

 

そうすると13回忌では「阿閦如来」が、サポートする役割となります。

 

するとこのリストではこんなことが書かれています。

 

・十三回忌 「阿閦(あしゅく)如来」

阿閦如来は密教における金剛界五仏の一であり、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置します。「大円鏡智(だいえんきょうち)」(完全な明晰性により、叡知を体現した状態)を具現化したものとされ、死者の旅路が総仕上げの段階に入ったことを表しています。

 

やや難しい内容ではありますが書かれていますが、要は13回忌とは、

 

苦しみや痛みや後悔といった段階を通り過ぎ、亡くなった人たちの旅は、総仕上げの時期に入り、「大円鏡智(だいえんきょうち)」という非常に明晰な意識と直面するタイミングであるということが言えます。

 

 

この311の際には、私たちのグループでは「311祈りのネットワーク」の呼びかけをこれまで行ってきました。

 

けれどこの13仏のリストを眺めることで、亡くなった方々は「止まってしまった時間」のなかにいるわけではなく

 

彼・彼女らもまた成長し、成熟し、常に新しいプロセスのなかにいるのかもしれない

 

と視界が開けるような感覚があるかもしれません。

 

人間とは変化する生き物です。

 

1秒たりとも同じ心の状態が続くことはない存在です。

 

だからこそ、この12年目・13回忌に当たる311では生きている私たちも変化し、亡くなった方々もまた変化していく、という認識がひとつの供養になるのかもしれないと思い、こんなことを書いてみました。

 

 

 

 

 

さて。

 

12年目となる311の14時46分に、私自身は時間に合わせ、追善供養の法要を行います。

 

ご縁のある皆さま。

 

もしもよかったら、この内なる祈りの時間をご一緒しましょう。

 

 

 

311内なる平和の祈り

 

2011年の311より、「祈りのネットワーク」という会を持ち、全国数百人の方々と一年間被災地と原発への祈りを行ってきました。

 

その後は、毎年311の日にこの祈りをブログ等で発信し、皆さんで祈りの時間を持つということを行っています。

 

どなたでも参加することができます。

 

これをお読みの方がいらっしゃったら、ぜひご一緒しましょう。

 

本日、一回目は14時46分。二回目は22時ちょうど。

 

福島へ。亡くなった方へ。

 

静かに座り、目を閉じ、あなたがまず内なる平和を見出します。

 

その内なる平和を祈りとしてあなたが届けたい人、場所へ届けます。

 

そして内なる平和があなたの心にひろがり、同時に被災地に広がることをイメージします。

 

内なる平和がその周囲に「一切の裁きをもたない健やかさのエネルギー」として浸透する感覚を持ちます。

 

またもしあなたの身近で震災で亡くなった方がいるなら、この機会にその方を思い浮かべてください。

 

そして

 

「あれから12年経ち、私は私の道を歩み、変化しました。あなたもまた、この12年間であなたの道を歩み、変化したのかもしれませんね」

 

と心のなかで、思い浮かべてみるのも良いかもしれません。