何かが降りてきて、今日は水子供養について、ずっと文書を書いていました。
水子供養はアカシックセッションでもよく質問をうける件。
きっと今週末でそんな話題がでるのでしょう。
ブッダプログラムはそれぞれテキストをかっちりつくってありますが、この先祖供養ワークショップは一番量が多い。
ちょっとした本ですね。これは。
というわけで、テキストより一部ブログで紹介します。
今週末、7月4日。
先祖供養ワークショップ。
■水子という存在の認識
水子という存在は私たち日本人にとってとても不思議な存在です。
やさしいような、こわいような。あたたかいような、つめたいような…。
私たちは水子という存在をどのように認識し、扱えばよいのでしょうか?
一番大切なことは「存在を認めること」。
これ以上に大切なことはありません。
水子という存在はそこに関係した人にとって、痛みや悲しみなどを伴うことが場合が多く、私たちはそれを自然に「なかったことにしてしまう」ということをやってしまいがちです。
水子の母親である本人は決して忘れることがなくとも、夫や姑や一族に対して、「嫁としての役割を果たすことができなかった」という思い込みを持つ場合、水子のことを口にだすことすらできないことがあります。
あるいは何らか事情により人工的に下ろした、という場合には、母親や父親となるはずの当事者たちは「自分が子供を殺してしまった」という大きな罪の意識を背負うことになります。
このうしろめたさや、罪の意識から、水子という存在を「なかったことにしてしまう」という選択を無意識のうちにとってしまうことがあります。
もし一族のなかに、水子の存在がいるなら、それはあなたにとって家族です。写真がなくとも、名前がなくとも、その子はこの世界に存在していました。そしていまもなお、ある領域では存在しています。
その存在を母親だけではなく、家族全体で「たしかに存在していたし、いまも存在している」認識することから、水子の供養は始まります。
■水子の扱いについて
次のステップはその扱いです。
もし亡くなった胎児である、水子の他に兄弟がいるなら、生まれた順番を守り、そのように扱う必要があります。
たとえば私は三人兄弟ですが、水子を含むと実は6人の兄弟となります。
兄・長男、姉・長女、そして次男・私という順の兄弟ですが、兄、姉、私、ひとりずつの前にひとりずつの水子がいたようです。
このなかには性別がわかるものもいれば、非常に幼く亡くなったために、性別がわからないものいたようです。
母の話によると、はっきりしているのは、兄の前に女の子の胎児を母が下ろしていたことです。
このように性別まではっきりしている場合、その水子は実際に長子・長女としての役割を持ち、本人もその自覚を持ち、肉体を失った後も、その役割は残るのです。そして次に生まれてくる子供は、二番目の子供としての役割を持ちます。
このケースに関しては、私自身の体験をシェアしたいと思います。
幼い頃、兄の上に実際にはいないはずの姉がいる、という家族の場面を私は夢のなかで何度か見ていました。
その姉は非常に聡明で、何か家族にトラブルがあると、いつも母や兄などの相談をうけ、話を聞き、アドバイスをしているのです。
その夢のことを兄に話すと、兄も実は同じ状況の夢を何度も見ているとのことでした。
そして20才を過ぎた頃、実際には6人兄弟がいたこと、そして一番最初の存在は姉だったことを母から聞きました。
それから私は僧侶になった後、この失われた兄弟である姉の存在を強く意識し、その供養を行い続けました。
そしてある時を境に、彼女の存在が次の肉体に転生したことを知りました。
しかしその後も、この兄弟のなかにとても頼りがいがある姉がたしかに存在していたということは、失われることはありません。
-ブッダプログラム 先祖供養ワークショップテキストより-
7月4日 10時-18時
「ブッダプログラム 先祖供養WS」
このワークショップは
①あなたの家系の流れとブロックを認識し
②先祖たちの総体である「祖霊」が、何を望んでいるかを知り
➂「祖霊」とつながり、エネルギーの滞りを解き放ち、生きる力として使っていく
という一日です。
● 7月4日 ブッダプログラム 先祖供養ワークショップ
僧侶として、先祖供養の本質とその大いなる力についてお伝えし、家系のブロックを解放し、家系の意識の中点である「祖霊」とつながるためのワークを行います。
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