「家系のブロック」とは「愛の勘違い」からはじまる | 斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

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ゆうかさんシェアありがとうございます!

 

 

その関連で、長田先生とクラブハウスで話した後にまとめた記事を貼り付けます。

 

 

「家系のブロック」とは「愛の勘違い」のこと

家系のブロック、ということについて、ちょっと書いてみます。

 

どの家系もブロックを抱えています。

 

それは言い換えれば「家系のカルマ」と言ってもいい。

 

ここをみんな勘違いしやすい。

 

カルマというと「何か悪いことをしたツケ」という感じがして、

 

「何か悪いことをしたから、後の家系に悪い影響が出る」というモンギリ型の印象を持ちやすい。

 

そしてこういった家系のカルマ、あるいはタタリ、穢れといったものを扱う時の態度は、大きく分けて2タイプあります。

 

それは信じるか、信じないかという2タイプ。

 

家系のカルマを信じない、という人は、個人主義であり、自分という存在は独立した意識であって、理性と判断力によって現実を自ら生き抜いていると信じている。

 

そして家系のカルマを信じるという人は、依存的になりやすく、あらゆる霊的な「障り」、あるいはパワースポットなどに関してある意味盲目的に従ってしまう。

 

またこの延長線上で先祖供養を捉える人とき、それは「家系の影響なんか自分には関係がない」とするか、「家系の影響をなんとかしないと自分にも悪いことが起こる」としてしまうか。

 

どうでしょうか?

 

あなたはどっちのタイプでしょう?

 

私自身はどちらのタイプでもありません。

 

仏教の僧侶として私は「信じる、信じないではなく、自分の意識のありようについてとにかく検証を重ねる」というタイプです。

 

 

 

その結果私がたどりついた結論は

 

先祖供養とは

 

・悪いことをした結果やってくるツケを解消する何かではない

 

・タタリや穢れを払うというカテゴリーとも違う

 

・個人主義で信じないという人にとってこそ、先祖供養は役に立つ

 

である、ととらえています。

 

さて。

 

ちょっと前置きが長くなってしまったけど、

 

「家系のブロック」とは「愛の勘違い」のことです。

 

愛とはほんとうはとてもシンプルなものだけれど、それを表現するときに誤解を生みやすいもの。

 

この愛に関する誤解が、家系の中で連鎖しているのです。

 

たとえば無口で仕事ばかりしていて、家にほとんどいない父親がいて、その娘があなただったとしましょう。

 

そうすると、お父さんは自分のことを愛してなどいないのだとあなたは思っているかもしれない。

 

けれど、その無口なお父さんは、ほんとうはあなたのことを愛しているけれど、そのことをどう伝えたらよいかわからなくて、仕事や、お金でなんとか愛を伝えようとしているのかもしれない。

 

あなたはそんなことはまったくわからずに、愛に飢え乾き、ほんとうの愛はどこにあるのかと、様々な人や場所にでかけ、それを探しているのかもしれない。

 

とてもシンプルな例ですが、これが愛の誤解です。

 

これが親と子といった二世代間の話だったら、まだ解決しようがあるでしょう。

 

話し合いができるチャンスもあるかもしれない。

 

しかしこれが三世代、四世代と続いていることを想像してください。

 

家系全体の根底に流れる「愛の誤解の連鎖」。これが愛のブロックです。

 

そして愛とは家系に流れる生命エネルギー。

 

これが滞る時、家系全体に何かしらの影響がでます。

 

家系で繰り返す疾患や、離婚・引きこもり、自殺。

 

こういったものは、たしかに家系で連鎖します。

 

しかしそれは「何か悪いことがあったから、タタリや障りがあったから、起こり続けていること」ではありません。

 

愛の誤解により、家系全体が生命エネルギーが滞ったために、起こることであり、

 

さらにいえば、家系で繰り返す疾患や、トラブルなどは

 

「愛の表現を見出すための大切なメッセージ」

 

とも言えるものです。

 

その仕組みが読み解けた時、先祖供養の本当の意味がわかり、愛のエネルギーが一気に家系に流れ出す。

 

その結果、

 

「私はこれまでも愛されてきたし、いまこの瞬間も愛されている」

 

ということが、頭ではなく、心の深いところでわかるようになる。

 

先祖とは死んでしまった誰かのことではなく、自分の心の奥にいまこの瞬間も生きているもので、すべてが愛の連鎖によってつながっているのだと。

 

そして

 

「ああ。自分っていままで愛に関して、めっちゃ誤解がありまくったんだなぁ」ということがはっきり見えるようになる。

 

 

つまり何を言いたいかというと

 

先祖供養とはタタリや穢れを払うといった、ネガティブな中世的思考に基づいたものではなく、

 

自分自身の今この瞬間の現実と心のありように関係するものだ、ということを言いたいのです。

 

以上。

 

 

私はこの「先祖供養とは、妄信的なものではなく、実質的な心のレベルで機能するもの」という点を、お伝えしたいのです。

 

 

またこの件については、先日ハワイさんというYouTuberの方ともお話させていただきました(なにしろハワイさんが可愛かった💏)

 

 

 

 

 

 

というわけで、本日は先祖供養セラピーWSの朝です。

 

皆さんと、先祖という「愛の連鎖」について学び、理解し、認識し、ワークする時間をお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

先祖供養セラピーとは?

 

あなたは「先祖供養」と聞くと、どんな印象があるでしょうか?
僧侶が行う法要式や経によって、先祖に感謝の思いを送ることでしょうか?
それともあなた自身が、亡くなった方々に思いを馳せることでしょうか?

私は先祖供養とは自分を知り、自分を解放していくための、誰にとっても必要なものとしてとらえています。

またそれは私たちが日本人として生まれたことで、奇跡的に所有する事ができた大きな財産とも言えます。
先祖供養は決して、専門家でなければ行えないわけではありません。
そして先祖供養を行うときに、特別な才能や資格は必要がありません。
いくつかの大切なポイントを知り、先祖とは何かを理解し、そこで行うべきやり方ができるなら、あなたは自分自身で無意識の底に眠る、先祖という大きな財産を解放することができます。

この先祖供養セラピーとは、既存宗派の仏教の僧侶としての長年の経験と蓄積を基に、現代の数多くの心理療法やセラピーを含んで超えたかたちとして「家系全体」をテーマに理解を深め、ワークを行っていきます。

そして「家系全体があなたに何を望んでいるのか?」を本当の意味で知ったとき。
あなたと家系全体に「無限の愛のエネルギ-」が流れ、大きな癒しが起こります。

そのことによって、こころの問題や、家系的な疾患、経済的な問題などとして現れていた「家系全体として抱えるブロック」が押し流され、あなたを中心とし、家系がひとつの表現となる「自己統合」が起こるのです。

この一連のプロセスを私は「先祖供養セラピー」と呼びます。

※ 先祖供養セラピーは“齊藤つうり”が提唱する自己統合セラピー(療法)です。

供養とは生きてる人が死者に対して行うものだと思っていましたが、供に養っているのだという発見がありました。先祖代々の積み重なった大きなブロックが…という認識から、ブロックと感じていることに対して様々な視点から取り組んできた先祖の皆が私を見守り応援しているのだという認識に変わりました。

アンケートより抜粋
 

先祖供養セラピーWSアンケート一覧はこちら

 

詳細はHPヘ

https://buddha-school.jp/event/20230304-event/