泣きたくなったら。 | 斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

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「幼稚園で泣きたくなったらどうすればいいの?」

と息子が言い出した。

 

登園時間まであと10分。

 

妻のセーターに顔を押し付けて、泣いている。

 

はらはらと泣く、とはまさにこのことだ。

 

ギャン泣きと対照的に、とても静か。

 

瞳から雨のしずくがゆっくりとおちるように、涙が頬をつたう。

体のまわりに、とても深いインディゴブルーの霧が漂っている。

 

息子が懐いている担任の先生がここのところ2日くらい休んでおり、どうやら自分の身の置き所に困ってしまったらしい。

 

通い始めて3ヶ月。

 

息子は繊細な性格で、子供達の群れのなかにまだ入ることができずにいる。

 

今日、何をして遊んできたの?ときくと

 

「べつに。廊下をぐるぐるまわっていたよ」とか答える。

そう答える息子のオーラは、うすい黄色だ。存在感が希薄に感じられる。

 

自分の息子ながら言うのだけど、彼は体も大きく知能の発達が早い。

 

車に息子と二人で乗って、会話をしていると、小学校二年生くらいの子供とはなしている感覚になる(彼のいまの関心事は地球のコアと惑星探索にあるらしい)。

 

この間は、妻が先生に呼び止められて、こう言われたそうだ。

 

「ごだいくんに今日話しかけられまして。その言語能力にとっても驚きました。ごだいくんに先生遊ぼっていわれて、別の子を見ていたから、他の先生に声をかけてと答えたんです。そうしたらごだいくんにこういわれたんですよ。〇〇先生だからあそぼうっていったんだよ。〇〇先生じゃなきゃ意味がないんだよ?って。私、とってもびっくりしてしまって」

 

発達が早いということに喜ぶ親もいるだろうけど、私と妻は人間の全的成長を取り扱う仕事をしているので、良いことばかりではないことをよく知っている。

 

意識の成長はたしかに息子は進んではいるが、同級生たちとは完全にずれている。みんなはワイワイ群れることができるが、息子は繊細さもあいまって、そこに同調することができないのだ。そしてまた子供の頃に成長が早いことと、大人になった後の成熟とは反比例する場合もあることを私はよく知っている。

 

つまり子供の頃、知能が高いからといって、大人になってからそれが人生の幸せに結びつくとは限らない。だから私たちは息子の発達の早さを、とても慎重に取り扱っているつもりだ。

 

そして今朝に至る。

 

「こうなったらどうすればいい?悲しくなったり、泣きたくなったら、どうすればいいの?」と言いいながら、はらはらと涙を落とす。

 

「泣きたくなったら、泣いていいんだよ。先生にも言っていいんだよ」と妻がいう。

 

すると「泣いているところを見られたくないから、どうすればいいかを教えて」と息子はいう。

 

妻と私は顔をみあわせる。

 

行きたくない、という主張ではなく、どうすればよいのか、という対処策を聞いているのだ。

 

見ると息子の第二チャクラのあたりが、ぐるぐると不安定な青色で渦巻いている。

 

「おなかに手を当てて。大きく息をすったり吐いたりしてごらん」

 

それで納得してくれるとは思わないけれど私は一応教える。

 

息子は教えた通りにやる。ちいさな肩を上げ下げして。

 

第二チャクラのぐるぐるが台風が小さくなったように落ち着く。

 

息子の表情もおだやかになる。

 

おちついた?と聞くと、落ちいた、と答える。

 

「でも幼稚園では、こうやって吸ったり吐いたりはできないから、別のやり方を教えて。泣きたくなったらどうすればいい?誰にも見られたくない」とさらに息子は尋ねてくる。

 

だよね、と私も思う。これでは解決はしないよね、よくわかる。それでもやってくれる息子がえらい。

 

妻はあの手この手で一生懸命答えるが、彼はまた泣き出す。

 

息子の気持ちはとてもよくわかる。自分をさらけだすことが怖いのだ。集団の中で自分をみせるよりは、自分だけの場所にいて、なんとかやりすごした方がいいと息子は考えているのだろう。

 

「幼稚園に行きたくないの?」

 

と私が聞く。

 

「そうじゃないの。幼稚園はいかなきゃならないのはわかっているの。けど悲しい時。いまみたいになったときにどうすればいいのかを知りたいの」

 

といってまたはらはら。

 

四歳ながら自分の立ち位置を本当によく理解している。

そう。私たちはそこには同調しない。

つまり行きたくないから行かない、という理由は受け付けることはない、ということを息子はよく認識している。

その上で感情や自分をさらけ出すことができずに困っているのだ。

 

息子を抱き抱えたままの妻と小さな声で会話をする。

 

「どうする?」と私。

 

「うーん。とにかく連れて行ってみるよ」と妻。

 

妻もセッションを重ねている人間なのでこういうときはブレない。

 

優しく言葉かけをし、息子に対処しつつ、非常に戦略的にいく。

泣きまくる息子に、まず靴をはかせ、玄関から出て、車に誘導する(ここまで所要時間30分)。

 

そして40分後に息子を乗せ、妻が運転をする車は幼稚園に出発した。

 

さらに40分が経過し、妻がようやく家に戻ってきた。

 

「どうだった?」と私が聞く。

 

「車で泣いているごだいを見かけた他のお母さんが、園長先生に教えてくれてね。そしたら園長先生が駐車場まで来てくれて、ギャン泣きするごだいをささっと抱えて連れて行ったよ。慣れているね」と妻。

 

その日は妻と出かける用事があったので、この一連の出来事を二人で話した。

 

「きっとさ。ごだいの意図だったんだよね。自分をさらけだしたくない、困っている様子を、よくわからない園児たちには見せたくないってことだよね。だけど泣きながら抱えられて行ったから、きっとクラスの部屋で泣いていたよ」

 

ペットボトルの紅茶を飲みながら、妻がいう。

 

「泣けない子はいじめられる子になるし、将来弱音をはけないまじめな子になってしまうって、副園長先生がいっていたんだよね。だからごだいみたいな子は自分をさらけ出す機会が必要なんだよ。ほんとうによかった」。

 

なるほど、と私は思う。息子の繊細さをどうあつかっていくのかについて、よく私も考えるけれど、この場合に彼の主張をしっかりと受け止めてあげる、ということもたしかに大事かもしれない。

 

けれど息子の本当の思いは、

 

弱さをさらけ出せない⇄本当はさらけ出したい

 

というところにあったのだ。

 

まさにエッジに息子は立っていたのだろう。

 

そうして結果的に、泣いている姿をみんなにさらけ出すこととなった。

 

子供ながら、彼の全体性がきちんとそこに働いていることがわかる。

 

子供でも大人でもほんとうに同じなんだなと私は思う。

 

そして夕方。

 

息子はとても元気よく帰ってきた。

 

今日はどうだった?と聞くと、なんだかとても恥ずかしそうに、にやにやしながら「べつに?」と答える。

 

けれど彼の第二チャクラはとてもすっきりしている。

そしてみぞおちにはとても綺麗な黄色の光が輝く。

 

「あのあとね。15分くらい、女の先生にだっこされて泣いていたんだって。そして他の子が登園シールを貼ってくれたり、いろいろと世話してくれたんだって」と妻。

 

「先生もごだいくんがみんなの前で感情を見せることができて、ほんとうによかった。とても大きな・大事な一歩でしたね、だってさ」と。

 

宇宙の図鑑をひろげながら、昨日の続きで土星のことを話して、とソファで息子が待っている。

 

 

プラトンは言った。

 

「子供とは、子供という条件を背負った魂である」

 

誰でもそうなのだ。

 

自分の本質と背負っている条件。

 

でもときには今日の息子のように、どぼんと目の前の現実にダイブしてみるのもよいかもしれない。

 

そのときに、頭ではわからない何かが開き、はじまるのだ。

 

 

 

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